D・H・ロレンスの名作 『チャタレイ夫人の恋人』

「完訳版より、伏せ字判の方がエロかった」という声を多々聞いた、1995年の完訳版発刊。
今、読み返したら、この描写のどこがエロいのかと首をひねりたくなるような秀作です。
(初版当時は80ページも削除されとったらしい)

性愛文学の頂点に燦然と輝くD・H・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人  Lady Chatterley’s Lover 』は、愛と生を高らかに謳った素敵な恋愛小説です。

物語

コニーは裕福な貴族クリフォード・チャタレイと結婚しますが、夫クリフォードはわずか結婚半年にして戦場で負傷し、下半身不随になってしまいます。
まだ二十三歳の若く美しい妻コニーは、生きている実感が得られぬまま、息の詰まるような日々を送っていましたが、森番のメラーズと出会ってから、女として本当の悦びを知るようになります。
人目を盗んで逢瀬を重ねるうちに、深く愛し合うようになったコニーとメラーズは、階級を超え、しがらみを超え、自由の天地へ旅立っていくのでした。

【魂の愛】- The Love of Souls - ジャン・デルヴィーユ Jean Delville
【魂の愛】- The Love of Souls - ジャン・デルヴィーユ Jean Delville

「それであなたは後悔していらっしゃいますのね?」と彼女が言った。
「ある意味では!」と答えて彼は空を見上げていた。
「もう僕はそういうことは済んでしまったのだと思っていました。
ところがまたこうして始めてしまったのです」
「何を始めたとおっしゃるのです?」
「人生です」
「人生!」と彼女はその言葉にふしぎな戦慄を感じて、おうむ返しに言った。

森番のメラーズに何かしら魅かれたコニーは、森の中にある彼の小屋に頻繁に出掛けるようになります。
そしてある日、孵ったばかりの鶏の雛を手の中に抱くうちに、思わず涙をこぼしてしまったコニーを、彼は静かに小屋に導きいれ、最初の関係をもったのでした。
ぼんやりと、夢でも見るように交わった二人ですが、彼がコニーに「後悔していませんか?」と訊ねると、コニーは「いいえ、いいえ」ときっぱりと返します。
上のやり取りには、“肉体の解放を通じて、魂の幸福を得る”というD・H・ロレンスの思想がよく表れていると思います。
コニーは夫の不随から、メラーズは妻との離婚から、異性と交わることなく、虚ろな日々を過ごしてきました。互いに、“もう誰かと心と身体を通わす事はない”と、半ば諦めにも似た感情にとらわれていただけに、小屋での出来事は二人の胸に思いがけない感動を呼び覚ますのです。
その感動を、「LIFE=生命、人生」という言葉で表わしたロレンスのセンスが大好きです。

男というものはだれでも、ほんとうのことがわかってみると、赤ん坊なんですわ。…〈中略〉…
何か痛いところでもできて世話をしてやってみれば、みな赤ん坊ですの。
ええ、男というものはみな同じようなものですわ

コニーがクリフォードとの生活を通して知った事。
彼女の言葉は実に的を得ています。
男は認めたがらないけど、男ってのはホントに死ぬまで子供子供しています。
いつでも女が母親みたいにヨシヨシしてやらないと、ダメになりやすい生き物みたいです。

自分の肉体のことに気がついた瞬間から、不幸というものが始まるのよ。
だから文明というものが何かの役にたつならば、私たちが肉体を忘却することを手伝ってくれるものでなければなりませんわ。
そうすれば、私たちは自分の肉体に気がつかずに幸福に暮らせますもの

サロンで交わされるセリフの一つです。
「肉体」という言葉には様々な意味が含まれています。
欲望、本能、生命、等々、人間は“精神”だけでは生きられない。その“肉体”に忠実になって初めて、本当の幸福が得られる――と解釈されるかな?
この小説が何十年と発禁にされたり、裁判にかけられたりした社会的背景からも解るように、これが書かれた時代というのは、精神的にも社会的にも規制が厳しく、(キリスト教の思想が大きく影響している)、人が自分(欲望)に正直に生きられない時代でした。
その中で、堂々と肉体=欲望に忠実に生きること、性愛の悦びを描いたロレンスは、ホントにすごいなあと思います。

