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	<title>sanmarie*com &#187; 海外の文学・哲学</title>
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	<description>映画・音楽・書籍レビュー、恋と生き方のエッセー、子育てコラムなど</description>
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		<title>なぜ本を読まなければいけないの？</title>
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		<pubDate>Tue, 11 May 2010 10:49:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿月まり</dc:creator>
				<category><![CDATA[日本の小説とエッセー]]></category>
		<category><![CDATA[海外の文学・哲学]]></category>
		<category><![CDATA[子供の教育としつけ]]></category>
		<category><![CDATA[幸福について]]></category>

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		<description><![CDATA[くたばれ！　読書週間＆読後感想文
多分、君の親も、先生も、「本を読め」としつこく言っていることだろう。
「こんなくだらないマンガばっかり読んで！　●●君は、日本の歴史シリーズを全巻読破してるのよ！」
確かに、本を読むのは [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="hint">くたばれ！　読書週間＆読後感想文</div>
<p>多分、君の親も、先生も、「本を読め」としつこく言っていることだろう。</p>
<p>「こんなくだらないマンガばっかり読んで！　●●君は、日本の歴史シリーズを全巻読破してるのよ！」</p>
<p>確かに、本を読むのはだるい。</p>
<p>字は小さいし、文字は多いし、漢字は難しいし、絵がないから、何がどうなってんだか、直観的に理解できない。</p>
<p>おまけに、学校で推奨される本は、いい子ぶった内容ばかりで、退屈きわまりない。</p>
<p>「●●」なんか読んでいるヒマがあったら、想像を掻き立てられるようなボーイズラブの同人誌でも読んでいた方が楽しかろう。</p>
<p>たまに、おそろしく上手な子がいるからね。</p>
<p>でもな。</p>
<p>そうやって活字が読めるなら、ちょっとだけ真面目な本にも目を向けてみないか。</p>
<p>いきなり世界文学なんか読む必要はないよ。</p>
<p>たとえば、軽いエッセー。</p>
<p>釣りの本。</p>
<p>旅行記。</p>
<p>きれいな写真の入った詩集でもいいし、パソコンの本でもいい。</p>
<p>本屋をぐるりと見渡せば、どんな退屈な人でも、気になるタイトルの一つや二つは見つかるものだ。</p>
<p>見つけたら、恐れずに手を伸ばしてみて。</p>
<p>たとえそれが君にとって恥ずかしいこと、関係ないと思っていることでも、気になったら手にとってみることだ。</p>
<p>「こんなの読んだらバカにされそう。自分が恥ずかしー」とか思ってるようなの。</p>
<p>でも、案外、そこに、君に必要な言葉が書かれているかもしれない。</p>
<p>人が意識的に避けるものの中には、君が本当に必要とするものが入っていることが多い。</p>
<p>だから、意外と、勇気を出して手を伸ばしてみたら、「ああ、そうだったのか」と納得するもんだ。</p>
<p>「本」だって、出会いなんだよ。</p>
<p>勉強じゃないの。</p>
<p>しかも、この出会いにはリスクがない。</p>
<p>裏切られることも、陰口をたたかれることもない。</p>
<p>好きな時に読んで、飽きたら横に置けばいい。</p>
<p>こんな都合良く付き合ってくれる友達はどこにもないよ。</p>
<p>だから、何でも気になるものは、一度手にとって読んでみたらいい。</p>
<p>面白くなければ、「なーんだ、つまらん」で閉じればいいだけの話。</p>
<p>本屋で買わなくても、図書館に行けば全部無料だよ。</p>
<p>今は図書館もゴージャスになって、綺麗なソファがいっぱい置いてあるし、貸し出しだってしてくれる。</p>
<p>リクエストすれば、図書館で購入してくれる。</p>
<p>一銭も使わずに、100冊でも200冊でも読み倒せるのが図書館のいい所だ。</p>
<p>書架の前で立ち読みしていても、本屋みたいに白い目で見られることもないし。</p>
<p>おまけに、みんな一人で来ている人が大半だから、「おひとりさま」でもちっとも恥ずかしくないよ。</p>
<p>ちなみに、今は、CDやDVD、漫画本だって置いてるから。</p>
<p>図書館って、難しい本ばかり置いてる場所じゃないんだよ。</p>
<p>お小遣いがなければ図書館に行ってね。ゲップが出るほど立ち読みすればいい。</p>
<p>そして、気に入った箇所があれば、カウンターの係員に頼んで、コピーしてもらえばいいんだよ。</p>
<p>そうすれば、あっという間に、君だけのアーカイブの出来上がり。</p>
<p>こんな安上がりで便利な場所はないよ。</p>
<p><br/><br />
さて、話を元に戻そう。</p>
<p>本を読む時、一番大事にして欲しいのは、「君自身の感じ方」だ。</p>
<p>学校に行くと、読書感想文の宿題があるよね。</p>
<p>あれって、先生が五重丸くれるような書き方が決まってて、それに添って書けば、みんな褒めてくれるよ、たいがい。</p>
<p>でも、本当に読書を楽しみたければ、そして自分自身の感性を大切にしたければ、五重丸な書き方にこだわってはいけない。</p>
<p>自分の書きたいように書けば、先生は君に三重丸しかくれなかったり、下手すれば、原稿用紙の裏いっぱい、「何故君はそういう風に考えるのか？　普通はこうじゃないか」という返事をビッシリ書き込まれたりするよ。</p>
<p>でも、それでいいんだよ。</p>
<p>中にはそれを面白がって、五重丸どころか、学校代表の作文に推薦してくれる先生も現れるかもしれない。</p>
<p>学校では三重丸でも、コンテストでは金賞を取るかもしれない。</p>
<p>あるいは、君の書くブログに、同世代の仲間がいっぱい共感してくれて、人気者になるかもしれない。</p>
<p>結局のところ、人を惹きつけるのは、五重丸のノウハウではなく、人そのものなのだから。</p>
<p>その場では理解されなくても、君の感じ方、考え方を大事にすればいいんだよ。</p>
<p>実社会に出れば、いろんな意味で、より「君らしさ」が要求される。</p>
<p>その時、いつも「ウケねらい」の考え方では、しまいに自分を無くすだろう。</p>
<p>時に、君の考えは、周囲には受け入れがたく、反抗的とみなされるかもしれない。</p>
<p>でも、反抗は、若い子の特権だから。</p>
<p>何にでも「イヤイヤ」するだけの反抗は、ただの子供の癇癪だけど、親や先生がムキになって反論してくるだけの意見を君がはっきり主張できるなら、それは「自分の意見」「自分の感じ方」として大切に持ち続ければいい。</p>
<p>いずれ、答えは出る。</p>
<p>そして、最終的には、それが君の最大の強みになるんだ、今は分からなくてもね。</p>
<p><br/><br />
本の読み方も人それぞれ。</p>
<p>「こう感じなければならない」という法則はどこにもない。</p>
<p>人間社会も、気の合うヤツもいれば、会わないヤツもいるのと同じで、本にだって相性はある。</p>
<p>ただ、頭から、「これは必要ない」と決めつける食わず嫌いは勿体ない。</p>
<p>興味が湧けば、どんな本にでも首を突っ込んでみよう。</p>
<p>読書はノーリスク、君が傷つくことなど何一つないよ。</p>
<p><br/><br />
そうして、心の琴線に触れるものをいっぱい読んでいくうちに、いつか君は気付くだろう。</p>
<p>君は本を通して、どんな人とでも友達になれる、ということを。</p>
<p>何千年も前に生きたギリシャの哲人、歴史に残る偉人や武人、現実には絶対に会うこともできない有名人。</p>
<p>本を読めば、そういう人達が、君に優しく語りかけてくれる。</p>
<p>困った時、辛い時、言葉の向こうから、きっと君を支えてくれる。</p>
<p>君がその文章を理解した時、今はもうこの世にないあの偉い人が、君に微笑みかけてくれるのを魂で体験するだろう。</p>
<p>「よくがんばったね、それでいいんだよ」って。</p>
<p>そういう魂の体験を繰り返すうちに、君はだんだん生きるのが楽しくなるし、人間に生まれてよかった、と心の底から思えるようになるだろう。</p>
<p>だって、もし君が金魚やメダカに生まれていたら、こんな素晴らしい体験はできなかったわけだからね。</p>
<p><br/></p>
<p>人が死ぬ時、あの世に持って行けるのは、「魂の体験」だけだ。</p>
<p>幸福か不幸かは関係ない。</p>
<p>「美しい言葉に出会った」「こんな素晴らしい体験もした」──そういう実感だけが、死に際の君を本当に幸せにする。</p>
<p>そういう幸せの一つの入り口として『読書』がある。</p>
<p>大人が「本を読め」というのは、本当の意味は、「幸せを体験してね」という願いなんだよ。</p>

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		<item>
