Notes of Life

透析患者に関する記事と真剣に考えるべき事

2016年10月5日

最近、著名な方が透析患者に関する過激な物言いで顰蹙を買い、TV番組を降板するなど、社会的に制裁を受ける出来事がありました。
私も元記事を読みましたが、「ああ、これで本当に議論すべき事が、また10年、20年と先送りになった」と感じた関係者も多いのではないでしょうか。

「現場の理不尽」というなら、透析医療に限らず、介護、福祉、教育、いろんな場面であります。

同じ患者さんが見ても、釈然としないこと、腹の立つこと、いっぱいあります。

自分もしんどいのに、きちんとマナーを守って受診している患者さんから見れば、「昼間に外来受診したら、何時間も待たされる。夜中に救急車を呼んだらええんじゃ」と豪語するような人は許せないですよ。

でも、その人が「オレは○○病院の患者や。気分が悪い。死にそうや」と991に電話してきたら、救急隊は絶対的に出動しないといけないし、見るからにタクシーがわりに使われているのが分かっても、サイレン鳴らして、交差点で他の車を停車させて、病院に急行しないといけない。その為に、夜中でも、事務員、検査技師、当直医、看護師らがスタンバイして、時間外の経費もばかになりません。

39度の高熱でも、じっと外来の待合で待っている患者さん、会社で大事な会議があるのに、周りに白い目で見られながら、やっとの思いで受診された患者さん、送迎に付き添ってくれる家族もなくて、何千円もタクシー代を払って来院された患者さん、等々から見れば、そんなワガママにも同じように税金つかって、手厚い待遇するんか・・という気持ちになりますわね。

そういうことを、某氏も問題提起したかったのでしょうけど、好ましい表現ではありませんでした。

患者さんや関係者の気持ちを傷つけた事も大きいですが、これがきっかけで現場の生々しい実情を取り上げることがタブー視され、関係者が疑問を感じても「見ざる、聞かざる、言わざる」を決め込むようになったら、今後も「バケツの穴から水がダダ漏れ」みたいな状況はずるずると続きます。

それでなくても、医療は守秘義務の観点から現場の事が可視化されにくいし、何かといえば「人権侵害」「弱者切り捨て」と非難されやすい。

非常にデリケートで、アンタッチャブルな領域だけに、一つ制度を変えるにも、首が飛ぶ覚悟です。

それなら、文句を言われる前に、「何でもやっといたらいい」。

こっちも面倒に巻き込まれたくないから、「見て見ぬ振りでいい」。

そうして、なあなあで来た結果が、今の状況です。

このまま放っておいたら、大変なことになるぞ、大変なことになるぞ、大変なことになるぞ、大変なことになるぞ、大変なことになるぞ、大変なことになるぞ……と言い続けて、30年、あるいはそれ以上。

今までは社会の余力でどうにか持ちこたえてきたけれど、これから先の30年、何が起きるかは言わずもがな、ですよね。

患者さんの中には、「自分たちが病気しているから、お前たち(医療者や医療機器メーカー)が儲かって、食べていけるんじゃ」と豪語される方もあるけれど、医療機器メーカーだけが儲かったところで、決して社会全体の救済にはならないのですよ。

増大する社会保障費の負担に耐えきれず、働き盛りや子育て世代が買い控えや産み控えすれば、経済もどんどん縮小するし、町に年収200万円にも届かない低所得者が溢れたら、税収も減るし、商売や地域も沈没する。

結婚も出産もできず、出生人口が減れば、将来、看護師になる人も激減して、優秀な人材も育たなくなる。

それは回り回って、医療サービスの質をも下げてしまうのですよ。

確かに、今まで当たり前のようにもらえた見舞金や割引サービスがストップすれば、ある患者さんにとっては、生命線を絶たれるような大打撃になるし、あの元記事で「高速料金やタクシー料金の割引」が指摘されていましたが、それも決して花見や温泉を楽しむために優遇されているのではありません。現実問題、足腰や視覚の障がいなどから通院困難な方は多いですし、一回一回の来院に2000円、3000円とタクシー代を払っていたら、みな破産します。

それはそれで重視しつつ、一方で、省けるところは省き、抑えるところは抑えていかないと、一億総倒れで、「人手不足の為、当院は閉鎖します。患者さんは隣町の○○クリニックまで行って下さい」みたいな事態にもなってくる。

「削減」とか「縮小」とかの話になってくると、途端に「弱者切り捨て」と怒り出す人もあるけれど、「うちは、ここまでは自助努力でいけますから、それ以外の分は、こういう方々に回してあげて下さい」という気持ちでいかないと(患者さんも、医療者も)、制度うんぬん以前に、それを支える労働者層から崩壊しますよ。

それでなくても、真面目で、優秀で、人柄もいい看護師から、現場に幻滅して、二度と復帰しません、という事態が進んでいますのに。

その為にも、患者さんにも冷静に社会保障の現状を見て欲しいし、問題提起する側も、社会的な議論に発展するよう、慎重にやって欲しい。

そして、世間も、失言した本人が社会的制裁を受けた時点で溜飲を下げて、祭りも終わり……というのではなく、今、医療や福祉の現場で何が起きているのか、これから先、自分たちの社会に何が起ころうとしているのか、真剣に考えた方がいいです。
今までは困窮した人にパンを配る余裕もあったけど、これから先は、小麦粉も、それをこねる人手も減ってくる。
では、どこから優先的に配るかという話になった時、「かわいそう」「人でなし」と騒ぐだけでは、本気で制度を見直し、社会を改善しようと取り組んでいる人たちの足を引っ張るだけです。

そして、できれば、(現場の無力感も分かるけど)、「これはおかしいのと違う?」という所は勇気をもって踏み込んでもらいたいなと思います。もしかしたら、「その一言」を、患者さんも家族も待っているかもしれません。d

ちなみに、透析医療費の問題は、90年代後半、島田紳助の司会する『サンデープロジェクト』でも取り上げられたことがあります。

私も見ましたし、うちの患者さんも、大勢、ご覧になりました。

でも、あの時は、炎上するような事はなく、患者さん自身も考えさせられる内容でした。
(島田紳助もけっこういい司会をしてたんですよ。後々、問題になりましたけども)

「ほんまに、こんなにしてもろうて、申し訳ない」
「わしらは社会のゴミや。はよ死んだ方が社会のためや」
と仰る方もおられたけども、その方たちが、家族の為に美味しいご飯を作り、孫の面倒を見、週3回のパート勤務でも、何かしら社会の一員として努めを果たしておられるなら、それは十分に価値のあることですし、その一点だけを取り上げて、医療崩壊の責任をなすりつけるのも、おかしな話ですよ。だって、社会資源の分配や使い途を決めているのは、別の人であって、患者さん自身じゃないですからね。

今でも忘れられないのは、この一言です。

「時々、オシッコする夢を見るの。わ~、オシッコが出た、気持ちいい~、と喜んでいたら、それは夢なのよ。もう一度、普通にオシッコしたい」

自分から進んで、こんな病気になりたがる人などいません。

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