【受胎】エドヴァルド・ムンク
【受胎】エドヴァルド・ムンク

彼女はもはや、自分で身体を動かして自分の結末をむかえることはできなかった。 これは今までとは違っていた。

彼が彼女の中から滑り出て、離れてしまうという恐ろしい瞬間が来るのを感じて、待ちながら呻いていることができるだけであった。

その間じゅう彼女の子宮は開いて柔らかくなり、潮に揺られるイソギンチャクのように、柔らかく訴え求めていた。

もう一度入ってきて彼女の中を満たしてくれと訴え求めていた。

よく「経験しなければ書けない」という人がいる。
だが、それは大きな間違いだ。
書ける人は経験しようが、しよまいが書けるものだし、書けない人は何をやっても書けないものである。
その証がこれ。
書いたのは、男だよ、男!
女でも、こんなに鮮やかに“その瞬間”は書けないよ。
想像豊かは、創造も豊か。
いったいどうっやってこの一節を書いたのか、聞いてみたい。

【ダナエ】-DANAE - グスタフ・クリムト Gustav Klimt
【ダナエ】-DANAE - グスタフ・クリムト Gustav Klimt

「僕たちは、さっきは一緒にすませたね」と彼が言った。
彼女は答えなかった。
「あんなふうになれるといいものだ。たいていの人々は一生涯生きてもあれがわからずにいるんだ」
と彼はどこか夢見るように言った。

elmgollg

「いちど男を自分の血の中に入れてしまうと、恐ろしいことになります!」
「はい、奥様! そのために辛い思いをするのでございますわ……」
「そんなに長く御主人の感じを覚えていらしたの?」
「まあ、奥様。続くものってほかに何がございましょう? ……ほんとに男というものの暖かさを理解できない女のかたをみますと、たとえどんなに着飾って歩き回っていましても、ただ気の毒なミミズク人形のようにしか見えません……」

彼女もまたずっと昔に夫を亡くした身でした。
そんな年配の未亡人とコニーが交わす言葉がこれ。
女ならではの辛さや淋しさがよく伝わってくる一場面です。

ついに突然、全身の細胞の急所に何かが触れ、彼女は静かだが激しい痙攣をおこしはじめた。
彼女は自分に何かが触れたことを知った。至上の悦びが彼女を襲い、彼女は終わった。

彼女は終わった。消え失せた。
そして生まれた。女として。

そして今、心の中に、彼に対するふしぎな賛嘆の念がめざめた。
一人の男!彼女に与えられた男性のふしぎな力!

いかに彼が美しく感じれらたことか!
どんなに愛すべく、どんなに愛すべく、強く、しかもなお純粋で繊細に感じられたことか!

そして彼の両脚の間にある二つの玉のふしぎな重み!
人間の手の中に柔らかく重たくのっているもののふしぎな神秘の重み!
それはすべての良きものの根だ。すべての全く美しいものの根本だ。

「そして生まれた。女として」という表現が秀逸。
多分、このくだりも伏せ字攻撃にあったのだろう。
すごく綺麗な描写なんですけどねえ。

「俺はお前が好きだ。俺はお前の中に入って行けるんだ」
と彼は言った。
「お前の中へ入って行くとなにもかも忘れてしまう。
おれのためにからだを開いてくれるお前が好きなんだ。
あんな風にお前の中に入って行けるのが嬉しいんだ」

【死と生】グスタフ・クリムト
【死と生】グスタフ・クリムト

「俺は暖かい心というものを信じる。
特に恋愛の暖かい心、暖かい心でする交わりを信じる。
男が暖かい心でやるようになり、女がそれを暖かい心で受け入れるならば、
あらゆることがよくなると信じるね。
冷たい心で女とやるのはまさに死と愚行にすぎない」

「一片の暖かい心というものがすべてを解決するんだ」

【選択】ジョージ・フレデリック・ワッツ George Frederick Watts
【選択】ジョージ・フレデリック・ワッツ George Frederick Watts

「一度ある人間を好きになった経験のある人なら、
もし他の人がぜひとも自分を必要とすれば、 ほとんど誰にでも親切になれますわ。
が、それは同じものじゃありません。それは本当の愛情ではないのです。
本当に誰かを愛した後、もう一度別の男を本心から愛せるとは私は思いませんわ」
「人間はたった一度だけしか愛せないものなの?」
とコニーは訊いた。
「でなかったら、決して愛することなんかできないのですわ。
たいていの女は決して愛しませんし、愛そうともしません。
それがどういう意味か知らないのです。男もそうですわ。

ここでは「愛」にまつわる言葉ばかりをセレクトしましたが、 この作品は、階級制度や工業化、精神と肉体の分離と合一など、奥深い、様々なテーマを扱っています。
鮮烈な性描写ゆえに、その全体像は何十年と伏せられ、歪められてきましたが、時代の流れにより、黒丸ボカシ文字が取っ払われた事は、作者にとっても、読者にとってもホントに喜ばしいことです。
ロレンス氏の類稀なる才能と感性と、禁忌をものともしない創作魂(?)に敬服します!