		<title>『ジャガイモを食べる人々』ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの時代から</title>
		<link>http://sanmarie.me/essay-20</link>
		<comments>http://sanmarie.me/essay-20#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 05 May 2010 08:26:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿月まり</dc:creator>
				<category><![CDATA[海外の文学・哲学]]></category>
		<category><![CDATA[人間のこと]]></category>

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		<description><![CDATA[先週、ガラスで指を切る前に買ったジャガイモ２キログラム。
一週間、水仕事が出来ない間にすっかり芽吹いて、ジャガイ・ヨシノ状態になってしまった。
「おめぇ、こんな所で満開して、どうするんじゃい」
と一人でツッコミを入れなが [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>先週、ガラスで指を切る前に買ったジャガイモ２キログラム。</p>
<p>一週間、水仕事が出来ない間にすっかり芽吹いて、ジャガイ・ヨシノ状態になってしまった。</p>
<p>「おめぇ、こんな所で満開して、どうするんじゃい」</p>
<p>と一人でツッコミを入れながら、しょうーがないので皮剥き。</p>
<p>とにかく、取れるだけ芽を取って、マッシュ･ポテトにするしかない。</p>
<p>あの芽の部分って、毒素があるそうだから。</p>
<p>「一家四人、芽吹いたジャガイモを食べて、死亡」なんて三面記事が載ったあかつきには、親族中、末代まで笑いものだゾ。</p>
<p></br><br />
ところで、悲劇の天才画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの初期の傑作に、「ジャガイモを食べる人々」という作品がある。<br />
後期の印象派的な作品からは想像もつかないほど写実的で、ドラマティックな一枚だ。</p>
<div id="attachment_11020" class="wp-caption aligncenter" style="width: 280px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/04/gogh21.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/04/gogh21-270x195.jpg" alt="【ジャガイモを食べる人々】ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ" width="270" height="195" class="size-medium wp-image-11020" /></a><p class="wp-caption-text">【ジャガイモを食べる人々】ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ</p></div>
<p></br></p>
<p>昔から、ジャガイモは貧しい人々が頼りとする食べ物だった。</p>
<p>生命力が強く、厳しい環境でも──野菜カゴに置きっぱなしにしていても──青々と芽吹いて、実を結ぶジャガイモは、その日その日を食いつなぐのに精一杯の人々の生きる糧として重宝されてきた。</p>
<p>そうした人々が寄り合い、ジャガイモを食べる風景を描いたこの作品は、ゴッホの人間を見つめる真摯な眼差しと、写実的な技量を物語る傑作として今も高く評価されている。</p>
<p>そして、この風景は、時を超え、形を超え、今もヨーロッパの食卓に生きている。</p>
<p>主食といえば、茹でたジャガイモ。</p>
<p>ポーランド人の中には、「白いご飯＋肉じゃが」という組み合わせを嫌う人もいる。</p>
<p>彼らにしてみれば、「主食が二つ」だからだ。</p>
<p>うちのオットも、「ご飯」は主食だとは思っていない。</p>
<p>いわば日本人における菓子パンのようなもので、主食にご飯を出すと、後で必ずといっていいほど「フレブ（ナチュラルな長いパン）」を食べなおす。</p>
<p>ご飯だけだと、主食を摂った気がしないらしい。</p>
<p>私に言わせれば、ジャガイモは「おかず」で、ポーランドの一般的な「肉＋サラダ＋マッシュポテト」という夕食のプレートは、「主食がねえ～よ」ってことになるんだけどね^_^;<br />
</br></p>
<p>ともあれ、「主食」だの「おかず」だのと、こだわることができるだけ恵まれているとも言える。</p>
<p>昔は、もっともっと貧しくて、ゴッホの絵のように、茹でたジャガイモに塩をふりかけただけのようなものを食べていた時代もあったのだから。</p>
<p></br><br />
芽の出たジャガイモなんか捨てちまえ～～～　なんて、全く思わない、と言えばウソになる。</p>
<p>もう一週間たって、ヒガヒガしかけてるんだし。新しいのを買いに走りたいよ。１キロ３０円ぐらいだモン。<br />
</br></p>
<p>でも、２キロのジャガイモをがさっと捨てることは、やはり出来ない。</p>
<p>ゴッホの絵が「そんなこと、しないでね」と言ってるから。<br />
</br></p>
<p>だから、ありがたくいただきます。きれいに芽を取ってね。</p>

<a href="http://twitter.com/?status=RT+%40sanmariecom%3A+%E3%80%8E%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%80%85%E3%80%8F%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%9B%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%8B%E3%82%89+-+sanmarie%2Acom+http%3A%2F%2Ftinyurl.com%2F26xcg8m" class="tweet-this" ><div align="right"><img src="http://www.sanmarie.me/sanmarie/wp-content/plugins/simple-tweet/img/tweet.gif" title="ツイート" alt="ツイート" />ツイート</div></a>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>ドストエフスキーの名作『罪と罰』 米川正夫・訳の抜粋　/  『謎とき　罪と罰』江川卓</title>
		<link>http://sanmarie.me/crime_punishment</link>
		<comments>http://sanmarie.me/crime_punishment#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 05 May 2010 08:10:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿月まり</dc:creator>
				<category><![CDATA[海外の文学・哲学]]></category>
		<category><![CDATA[キリスト教]]></category>
		<category><![CDATA[ドストエフスキー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://sanmarie.me/crime_punishment</guid>
		<description><![CDATA[あまりにも、あまりにも有名なロシアの文豪、ドストエフスキーの不朽の名作。

超個人主義に徹する貧しい大学生ロジオン・ラスコーリニコフは、『人間は凡人と非凡人とに分かれ、非凡人は既成道徳をも踏み越える権利を有する』 『一つの些細な犯罪は、数千の善事で償われる』という理論のもとに、強欲な高利貸の老婆を殺害し、奪った金を有効に転じようとします。
しかし、偶然その場に居合わせた老婆の妹まで殺害したことから、罪の意識にさいなまれます。
けれど、哀れな境遇ながらも、深い信仰に支えられる聖なる娼婦ソーニャによって、彼の心は救われ、ついに自らを、法と神の手にゆだねるのでした。。。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2009/12/28　追記</p>
<p>米川正夫さんによる名訳は、2008年に角川文庫から復刊していました。<br />
海外在住につき、全然気がつきませんでした。<br />
私が日本に居た頃は、旧出版元に問い合わせても「絶版」と言われていたので、1998年秋にこの記事を立ち上げた次第です。<br />
しかしながら、米川版を知って欲しいという気持ちは今も変わりませんので、以下の記事は修正せずに置いておきます。<br />
まだ読んだことがない方も、ぜひ角川の復刻版を体験して下さい。</p>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4042087175&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>それにしても角川のブックカバーはセンスがありますね。<br />
