コミュニケーション不全症候群

この言葉を最初に使われたのは、中島梓さんだ。

ダイエットに執着するあまり拒食症に陥る少女や、美少年愛を中心とするアニメ・パロディの同人誌やコミック・マーケットに夢中になる「オタク」の少年少女らを対象に、その根底にあるものは、「コミュニケーション不全症候群」だと説かれていた。

オタクだけに通じる同性愛の世界にどっぷり浸かって、架空のキャラクターに恋心さえ燃やす彼らと、見ず知らずの人間が匿名で集う言葉だけの世界に「自分の居場所」を見付け、自分の思いや考えをとうとうと綴って発信する人々に、どこか似たものを感じるのは私だけだろうか――?
……もちろん、全ての人が”同じ”とはいわないけれど。

現実の人間関係を築くには、時間もかかるし、手間もかかる。
苦しみもすれば、傷つきもする。

学校や職場でみんなと上手くやっていくには、努力しなければならないし、親友を得るには、それなりにプロセスを踏む必要がある。
正直、「何でも話せる親友」を一人つくるだけでも、大変なことだ。
一生かかっても、そういう親友が作れない人もいるのだから。

「誰もオレを分かってくれない」
「周りのヤツらは、みんなアホだ」と思い込んでいる人に限って、自分から人に好かれる努力をしていないものである。

人に思いをかけない人が、どうして人から思いをかけられるだろう?

人を大事にしない人が、どうして人から大事にされるだろう?

周囲の信頼や愛情を得られないと嘆いたり、自分の不満や不安を他人のせいにしたがる人に限って、やたらとプライドが高く、自分を繕い、他人のちょっとした気遣いや思いやりが分からない。

相手の方から自分に擦り寄ってくるのが当たり前と思い、自分から相手に何かしてあげようという気構えが無い。

それでは、周囲から「冷たい人」「暗い人」と敬遠されて当然だ。

自分が本当に欲しいものなど、一生得られないだろう。

良い友達ができたら、自分の思っている事を何でも自然に話せるようになる。

心の絆というものは、半年、一年、五年、十年……かけて、お互いに努力しながら作り上げていくものだ。

その努力を惜しまずに、常に自分から周囲に働きかけていけば、自然にそういう結びつきがたくさん出来ていくのではないだろうか。

初稿:99/08/01

ますます過密化と選別化がすすむ現代、もはや「一戸建」の自我の場所はない。それでも生きていかなければならないとしたら。おタク、ダイエット、少女たちの小年愛趣味…それらすべてを現代社会への「適応」として捉え、若者の共感と批評家の絶讃を浴びた、著者渾身の書き下し評論。後のオウムの出現を予言していたと思える箇所もあり、誰もがあっ、と思いあたる。「現代」を生きなければならない人々に繰り返し読まれるべき名者。【Amazon.comより】

1995年に書かれたとは思えない、現代の予言書のような作品。
オタクや少年愛趣味を自覚しない人でも「ドキっ」とする部分があるのではないだろうか。
とりわけ「ボーイズ・ラブ」に関する分析は秀逸。

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