初稿:1999年秋

関連アイテム

『チャタレイ夫人の恋人』は何度か映画化されたりTVドラマ化されたりしていますが、私が見た中では、シルヴィア・クリステル(『エマニュエル夫人』のお方)のコニーが一番上品で官能的な気がします。
ニコラス・クレイの森番メラーズも甘く優しい印象で、コニーが好きになってしまうのも無理ないかも。

Nicholas Clay and Sylvia Kristel in LADY CHATTERLEY’s LOVER (1981)

私が全編通して見たのは、1993年に制作されたケン・ラッセル版。
コニー役はいまいちだったけど、森番メラーズのショーン・ビーンが素晴らしかった。
ショーンと言えば、『ロード・オブ・ザ・リング 第一作』で、フロドの黄金の指輪をつけ狙い、最後はオークに殺されてしまう、ゴンドールの執政の長子ボロミアを演じていた人。画像が粗いのでわかりにくいけども。

これまで幾度となく映像化されてきたD・H・ロレンスの禁断の文学に、映像の異端派ケン・ラッセル監督が挑戦した問題作。戦争で下半身不随になり不能と化した夫(ジェームズ・ウィルビー)を持ち、満たされない日々を続けていたコニー(ミランダ・リチャードソン)は、やがて森番の男メラーズ(ショーン・ビーン)と関係を持ってしまう。
そもそもはTVミニシリーズと製作されたものを、監督自ら劇場用映画に再編集したもので、そのせいかいつも変質的描写で毎回ファンを驚かせるラッセル作品としてはオーソドックスな仕上がりになっており、逆にそれが驚き。ただし、イギリス貴族社会の描写に力を入れているあたり、彼の反骨の姿勢をくみ取ることは十分可能だろう。(的田也寸志)

Sean Bean [ Lady Chatterley’s Lover ]

メラーズは単なる精力ギンギンの肉体派ではなく、不幸な結婚生活の痛手から逃れるために、あえて森の中に息を潜めるようにして生きている繊細で思慮深い男。
上記で紹介した、

「もう僕はそういうことは済んでしまったのだと思っていました。ところがまたこうして始めてしまったのです」
「何を始めたとおっしゃるのです?」
「人生です」

というやり取りからも分かるように、ゆっくりと死にゆくような空しさの中で、魂の抜け殻のような「肉体だけの生」を生きていたのはメラーズとて同じこと。
夫との交わりを失い、うつろになっていたコニーと、温かい肌の触れ合いを通して、再び魂が息づくような人生を実感できるようになった。
原作における緻密な心理描写を読めば、二人がただ単に快楽をむさぼり合うために逢瀬を重ねていたのではなく、「生きたい」という魂の希求から、ほとばしるようにお互いの肉体を求めた理由に納得が行くはずだ。

それだけに、映画でも、成熟した男の陰影と「女性」に対する優しさがにじみだすような役者が求められる。

その点、ショーンは、下半身だけで生きているようなギンギンとした精力絶倫男でもない、まして、欲望をもてあます上流階級の夫人を前に舌なめずりするような下劣な男でもない、コニーの空しさと生命力を誰よりも理解し、がっちりと抱擁できる男らしい男を渋く演じていた。

この作品を映像化するにあたって一番やって欲しくないのは、交わりのシーンをやたら強調して、どこにでもある男女の不倫話に落としてしまうことだ。

その為にも、森番メラーズは、女性がため息をつくような思慮と優しさを備えた役者に演じて欲しい。

ケン・ラッセル版に関しては、ショーンで成功したように思う。

川崎美枝子の描く劇画『チャタレイ夫人の恋人』

「チャタレイ夫人の恋人」を手っ取り早く理解したいなら、レディコミの大家、川崎美枝子先生のマンガがおすすめ。
美枝子先生らしく、女性の感性が花開く素晴らしいラブ・ストーリーに仕上がっています。
もちろん、ロマンスばかりでなく、小説の背景にある身分格差や上流階級独特の価値観、障害者となったクリフォードの高慢とプライドや生気を失ってゆくコニーの苦しみなど、奥深い部分も丁寧に描写され、小説の世界観を分かりやすく表現されています。

「色ぐるいの有閑マダムのカイカ~ン体験」みたいに思われがちな本作ですが、「誰かと心と肌の温もりを通わせて生きること」の素晴らしさを謳ったものだと心から納得できるはずですヨ。

Photo : http://dvd.netflix.com/Movie/Lady-Chatterley/70207415

Site Footer