私も欲しくなりました。</p>
<h3>§ 『罪と罰』について</h3>
<p>あまりにも、あまりにも有名なロシアの文豪、ドストエフスキーの不朽の名作。</p>
<p>超個人主義に徹する貧しい大学生ロジオン・ラスコーリニコフは、『人間は凡人と非凡人とに分かれ、非凡人は既成道徳をも踏み越える権利を有する』 『一つの些細な犯罪は、数千の善事で償われる』という理論のもとに、強欲な高利貸の老婆を殺害し、奪った金を有効に転じようとします。<br />
しかし、偶然その場に居合わせた老婆の妹まで殺害したことから、罪の意識にさいなまれます。<br />
けれど、哀れな境遇ながらも、深い信仰に支えられる聖なる娼婦ソーニャによって、彼の心は救われ、ついに自らを、法と神の手にゆだねるのでした。。。</p>
<h3>§ 『罪と罰』名場面</h3>
<p>引用は、昭和２６年に発行された『新潮文庫 「罪と罰」　訳 ：米川 正夫 』です。<br />
訳自体が古いせいもあって現在では絶版になっていますが、格調高い名訳だと思います。<br />
絶版になってしまったのが非常に悔やまれます。<br />
(表紙のデザインも古典的で良い。私は米川版を手に入れるのに、古本屋を探し回りました）</p>
<p>「米川版＝悪文」という見方もありますが、これは読み手の好みにもよるでしょう。</p>
<p>私は、古めかしい、もったいぶった言い回しが好きなので、米川版を一押しです。</p>
<div class="myvideo">преступление и наказание　映画『罪と罰』より　イメージクリップ<br />
<p><a href="http://sanmarie.me/crime_punishment"><em>Click here to view the embedded video.</em></a></p></div>
<p></br></p>
<blockquote><p>
ところで、一たい人間は 何をもっとも恐れているんだろう？<br />
新しい一歩、新しい自分自身の言葉、これを何よりも恐れているんだ。<br />
一体、“あれ”が俺に出来るのだろうか？<br />
そもそも“あれ”が真面目な話だろうか？</p>
<p>『神様！』と彼は祈った。<br />
『どうかわたくしに自分の行くべき道を示してください。<br />
わたくしはこの呪わしい……妄想を振り捨ててしまいます！』
</p></blockquote>
<p>屋根裏部屋に下宿する大学生のロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフは、貧しさに喘ぎながら、もう何日も一つの考えにとらわれています。それは悪どい高利貸の老婆アリョーナ・イヴァーノヴナを殺害し、その金を善事に役立てるというものでした。</p>
<p>“無知で何の価値も無いような意地悪な婆”は生きていても仕方が無い――そんな婆はいっそ殺して、その鐘を万人の福祉に役立てた方がよっぽど有効ではないか。</p>
<p>殺人は絶対悪であるけれど、ある正義のもとでは正当化される。</p>
<p>すべての人間は、『凡人』と『非凡人』に分かれ、ナポレオンやニュートンのような『非凡人』は、ある一線を踏み越え、新しい法律を創造する権利を有する――というのが彼の理論なのです。</p>
<p>そんな彼も、一度は良心の叫びから誘惑を振り切ろうとしました。</p>
<p>しかし、偶然、彼は翌日の夜七時にアリョーナが一人きりになることを聞きつけ、その後、彼と同じ理論を展開する大学生と将校のやり取りを耳にします。</p>
<div id="attachment_10108" class="wp-caption aligncenter" style="width: 280px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/michela5.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/michela5-270x256.jpg" alt="【楽園追放 】～ The Fall from Grace ～ ミケランジェロ・ブオナローティ Michelangelo Buonaroti" width="270" height="256" class="size-medium wp-image-10108" /></a><p class="wp-caption-text">【楽園追放 】～ The Fall from Grace ～ ミケランジェロ・ブオナローティ Michelangelo Buonaroti</p></div>
<blockquote><p>
やつを殺して、やつの金を奪う、ただしそれは後でその金を利用して、全人類への奉仕、 共同の事業への奉仕に身を捧げるという条件付きなのさ。<br />
どうだね、一個の些細な犯罪は、数千の善事で償えないものかね？<br />
たった一つの生命のために、数千の生命が堕落と腐敗から救われるんだぜ。<br />
一つの死が百の生にかわるんだ。
</p></blockquote>
<p>彼はついに斧を手に取り、それを「実行」しました。</p>
<p>しかし、たまたまその場に居合わせた、アリョーナの善良な妹リザヴェータまで殺害したことで、彼は激しい罪の意識にさいなまれるようになります。</p>
<div id="attachment_10109" class="wp-caption aligncenter" style="width: 226px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/8bernard.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/8bernard-216x270.jpg" alt="【 ナポレオンのアルプス越え】Napoleon Crossing the Saint Bernard  ジャック・ルイ・ダヴィッド Jacques Louis David" width="216" height="270" class="size-medium wp-image-10109" /></a><p class="wp-caption-text">【 ナポレオンのアルプス越え】Napoleon Crossing the Saint Bernard  ジャック・ルイ・ダヴィッド Jacques Louis David</p></div>
<p>老婆殺害を正当化するあたり、ラスコーリニコフが引き合いに出すのがナポレオンです。<br />
ナポレオンのように突出した『非凡人』は、己を実現するために、正義や法律を踏み越える権利を持っている――というのが、彼の持論なのです。<br />
こうした論理は、ラスコーリニコフに限らず、自己肥大した現代人の本質を物語っていないでしょうか。<br />
「自分だけは特別」という自惚れ、「特別ゆえに踏み越えることが許される」という傲慢さ、それらを裏付けるのが、ラスコーリニコフの「非凡人説」だと思います。</p>
<blockquote><p>
即ち、『非凡人』は、ある種の障害を踏み越えることを自己の良心に許す権利を持っている。<br />
人は自然の法則によって、概略二つの範疇にわかれている。<br />
つまり自分と同様なものを生殖する以外に何の能力もない、いわば単なる素材に過ぎない低級種族（凡人）と、いま一つ真の人間、即ち自分のサークルの中で新しい言葉を発する天稟なり、才能なりを持っている人々なのです。<br />
第一の範疇は現在の支配者であり、第二の範疇は未来の支配者であります。<br />
第一の範疇は世界を保持して、それを量的に拡大して行く。<br />
第二の範疇は世界を動かして、目的に導いて行く。<br />
だから両方とも同じように、完全な存在権を持っているのです。
</p></blockquote>
<p>老婆の殺人事件を担当するにあたり、ラスコーリニコフこそ真犯人ではないかと疑う判事ポルフィーリィは、『非凡人はすべてを踏み越える権利を持つ』と説いた彼の論文を引き合いに出し、彼を追及します。</p>
<blockquote><p>
あらゆる人間が、『凡人』と『非凡人』に分かれるという点なのさ。<br />
凡人は常に服従をこれ事として、法律を踏み越す権利なんか持っていない。<br />
ところが非凡人は、特にその非凡人なるがために、あらゆる犯罪を行い、いかなる法律をも踏み越す権利を持っている、たしかそうでしたね……
</p></blockquote>
<p>こうしたラスコーリニコフの「非凡人説」に対して、ポルフィーリは非常にシンプルな問いかけをします。</p>
<blockquote><p>
一体どいういうところで、その非凡人と凡人を区別するんです？<br />
生まれる時に何かしるしでもついてるんですか。<br />
さもないと、もしそこに混乱が起こって、一方の範疇の人間が、自分はほかの範疇に属してるなどと妄想を起こして、あなたの巧い表現を借りると、『あらゆる障害を除き』始めたら、その時はそれこそ……
</p></blockquote>
<p>「その時はそれこそ……」に続く言葉は、『あらゆる悪が正当化される』といったところでしょうか。<br />
これが単なる「小説の一セリフ」ではなく、現代に対する「預言」であることは、近年おこった事件・問題を見ればよく分かります。<br />
自分自身を基準にして、物の善悪や要・不要を判断し、自分の気に入らないもの、要らないものは簡単に排除してしまう、その利己的な傾向を「一方の範疇の人間が、自分はほかの範疇に属してるなどと妄想を起こして、『あらゆる障害を除き』始めたら」という言葉で表現しているのです。<br />
言葉はシンプルですが、非常に恐ろしい含みがあります。</p>
