映画

人類の希望とは何か? 映画『トゥモロー・ワールド』

2011年10月20日

誰もが当たり前のように「明日」が来ると思っている。

人が死んでも、またどこかで生まれ、命の連なりは永遠に無くならないと。

だが、もし、世界中で子供が生まれなくなったら?

女性が出産能力を無くし、このまま子供が生まれなかったら、人類は滅びるしかないと分かったら──?

そんな「まさか」を描いたのが、映画「アフター・トゥモロー」。原題は『Children of Men』直訳すれば「人類の子供たち」。

原因はまったく不明だが、ある時から子供が誕生しなくなり、絶望と混沌に翻弄される人々を描いた凄まじい近未来フィクションだ。

子供が生まれない世界では、「今日、人類最年少の少年が死亡しました。彼は18年と4ヶ月20日、16時間8分の命でした……」というニュースが流れ、未来を失った社会は秩序も産業も崩壊し、英国もテロに明け暮れていた。

そんな中、英国エネルギー省に勤めるセオは、元妻で、地下組織のリーダーであるジュリアンから極秘の仕事を依頼される。

それは奇跡的に妊娠した黒人の少女を、未来のための世界組織『ヒューマン・プロジェクト』に送り届けることだった。

彼女の妊娠が分かれば、それこそ世界中がパニックになり、権力を欲する者は生まれくる命を利用して、利己的に支配するだろう。それを阻止するのが彼らの目的だった。

最初、セオには少女の秘密は知らされていなかったが、妻ジュリアンが殺害されたことで、少女は彼の前で衣類を取る。

もう産み月も近い丸く膨らんだお腹──。

子供の誕生しない世界において、妊娠した少女の姿はまさに「神」そのものだった。

この映画の上手いところは、子供の父親が誰か、まだ幼さの残る無知な少女が、一体、どういう経緯で妊娠するに至ったのか、いっさい説明がなされない点だ。少女はまるで聖母マリアの処女降誕のごとく胎内に子供を宿し、自分でも訳が分からないまま出産しようとしている。普通に考えれば「あり得ない」状況だが、もはや女性が妊娠しないのが当たり前となった世界では、彼女の肉体そのものが神であり、人類に残された唯一の希望としてセオの手に委ねられるのである。

いつ誰が襲いかかってくるか分からない中、セオは身体を張って少女を守り、国外への脱出を試みる。

やがて陣痛が始まった。少女がバスの中でついに破水すると、セオは「尿漏れ」と偽り、群衆を振り切って、薄暗いビルの一室で出産を介助する。

ついに生まれた新しい命。

だが感動にひたっている余裕はない。少女と赤ん坊を無事に送り届けるまで、三人の命の保障はない。

彼らは戦闘に巻き込まれ、銃弾が飛び交う中、廃墟の中を逃げ回った。

そして、激しい銃声の中、奇跡とも思える赤ん坊の泣き声が辺りに響き渡る。

最初に気付いたのは、身を隠していた女たちだ。彼女らは、まるで巡礼者のように物陰から一人、また一人と現れ、神に祈るようにして赤ん坊に触れる。狂ったように銃を撃ちまくっていた兵士たちも、銃を下ろしてその場に立ち尽くした。

この場面、あまり多くは語られないけれど、BGMに聖歌のようなメロディが流れ、廃墟を寺院とした近未来のミサのような演出である。殺伐とした兵士の姿と赤ん坊を腕に抱いた少女の対比が、まるで光と闇を織り上げたようで、私としては映画史に残る名場面に数えたいほどだ。

追っ手を振り切り、海に漕ぎだしたセオと少女と赤ん坊がどんな運命を辿ったか、それはじっくり映画を見て欲しいところだが、どこをどうハッピーエンドにしても、いつまでもトラウマになってしまうのがこの作品の魅力というか、最大の特徴。

これはアーノルド・シュワルツネッガーなヒーロー活劇を期待して見るものではないし、社会的なメッセージを声高に叫ぶお説教ドラマでもない。

「子供の生まれない社会」を体感する、リアルなシュミレーション・ドラマである。

ドラマにおいて、セオは政治的、自己啓発的な主張は一切しないし、少女はひたすら逃げ惑うだけ、群衆は自分の身の回り半径1メートルのことしか考えてないアナーキーな連中ばかり、すべてが淡々と流れて行くが、それだけに観る側に判断を丸投げされ、読後感ならぬ視聴後感が非常に重い。

まあ、脳天気に考えれば「めでたし、めでたし」なんだけど、この作品の「手放しに喜べない感」は、まるでアルプスの向こうは激戦地だった「裏・サウンド・オブ・ミュージック」という感じである。

正直、少女と赤ん坊に明るい未来などあるのかな、という感じ。

日本も少子化・超高齢化が指摘されて久しいが、誰もそこまで危機感を持っているようには思えないし、「作るも作らないも個人の自由」と言い切ってしまえるのは、「その気になれば、いつでも妊娠して子供が産める」と心のどこかで過信しているからだろう。

自分が産まなくても誰かが産むし、私だって、その気になれば、いつでも──なんて、まるで虫かキノコが湧いてくるような感覚でいるのが大半ではあるまいか。

だが、意外と正常妊娠する確率はそこまで高くないし、出産しても、みながみな、無事故・無病で無事に成人するわけではない。「欲しくなったら、いつでも」なんて甘い話ではないのだ。

にもかかわらず、自由に明日を思い描けるのは、五十年後も、百年後も、命は続いて行くと信じているから。もし、あと50年で、人類も、企業も、財産も、何もかも、滅びてなくなると分かれば、「今」には絶望しか残らないだろう。

私たちは「未来」に大きな借りを負っている。自分達が未来を創っているようで、その実、未来に支えられている。そして未来の本質とは「子供」である。

子供うざい、きらい~、という人も、この映画を見れば、さすがに「神」を感じるのではないだろうか。

動画

圧倒的なカメラワークで名場面の一つに数えられる「廃墟の戦闘」。
この部分だけ見れば、「戦場で赤ん坊が泣いてるだけじゃん」と思うけど、人類に残された唯一の赤ん坊、この子が死んだらもう後はない……と分かると、受け取り方がひと味もふた味も違ってくる。
崇高な印象の名シーンです。


日本語版のトレーラー。


関連アイテム

評価が真っ二つに分かれる作品ですね。
アーノルド・シュワルツネッガーなヒーロー活劇を期待すれば裏切られるし、スタートレックなSFシンフォニーでもない。
政治的な主張もないし、お涙ちょうだいドラマでもない。
ただひたすら目の前の事象を淡々と描き出し、後は皆さんで自由に解釈ヨロシク、みたいな、丸投げ作品です。
それが見る人によっては「説明不足」「訳が分からなくて退屈」になるのでしょう。そのタルさも理解できます。
こういう作品は思想も理想も捨てて、感性だけで見るのがおすすめ。
なまじ主張しようなどと思えば、あまりのテーマの重さに嫌気が差すでしょう。
それだけに「何かを感じた時」のインパクトは強烈。
あの戦闘シーンが心に残れば十分だと思います。

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