運命の輪

前回、『運命の女神は意地悪な顔でやって来て、勇者を試す』と書いた。

これは二年前、『曙光』という話の中で私が書いた言葉なのだけど、いつの間にか私の座右の銘になってしまった。

鼻高々で、落ちこぼれの海洋開発技術者ヴァルター・フォーゲルは、自分を拾いに来た世界屈指の鉄鋼メーカー 【MIG】の親玉アル・マクダエルが、あんまり過酷な仕事ばかり課すので、

「おい、お前、いいかげんにしろ。俺の忍耐力にも限界がある。俺ばっかりに重労働を課しやがって!
俺をなんだと思ってるんだ!」

と食って掛かる。するとアルはにんまり笑ってこう答えるのだ。

「そりゃ、お前なら耐えられそうな気がするからだよ。見るからに脆弱な奴に、重い課題を与えたら、与えた瞬間にくたばってしまうだろう。わしはお前をイッパシの人間にしてやりたいのさ。鍛えて、鍛えて、鍛えぬいて、大きな仕事を成し遂げられる、

強い人間にしてやりたいんだよ。――この”親心”が分からんか? え?」

誰の元にも、《運命の女神》は意地の悪い顔でやって来る。

耐えた奴だけが、栄光に浴するのさ。

耐えられんなら、今すぐ荷物をまとめて、故郷に帰れ。

お前がいようが、いよまいが、わしは痛くも痒くもないんだからな」

《拾いの神(ヘッド・ハンティングのプロ)》で知られるアルの愛機は、

【Fortuna : フォルトゥナ号】。

これが地上に降り立つ時、必ず誰かの運命が変わるという。

そして《フォルトゥナの娘》――リズは、恋するヴァルターにこう教えるのだ。

「見込みがあるから、パパはあなたにたくさん仕事をさせるのよ。本当は誰よりも期待してるの。逃げると分かっている人に、みすみす重い仕事を任せる人間がいて?

『運命の女神は意地の悪い顔でやって来て、勇者を試す』――パパの口癖よ」

いつか本で読んだ。「人間に解けない問題は与えられない」と。

難問、難問、また難問……

それこそ血を吐くような思いで、これらの難問を解いてきた。

時には、投げたくなったこともあるし、天に唾して、世の中恨みまくったこともある。

それでもなお、希望を失わずに生きてこれたのは、過去に多くの人間が、同じような目に会い、そのすべてを克服して、自分の仕事を成し遂げてきた事を知っているからだ。

病床ではいつも、聴覚を無くしたベートーヴェンのことを思ったし、失恋した時は、ルー・ザロメに振られて「ツァラトゥストラ」を書いたニーチェのことを思った。

仕事が辛い時には、インドのスラム街を一人裸足で歩き回っていたマザー・テレサのことを思ったし、八方塞がりになった時には、晩年のレンブラントを思った。

耐えられるから「来る」んだと、いつもいつも思ってた。

――私は見所があるから「来る」んだとも。

そうして振り返ってみると、全てのことに意味が有った。

意地悪なフォルトゥナに受けて立ったら、いろんな悦びに巡り合った。

そして、今の『私』がここに居る。

全ての物事は無常であり、人生が禍福の繰り返しであることも、出会った人間とはいつか必ず別れねばならないことも、もうすでに知ってしまったから、恐くない。

こ~んな状況にあっても、いつかまた新しい未来に踏み出し、未だ見ぬ人に出会うことを知ってるから、絶望しない。

「安らぎ」というものは、ふかふかのベッドや温かい暖炉の側にあると思っていたけど、本当はいろんな物事を「知る心」の向こう側にあるのだなあ、と最近気付いた。

なんで悟れば、物事に動じなくなるのか不思議でならなかったけど、それはきっとこういう事なのかもしれない。

十年前なら、確実にヘコんでたワ(笑)。

でもいろいろ「知った」今は、けっこう余裕かましてる。

もっと知れば、もう何にも恐くなくなるだろう。

そして行くとこまで行き着いたら、人間も限りなく神様に近づけるのかもしれない。

初稿: 99/05/26  メールマガジン 【 Clair de Lune 】 より 

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