<p>そんなラスコーリニコフに対し、ポルフィーリィは、「<strong>ではその男の良心はどうなるのか？</strong>」と問い掛けます。<br />
すると、さっきまで俊敏に切り返していたラスコーリニコフの論調がはたと鈍ります。<br />
そして、ポルフィーリィはさらに彼を追及し、疑念を確信へと変えてゆくのでした。</p>
<p>こちらはロシア映画『罪と罰』より老婆殺しの場面。<br />
江川卓さんの『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4106003031?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4106003031">謎とき『罪と罰』 (新潮選書)</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4106003031" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" />』にも解説がありますが、よく見ると、ラスコーリニコフは老婆を峰打ちにしています。<br />
つまり、斧の刃は自分自身に向けられており、それが意味するところは、「自分自身の死」なのです。</p>
<p>この作品は、「良心の死」＝ラスコーリニコフは老婆を殺害すると同時に、人間としての自分の魂をも殺してしまった、その『キリスト教的復活』を描いた作品ですから、この場面で『峰打ち』を用いたドストエフスキーの手法は、まさに完璧で緻密としか言い様がありません。</p>
<p>しかも、偶然その場に居合わせた大女のリザヴェータを殺害する時は、刃を振り下ろしています。</p>
<p>峰打ちで老婆を殺害し、人間としての良心を失ったラスコーリニコフは、リザヴェータを殺害する時はすでに「完全な殺人者」となっており、だからこそ、この第二の殺害が心に重くのしかかる――という流れを理解すると、この場面が、単なる「殺人」を描いたものではないことがよく分かります。</p>
<div class="myvideo">преступление и наказание　『罪と罰』　老婆殺しのシーン<br />
<p><a href="http://sanmarie.me/crime_punishment"><em>Click here to view the embedded video.</em></a></p></div>
<p>そんなラスコーリニコフにも愛する家族がありました。<br />
利発で美しい妹のドゥーネチカと、父亡き後、必死で二人の子供を育て上げた母親です。<br />
しかし、ドゥーネチカは、ラスコーリニコフの妹ドゥーネチカは、貧苦の兄を助けるために、愛してもいない金持ちの男ルージンと婚約します。<br />
妹の純粋な愛と犠牲は、彼の心に重くのしかかり、彼をますます追い詰めるのでした。<br />
このセリフは、『己一人のみ愛せよ、何となれば、この世の一切は個人的利益に基づけばなり』と、個人の利益追求が社会全体に利益をもたらすと説くルージンに対し、ラスコーリニコフが切り返す言葉です。</p>
<blockquote><p>
あなたがさっき主張したことを、極端まで押しつめると、<br />
人を斬り殺してもいい、ということになりますよ……
</p></blockquote>
<p>ここで説かれる「究極の利己主義」は、ラスコーリニコフの「悪賢い老婆を殺害し、奪った金を社会に役立てる」という考えに共通しています。<br />
『罪と罰』が「現代の預言書」と呼ばれる所以は、心の指針である「キリストの愛と教え」から離れ、各々が身勝手な欲求のもとに行動するようになる、現代人の心の闇をいち早く指摘した点にあり、ここでいやらしいほどに強調されるルージンの強欲さがその闇を物語っているように思います。</p>
<blockquote><p>
一人の死刑を宣告された男が、処刑される一時間前にこんなことをいうか、考えるかしたって話だ。<br />
もし自分がどこか高い山の頂上の岩の上で、やっと二本の足を置くに足るだけの狭い場所に生きるような羽目になったら、どうだろう？<br />
周りは底知れぬ深淵、大洋、永久の闇、そして永久の孤独と永久の嵐、この万尺の地に百年も千年も、永劫立っていなければならぬとしても、今すぐ死ぬよりは、こうして生きている方がましだ。<br />
ただ生きたい、生きたい、生きて行きたい！<br />
どんな生き方にしろ、ただ生きてさえいられればいい！<br />
この感想は何という真実だろう！ ああ、全く真実の声だ！<br />
人間は卑劣漢にできている！<br />
またそういった男を卑劣漢よばわりするやつも、やっぱり卑劣漢なのだ。</p>
<p>ラスコーリニコフの言葉</p></blockquote>
<p>このラスコーリニコフの独白は、絶対的な心の指針から離れ、心の拠り所を亡くした人間の心情をよく物語っています。<br />
にもかかわらず、「（信仰にしたがい、良き人間として）生きたい」と願う。<br />
ここに彼の抱える強烈なアンビバレンツがあり、だからこそ、踏み止まることではなく、「一線を越える」ことを選んだラスコーリニコフの悲劇が際立つのだと思います。</p>
<div id="attachment_10110" class="wp-caption aligncenter" style="width: 275px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/bosch32.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/bosch32-265x270.jpg" alt="【 放蕩息子の帰還】－The Wayfarer－ ヒエロニムス・ボス Hieronymus Bosch" width="265" height="270" class="size-medium wp-image-10110" /></a><p class="wp-caption-text">【 放蕩息子の帰還】－The Wayfarer－ ヒエロニムス・ボス Hieronymus Bosch</p></div>
<p>そんなラスコーリニコフは、ふと立ち寄った酒場で、退職官吏のマルメラードフに出会います。<br />
マルメラードフは、せっかく得た生活費もみな酒代に使い込んでしまうような酔っぱらいで、家族が食いつなぐ為に、とうとう娘ソーニャに身売りまでさせますが、そのわずかな稼ぎさえもせびって飲んでしまうような有様でした。</p>
<blockquote><p>
貧は悪徳ならずというのは、真理ですなあ。<br />
ところで、洗うがごとき赤貧となるとね、書生さん、洗うがごとき赤貧となるとこれは不徳ですな。<br />
素寒貧となると、第一自分のほうで自分を侮辱する気になりますからな。
</p></blockquote>
<p>この言葉は、「貧しさ」というものの本質を突いています。<br />
「自分で自分を侮辱する気になる」というのは、貧しさゆえに自尊心が傷ついた人間の率直な気持ちと言えるでしょう。</p>
<blockquote><p>
<strong>どんな人間にしろ、せめてどこかしら行くところがなくちゃ、やり切れませんから。</strong>
</p></blockquote>
<p>深い言葉です。<br />
「行くところ」というのは、いわゆる「心の拠り所」を意味するのだと思います。<br />
退職官吏のマルメラードフは、いわば社会との接点を無くし、家族からも愛想を尽かされているような男で、当然、彼に慕い寄る友人もなければ、敬意を払ってくれる人もありません。<br />
いわば、友もなく、仕事もなく、自分の居場所すらない孤独な人間であり、どこにも「行く当て」がないのです。<br />
人間が「社会的存在」であることを考えると、どこにも「行く当てがない」というのは、いわば生殺しのような状態であり、誰にも必要とされず、やるべき仕事もないのは、空しさの極みと言えるでしょう。<br />
その気持ちを、マルメラードフの「やりきれない」という言葉で表現しています。<br />
そして、この「やりきれなさ」は、同時に、キリストの愛と教えから離れ、心の拠り所を失った現代人の孤独と不安を見事に言い当てているのです。</p>
<blockquote><p>
ただ万人を哀れみ、万人万物を解する神様ばかりが、われわれを憐れんでくださる。<br />
最後の日にやって来て、こう訊ねて下さるだろう。<br />
『意地の悪い肺病やみの継母のために、他人の小さい子供らのために、われと我が身を売った娘はどこじゃ？<br />
さあ来い！ わたしはもう前に一度お前を赦した……<br />
もう一度お前を赦してやったが……今度はお前の犯した多くの罪も赦されるぞ……』<br />
こうして、娘のソーニャは赦されるのだ。
</p></blockquote>
<p>飲んだくれのマルメラードフにも良心の疼きというものがありました。<br />
それは、愛する娘のソーニャを売春婦にまで落としてしまったことです。<br />
彼は馬車に轢かれ、絶命しますが、（この一件がラスコーリニコフとソーニャを引き合わせます）、死の間際、彼は必死に神に赦しをこい、最期は愛する娘ソーニャの腕の中で息を引き取ります。</p>
<p>この場面は、後のラスコーリニコフの「良心の回帰」の伏線になっていて、作品の重要なキーワードである『赦し』が初めて登場するんですね。<br />
この『赦し』の意味を正しく理解するか否かで、読後がまったく違ってきます。<br />
ある意味、この場面に、作品の本質が集約されていると言っても過言ではありません。</p>
<div id="attachment_10111" class="wp-caption aligncenter" style="width: 231px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/titian26.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/titian26-221x270.jpg" alt="【マグダラのマリア】 ～Mary Magdalene～  ティツィアーノ Tiziano Vecelio" width="221" height="270" class="size-medium wp-image-10111" /></a><p class="wp-caption-text">【マグダラのマリア】 ～Mary Magdalene～  ティツィアーノ Tiziano Vecelio</p></div>
<p>マルメラードフの死をきっかけに、ラスコーリニコフは信心深い娘のソーニャと出会います。<br />
家族を養うため、娼婦に身を落としながらも、決して神の教えを忘れない高潔な女性です。</p>
<blockquote><p>
『じゃ、なんですの、カチェリーナ・イヴァーノヴナ（ソーニャの継母）、私どうしてもあんなことをしなくちゃなりませんの』<br />
『それがどうしたのさ。何を大切がることがあるものかね？ 大した宝物じゃあるまいし！』<br />
ソーニャは立ち上がりましてな、ショールをかぶって、マントを引っかけ、そのまま家を出て行きましたが、八時過ぎに戻ってきました。<br />
はいるといきなり、カチェリーナのところへ行って、黙って三十ルーブリの銀貨をその前のテーブルにならべました。<br />
やがてカチェリーナが、これもやはり無言で、ソーニャの寝台の傍に寄りましてな、一晩じゅうその足元に膝をついて、足に接吻しながら、やがて二人はそのまま一緒に寝てしまいました…
</p></blockquote>
<p>しかし、そんなソーニャの犠牲と献身も、ラスコーリニコフの目には次のように映ります。</p>
<blockquote><p>
ああ、えらいぞ、ソーニャ！<br />
だが何といういい井戸を掘りあてたものだ！<br />
しかも、ぬくぬくとそれを利用している！<br />
平気で利用してるんだからな！<br />
そして、ちょっとばかり涙をこぼしただけで、すっかり慣れてしまったんだ。<br />
人間て卑劣なもので、何にでも慣れてしまうものだ。
</p></blockquote>
<p>身売りすることにより、キリストの教えから「一線を踏み越えた」ソーニャは、いわば殺人者のラスコーリニコフと同類です。</p>
<p>初めは泣いて悲しんだ娘も、いずれその悪に染まって何も感じなくなってしまうものだ――というのが、彼のソーニャに対する第一印象であり、彼女に罪を告白した時も、</p>
<blockquote><p>&#8220;&gt;<br />
「今の僕にはお前という人間があるばかりだ。<br />
僕らはお互いに詛（のろ）われた人間なのだ。<br />
だから一緒に行こうじゃないか！<br />
お前もやっぱり踏み越えたんだよ……どうしたらいいかって？<br />
破壊すべきものを一思いに破壊してしまう、それだけのことさ。<br />
そして苦痛を一身に負うのだ！」
</p></blockquote>
<p>「だから一緒に行こう」というのは、キリストから離れて、彼の説く利己主義な人生への誘いです。<br />
ここで言われる「破壊すべきもの」というのは、いまだ心に残っている人間としての良心と信仰であり、ラスコーリニコフはそれらの一切を捨て去って、欲望のおもむくままに生きようとソーニャを誘っているのです。</p>
<p>しかし、ソーニャの信仰心は揺るぎません。<br />
キリストを信じ、『神様が守ってくださいます！』と繰り返す彼女に対し、ラスコーリニコフは意地の悪い快感を覚えながらこんな言葉を投げかけます。</p>
<blockquote><p><strong>だが、もしかすると、その神様さえまるでないのかもしれませんよ。</strong></p></blockquote>
<div id="attachment_10112" class="wp-caption aligncenter" style="width: 249px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/signorelli2.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/signorelli2-239x270.jpg" alt="【 トマスの疑い 】－ Doubting Thomas － ルカ・シニョーリ Luca Signorelli" width="239" height="270" class="size-medium wp-image-10112" /></a><p class="wp-caption-text">【 トマスの疑い 】－ Doubting Thomas － ルカ・シニョーリ Luca Signorelli</p></div>
<p>『ソーニャの取るべき道は三つある。濠へ身投げするか、病院に入るか、淫蕩の直中へ飛び込むか』。</p>
<p>にもかかわらず、ソーニャが心の清浄を保ち続けてきた理由が、罪という観念であり、家族への愛であり、神に対する信仰であることを悟った時、ラスコーリニコフは神秘的な思いでつぶやきます。</p>
<blockquote><p>
どうしてそんなけがらわしい賤しいことと、<br />
それに正反対な神聖な感情が、ちゃんと両立していられるんだろう？
</p></blockquote>
<p>そして、ラスコーリニコフは、彼女の箪笥の上にあった新約聖書の『ラザロの復活』を読んでくれるよう求めます。</p>
<p>ラザロの復活は、「ヨハネの福音書」に記されています。</p>
<p><font color="midnightblue"><br />
:::::::</p>
<p>マリアとマルタの兄弟ラザロが、病気であった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、それを知らせた。<br />
イエスはマリア、マルタ、ラザロを愛していた。<br />
イエスが行くと、四日前にラザロは亡くなっていた。<br />
イエスは涙を流し、どこに葬ったか訊ねた。<br />
墓は洞穴で、石でふさがれていた。イエスはその石を取りのけるよう言った。<br />
マリアは「四日もたっていますから、もうにおいます。」と言った。<br />
イエスは、信じるなら神の栄光がみられる、と言った。<br />
人々が石を取りのけると、イエスは天をあおいで言った。<br />
「父よ、わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。<br />
あなたがわたしの願いを聞き入れてくれるのは、周りの人々に信じさせるためです。」<br />
こう言ってから、「ラザロ、出てきなさい」と叫んだ。<br />
するとラザロが、手と足を布で巻かれたまま出てきた。<br />
顔は覆いで包まれていた。<br />
イエスは周りの人々に「ほどいてやって、行かせなさい」と言った。</p>
<p>:::::::<br />
</font></p>
<p>普通に読めば、死者がびっくり蘇るインチキみたいな話ですが、これは、キリストによる「心の目覚め」を描いた寓話とされています。<br />
「死んだラザロ」とは、心を失った状態の人間であり、「信じるなら神の栄光が見られる」というのは、「あなたが神の教えを信じるなら、迷いや苦しみから解き放たれ、真の心の平和と命を得ることができる」という教えです。</p>
<p>つまり、ラスコーリニコフは、老婆の殺害によって「死んだラザロ」であり、ソーニャ＝神こそが、彼の死んだ良心を蘇らせる唯一のものであることを示唆しているのです。</p>
<div id="attachment_10113" class="wp-caption aligncenter" style="width: 238px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/raising-lazarus.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/raising-lazarus-228x270.jpg" alt="【ラザロの復活 】－ Raising ｏｆ Lazarus － レンブラント・ファン・レイン Rembrandt van Rijn" width="228" height="270" class="size-medium wp-image-10113" /></a><p class="wp-caption-text">【ラザロの復活 】－ Raising ｏｆ Lazarus － レンブラント・ファン・レイン Rembrandt van Rijn</p></div>
<blockquote><p>
歪んだ燭台に立っている蝋燭の燃えさしは、<br />
奇しくもこの貧しい部屋の中に落ち合って、<br />
永遠な書物をともに読んだ殺人者と淫売婦を、<br />
ぼんやり照らし出しながら、もうだいぶ前から消えそうになった。
</p></blockquote>
<p>ソーニャによって「ラザロの復活」が語られるのは、小説の第四編――死したラザロがキリストの呼びかけによって蘇る“四日目”の奇跡になぞらえられています。（ちなみに『罪と罰』は、神が世界を創造したとされる「7日」になぞらえて、7章立てになっています）<br />
奇しくも、ソーニャがラスコーリニコフに読んで聞かせる聖書は、彼が殺したリザヴェータがソーニャに与えたものでした。<br />
ドストエフキーが「罪と罰」で描きたかった主題のすべてがここにこめられています。</p>
<blockquote><p>
<strong>僕はお前に頭を下げたのじゃない。<br />
僕は人類全体の苦痛の前に頭を下げたのだ。</strong>
</p></blockquote>
<p>歴史に残る名セリフです。<br />
ソーニャの一途で美しい心に打たれたラスコーリニコフは、彼女の前で全身を屈め、涙する彼女の足に接吻します。</p>
<div id="attachment_10114" class="wp-caption aligncenter" style="width: 217px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/feti2.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/feti2-207x270.jpg" alt="【マグダラのマリア】～Mary Magdalene ～ドメニコ・フェティ　Domenico Feti" width="207" height="270" class="size-medium wp-image-10114" /></a><p class="wp-caption-text">【マグダラのマリア】～Mary Magdalene ～ドメニコ・フェティ　Domenico Feti</p></div>
<blockquote><p>
「何だってあなたはご自分に対して、そんなことをなすったんです！」<br />
「お前はなんて妙な女だろう。僕がこんなことをいったのに、抱いて接吻するなんて。<br />
お前、自分でも夢中なんだろう」<br />
「いいえ、いま世界中であなたより不幸な人は、一人もありませんわ！」<br />
「じゃ、お前は僕を見捨てないんだね、ソーニャ？」<br />
「わたしはあなたについて行く、何処へでもついて行く！<br />
わたし懲役へだってあなたと一緒に行く！
</p></blockquote>
<p>かくしてラスコーリニコフは老婆殺しの全てをソーニャに打ち明けます。<br />
彼の中には、恐ろしい罪を打ち明けることで彼女を苦しめたい反面、彼女なら受け止め、赦してくれるだろうという期待があったのです。</p>
<blockquote><p>
「いったい僕はあの婆を殺したんだろうか？<br />
いや、僕は自分を殺したんだ、婆を殺したんじゃない！<br />
僕はいきなり一思いに、永久に自分を殺してしまったんだ！」</p>
<p>「お立ちなさい！ 今すぐ行って、四辻にお立ちなさい。<br />
そして身を屈めて、まずあなたが汚した大地に接吻なさい。<br />
それから、世界じゅう四方八方に頭を下げて、はっきり聞こえるように大きな声で、<br />
『私は人を殺しました！』とおっしゃい！<br />
そうすれば神様がまたあなたに命を授けてくださいます。<br />
行きますか？ 行きますか？」
</p></blockquote>
<p>ここに老婆殺しの本質と「復活」の主題が表現されています。<br />
冒頭に登場したマルメラードフの死と赦しの伏線が、ここで大きく実を結び、ラスコーリニコフの魂の救済へと導いています。</p>
<div id="attachment_10115" class="wp-caption aligncenter" style="width: 210px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/murill10.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2009/12/murill10-200x270.jpg" alt="【 無原罪の御宿り 】－The Immaclate conception－ バルトロメー・Ｅ・ムリーリョ Bartolome Esteban Murillo" width="200" height="270" class="size-medium wp-image-10115" /></a><p class="wp-caption-text">【 無原罪の御宿り 】－The Immaclate conception－ バルトロメー・Ｅ・ムリーリョ Bartolome Esteban Murillo</p></div>
<p>ついに警察に自首したラスコーリニコフは、シベリアに流刑になり、ソーニャも彼についてシベリアに旅立ちました。<br />
しかし、受刑中もラスコーリニコフは一向に罪を悔いることがなく、しまいに他の受刑者たちから「この不信心者め！」と反感を買うようになります。やがて彼とソーニャは二人して病気になり、しばらく会えない日が続きました。<br />
そして、ようやく再会したある日、彼の心に劇的に改悛の情が訪れ、二人は互いの愛情を確信しながら、新しい日々に向かうのでした。</p>
<blockquote><p>
どうしてそんなことが出来たか、彼は自身ながらわからなかったけれど、不意になにものかが彼を引っ掴んで、彼女の足元へ投げつけたような具合だった。<br />
彼は泣いて、彼女の膝を抱きしめた。<br />
彼女はさとった。男が自分を愛している、しかもかぎりなく愛しているということは、彼女にとってもう何の疑いも無かった。</p>
<p>ついにこの瞬間が到来したのである。<br />
二人の目には涙が浮かんでいた。</p>
<p>彼らは二人とも蒼白くやせていた。<br />
しかし、この病み疲れた蒼白い顔には、新生活に向かう近い未来の更正、完全な復活の曙光が、もはや輝いているのであった。<br />
愛が彼らを復活させたのである。<br />
二人の心はお互い同士にとって、生の絶えざる泉を蔵していた。</p>
<p>七年、たった七年！<br />
こうした幸福の初めのあいだ、彼らはどうかした瞬間に、この七年を七日とみなすほどの心持ちになった。
</p></blockquote>
<p>ドストエフスキーは、この作品を構成するにあたって、ネーミング、章立て、聖書やロウソクといった小道具、すべてにおいて、キリスト教に象徴されるものを用いています。<br />
なぜ「7年」なのか、これはもう、言うまでもなく「神による世界の創造」になぞらえたものであり、「7」という数字を見ただけで読み手は納得するのです。</p>
<p>この「復活劇」をクサイ！　という人も中にはあるようですが、これは推理や不条理を期待して読む物語ではありません。</p>
<p>『罪と罰』は、小説の手法をとったキリストの精神そのものであり、そこから離れようとする現代人に対する警告の書です。</p>
<p>ドストエフスキーが敬虔なクリスチャンだったかどうかは分かりませんが、少なくとも、キリスト教＝精神生活における絶対的真理というものが人間と社会において必要不可欠であり、それを失えば人間も時代も混沌とするということをシビアに見抜いていた哲学者であり、社会学者でもあった・・という気がします。</p>
<p>もし彼が現代に生きていたら、この科学と経済の時代を何と表現したことか――。</p>
<p>ドストエフスキーこそ、この世に復活して欲しい、永遠の作家の一人です。</p>
<h3>§ 謎とき　罪と罰</h3>
<p>『罪と罰』の愛読者なら絶対に併せて読んで頂きたいのが、江川卓先生の <a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4106003031?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4106003031">謎とき『罪と罰』 (新潮選書)</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4106003031" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" />。</p>
<p>ご自身も原著の日本語訳を手がけておられるだけあって、作品に対する理解や雑学はもちろん、ドストエフスキーに対する熱い思い入れが随所に感じられるファン垂涎の力作である。</p>
<p>作品が書かれた時代背景や動機は言うに及ばず、人物のネーミング、作中に登場する数字、キリスト教との関わりなど、専門家ならではの的確な分析に加え、ドストエフスキーが精巧に張り巡らせた設定のパズルを一つ一つ解き明かす推理小説的な面白さもあり、原作体験とはひと味違う『罪と罰』の世界を満喫できる。</p>
<p>たとえば、</p>
<blockquote><p>
小説の冒頭、ラスコーリニコフの窮乏ぶりと異常な精神状態が語られるくだりに、次のような一説がある。</p>
<p>「彼は貧乏に押しひしがれていた。だが近頃では、この窮迫した状態ですらいっこう苦にならなくなった。自分の<strong>ナスーシチヌイ</strong>な仕事もすっかりやめてしまい、どだいその気がなかった」</p>
<p>わざわざロシア語で書いた「ナスーシチヌイ」という形容詞は、ふつう「その日その日の」とか、「しなければならない当面の」といったふうに翻訳される。<br />
辞書にも「緊要な」「日々の」といった語義が出ており、当然、これを誤訳ときめつけるわけにはいかない。</p>
<p>ただ、どうしても引っかかるのは、この「ナスーシチヌイ」という形容詞が、日常にはめったに使われない、ほとんど文語的な語感をもった言葉だということである。<br />
すこし先まで読めばわかるように、内容的には、これは家庭教師のアルバイトを指している。</p>
<p>それでは、なぜドストエフスキーは、「アルバイトもやめてしまい」とはっきり書かないで、意味もあいまいな、文体的にも不釣り合いな「ナスーシチヌイ」などという言葉を選んだのだろうか。いまの私の考えでは、ここには意味論のレベルを超えたある考慮が働いているように思われる。</p>
<p>当時のロシアの子供たちが、ほとんど三歳の頃から、意味も分からずに暗誦させられていたポピュラーなお祈りに、マタイ福音書六章の「天にましますわれらの父よ」がある。<br />
その一節に、「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」の一句があることは、キリスト教信者ならずとも知っているだろう。<br />
ところが、ここに出てくる「日用の」という言葉が、ロシア語ではやはり「ナスシーチヌイ」なのである。
</p></blockquote>
<p>外国文学が日本語訳されると毛色の違うものになってしまう理由の一つに「ダブル・ミーニング」がある。</p>
<p>一つの単語が何重もの意味を持っていたり、あるいは全く違う意味を兼ねていることから、日本語に置き換えると、原語に託された幾つもの象徴がかき消されてしまうのである。</p>
<p>たとえば、英語の「present」は、「現在」という意味の他に「贈り物」「上演する」「引き起こす」といった様々な意味をもつ。<br />
前後の文脈から「現在」か「贈り物」かは容易に察しがつくだろうが、作者は「present」という言葉に「今この瞬間の恵みと悦び」というニュアンスを込めて使っているかもしれない。<br />
しかし、日本語訳されてしまうと、一方のニュアンスが打ち消され、意味が限定されてしまうことがある。<br />
オリジナルを知りようがない日本語訳の読者は、それをそのまま作品の意図として受け取ってしまうから、そこに乖離が生じてしまうのである。</p>
<p>本当に外国文学を極めたいなら原語で読むのが基本とされるのは、まさにこの一点にあり、それはドストエフスキーの『罪と罰』においても全く同様である。</p>
<p>上記の「ナスシーチヌイ」をはじめ、作品のキーワードとも言うべき「ペレストゥーピチ（踏み越える、またぐ）」の持つ意味、「ラスコーリキ（ロシア正教会から分裂した分離派）」になぞらえた「ラスコーリニコフ」というネーミングなど、ロシア文学ならではの魅力が豊かに広がり、それは日本語訳からは到底近づき得ないものである。</p>
<p>とはいえ、今の日本で、どれほど「ドストエフスキー通」を自負しようと、原語ですらすら読める人が何人いることか。</p>
<p>となると、私のような「凡人」は、せめて江川先生の『謎とき本』を手にとって、二重、三重にも張り巡らされたドストエフスキーの文学パズルを垣間見るしか術がないようである。</p>
<p>ちなみに、江川先生の解説によると、「ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ」のロシア語綴りの頭文字をつなげるとPPPになり、これはすなわちキリスト教『黙示録』に登場する悪魔の象徴『６６６』を示唆するという。</p>
<p>──「この刻印はかの獣の名、あるいはその名を表す数字である。ここにそれを解く鍵がある。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。この数字は人間の名を指している。その数字は６６６である」──<br />
（オカルト映画『オーメン』の悪魔の子・ダミアンがこの印を髪の中に隠し持っていた）</p>
<p>『罪と罰』にオカルトまで絡んでくるとなれば、これはもう読むしかない。</p>
<p>おすすめです！！</p>
<p></br></p>
<h6>謎とき『罪と罰』  江川卓</h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4106003031&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>「謎とき」とは? / 精巧なからくり装置 / 666の秘密<br />
パロディとダブル・イメージ<br />
ペテルブルグは地獄の都市<br />
ロジオン・ラスコーリニコフ=割崎英雄<br />
「ノアの方舟」の行方<br />
「罰」とは何か / ロシアの魔女 / 性の生贄<br />
ソーニャの愛と肉体 / 万人が滅び去る夢<br />
人間と神と祈り/13の数と「復活」</p>
<p>ドストエフスキーを本格的に愉しむために。目立たぬところに仕掛けられた洒落、笑い、語呂合せ、言葉の多義性の遊び、パロディ精神。スリリングに種明かしする作品の舞台裏。</p>
<p>自身も日本語訳を手がける江川卓氏による『罪と罰』の解説書。<br />
難解なイメージのあるドストエフスキーの作品を、推理小説のようにいろんな角度から分析している。<br />
作品のテーマはもちろん、作中のちょっとした小物使いや舞台となったペテルスブルグの実際の街並み、主人公の名前が意味するところなど、非常に面白く解説しているので、まずはこちらから読み始めるのもいいかも。<br />
『罪と罰』愛読者は必読です！！</p>
<p>【Amazon　レビューより】<br />
ドストエフスキーの『罪と罰』を多角的な視点とロシア語の語源から捉えて小説の奥に隠されている様々なメッセージを読み取っていくというまさに“謎とき”の楽しさを教えてもらえる本。改めて『罪と罰』が読みたくなった。<br />
</p>
<h6>ドストエフスキーのおもしろさ　～言葉・作品・生涯</h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4005001386&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>小説のなかの人びと / こころの暗がり / 人生の重荷<br />
生きるよろこび / ロシアの光景<br />
宗教と科学のあいだで/ ゆれうごく社会<br />
作家たちと / ドストエフスキーの生涯</p>
<p>ドストエフキスーの文学には若者の魂を奥底から衝き動かす力があります。<br />
極貧と絶望の果てに殺人へと駆りたてられるラスコーリニコフ、充たされぬ生活から大富豪を夢見るアルカージーなど彼の描く人物像は、時代を越えて現代人の内面を映します。<br />
『罪と罰』『未成年』はじめ主要作品の短い言葉からその魅力に迫る。</p>
<p>中学生向けに書かれたドストエフスキーのアンソロジー集。<br />
まさに名作・名文のおいしいとこ取りで、いきなり本作を読むのはどうも……という方には、うってつけの一冊。<br />
現在、入手不可とのことだが、図書館にはあるかもしれない。<br />
気軽にドストエフスキーに親しみたいという初心者はぜひ。<br />
</p>
<h6>罪と罰 (マンガで読む名作) (文庫)</h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4537125683&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>いきなり原作はキツイという方におすすめの漫画本。確かにラスコーリニコフがえらくイケメン。<br />
今までまったく興味がなかった方について、とっかりとしてはいいと思います。</p>
<p>さらにグレードの高いものといえば、やはり手塚治虫先生でしょう。</p>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4061086103&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p></p>
<h6>青木雄二の世界文学講座 ドストエフスキー罪と罰</h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4063300978&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>最高とはどんなものかワシがこの本で教えたる<br />
わたしと『罪と罰』<br />
人間の本質 どこかあなたのそばにいる登場人物たち<br />
『罪と罰』から社会の本質を見抜く眼力を養う<br />
『罪と罰』の箴言を読む<br />
ソーニャとラスコーリニコフはマルクス主義でしか救えへんのや</p>
<p>読みだしたら止まらない。業とゼニ地獄で苦しむ現代人を「罪と罰」は予言していた。<br />
破天荒なナニワ的解釈で「地獄」からの解放を説く!!世界最高の文学『罪と罰』から社会の本質と人間の業を見抜く眼力を養う。</p>
<p>『ナニワの金融道』でお馴染みの漫画家、青木雄二による入門編。<br />
エライ文学者が読んだら怒りそうなむちゃくちゃカジュアルな内容だが、率直な意見や感想が書かれていて面白い。<br />
私としては「ラスコーリニコフのイメージ画はもうちょっと男前に描いてくれ」という感じだけど。<br />
青木氏がこの作品を世界随一と評価し、大いに影響を受けた理由は分かる。<br />
すってんコロリンな一冊。</p>
<p>関連書籍　【<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4894564750?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4894564750">罪と罰―ナニワ人生学 (ハルキ文庫)</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4894564750" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" />】</p>
<p>【Amazon　レビューより】<br />
ナニワ金融道はおもしろかったが、これはアカン。<br />
文学を語っているわけではなく、ナニワ金融道のセリフ程度の内容であると考えておかないと、それこそぶったくりにあったように思う。青木雄二の漫画について、深みがある理由がこれでよくわかった。やっぱり、こういった古典がバックボーンにあるのだと納得がいった。<br />
</p>
<h6>ロシア映画『罪と罰』</h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=B0000ABBWV&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>ドストエフスキーの小説を完全映画化した3時間20分におよぶ大作のようだが、レビューにもあるように、やはり小説の素晴らしさをそっくり再現するのは難しかったよう・・<br />
私個人の感想を言えば、ラスコーリニコフのイメージは、もっとスウィート。<br />
気難しいばかりではなく、どこかナヨナヨと、女性の保護意欲を掻き立てるような可愛らしさが欲しい。<br />
やさぐれた黒髪のレオナルド・ディカプリオのようなのを求ム・・と言えば、原作至上主義のファンに怒られるのかな～。<br />
</p>
<h6>映画『オーメン』</h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=B00005J4TU&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>アメリカ人外交官のロバートは、ローマの産院で死産してしまった我が子の代わりに、同日・同時刻に誕生した孤児である男子を養子として引き取る。<br />
ほどなくして、駐英大使に任命され、その後数年間、仕事や家庭も順風満帆で絵に描いたような幸福な生活を送るが、乳母の異常な自殺を境に息子ダミアンの周囲で奇妙な出来事が続発。<br />
疑惑を抱いたロバートが、死産した息子の墓を暴いて知ったのは、ダミアンの忌まわしい出生の秘密だった……。<br />
あの不朽の名作『ローマの休日』でダンディな新聞記者を演じたグレゴリー・ペックが、ここでは邪悪に翻弄される心優しき父親を演じている。<br />
「パパ、お願い、僕を殺さないで……」我が子の哀願に一瞬気を緩めたロバートが辿った悲運とは……。<br />
『エクソシスト』に並ぶオカルト映画の傑作であり、悪魔の子・ダミアンの『666』という刻印や、「6月6日午前6時生まれ」という設定が世間の話題をさらった。<br />
</p>
<h3>§ 1999年のアーカイブ</h3>
<p><strong><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4042087175?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4042087175">罪と罰 上 (角川文庫)</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4042087175" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" /></strong></p>
<p>本貧乏学生のラスコーリニコフは、『人間は凡人と非凡人とに分かれ、非凡人は既成道徳をも踏み越える権利を有する』『一つの些細な犯罪は、数千の善事で償われる』という理論のもとに、強欲な高利貸の老婆を殺害するが、偶然その場に居合わせた老婆の妹まで殺害したことから、罪の意識にさいなまれるようになる。<br />
そんな時、信仰深く、心清らかな娼婦ソーニャに出会った彼の心に訪れた『復活の奇跡』とは……。</p>
<p>あまりにも、あまりにも有名な、ドストエフスキーの名作『罪と罰』。<br />
その意味が分かるようになったのは、だいぶ大人になって、聖書を読んでからだ。<br />
この作品の良さは、二言、三言で語り尽くせるものではない。<br />
日本語訳に関しては、昭和26年に発行された、米川正夫氏によるものが群を抜いて優れている。<br />
残念ながら今は廃刊となり、入手不可であるが、古めかしくも、格調高い表現は、まさに文学の王道と呼ぶにふさわしい。（苦手な人も多いかもしれないが）<br />
米川訳が読めない新しい読者は本当に可哀想。<br />
現代訳もいいのだろうけど……私はやっぱり、薫り高い米川訳が好きだ。</p>
<p>（注：記事冒頭にも書いていますが、米川版は2008年角川より復刊されています）<br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4042087175?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4042087175">罪と罰 上 (角川文庫)</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4042087175" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" /></p>
<p>【Amazon　レビューより】<br />
この作品を軽い気持ちで読まないで欲しい。<br />
安易な解釈ばかりされているようで残念だが、この作品のテーマである「罪と罰」とは単に主人公ラスコーリニコフの犯罪の事を言っているのではなく、人間全体を大きく見渡したものだからである。<br />
恐ろしく冷たい視線で書かれた物語で、ラストが必ずしもハッピーエンドではないと解ったとき、私は思わず戦慄した。<br />
思想のために生きるという、人間だけが持つ矛盾。そしてその後に待っているもの・・・<br />
この本を手に取り、読んだ人は幸いである。私は生きているうちにこの本を読めて心から良かったと思う。<br />
蛇足だが、夏目漱石の「こころ」と合わせて読むことをお薦めする。</p>
<p>&#8212;&#8212;-</p>
<p>私は初め、罪を犯したあとに罰があるものだ！と考えていました。<br />
しかしこの本を読んで思ったのは、罰とは常に罪と一緒にいるのだ、ということでした。<br />
吸い寄せられるように読んでしまいます。ぜひ一度この本を開いてみてください。<br />
</p>
<p>初稿：1998年秋　HP【Clair de Lune】より</p>

<a href="http://twitter.com/?status=RT+%40sanmariecom%3A+%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%90%8D%E4%BD%9C%E3%80%8E%E7%BD%AA%E3%81%A8%E7%BD%B0%E3%80%8F+%E7%B1%B3%E5%B7%9D%E6%AD%A3%E5%A4%AB%E3%83%BB%E8%A8%B3%E3%81%AE%E6%8A%9C%E7%B2%8B%E3%80%80%2F++%E3%80%8E%E8%AC%8E%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%80%80%E7%BD%AA%E3%81%A8%E7%BD%B0%E3%80%8F%E6%B1%9F%E5%B7%9D%E5%8D%93+-+sanmarie%2Acom+http%3A%2F%2Ftinyurl.com%2F2bt6orv" class="tweet-this" ><div align="right"><img src="http://www.sanmarie.me/sanmarie/wp-content/plugins/simple-tweet/img/tweet.gif" title="ツイート" alt="ツイート" />ツイート</div></a>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>ツァラトゥストラはかく語りき  &#8211; フリードリヒ・ニーチェの世界 -</title>
		<link>http://sanmarie.me/nietzsche</link>
		<comments>http://sanmarie.me/nietzsche#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 04 May 2010 08:03:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿月まり</dc:creator>
				<category><![CDATA[海外の文学・哲学]]></category>
		<category><![CDATA[ニーチェ]]></category>
		<category><![CDATA[人生観]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://sanmarie.me/nietzsche</guid>
		<description><![CDATA[海といえば、ニーチェです。
「なんで？」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ニーチェの思想、特に『ツァラトゥストラ』は、海から生まれ、海に育まれたといっても過言ではないからです。
時代のモラルや風潮に、あくまで「アンチ（反）」の姿勢を貫きとおしたニーチェは、様々なパッシングに合い、孤独な境遇にありました。
それでも真実を見据え、「神無き時代」に新たな思想を打ち立てようとした彼は、精力的に執筆活動を続け、『曙光』『悦ばしき知識』『力への意志』など優れた著作を次々に完成させてゆきます。
そして彼の思想のすべてを体現したのが、異色の名著『ツァラトゥストラ』。古代ペルシアの拝火教の祖といわれる預言者ゾロアスターの名を借り、聖書を乗り越えるかのように著したこの作品は、崇高に、情熱的に、彼の思想を物語っています。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>私がニーチェの名前を初めて知ったのは、ウイスキーのコマーシャルがきっかけでした（ああ、テレビっ子）<br />
小学校の低学年ぐらいでしたかねえ。<br />
「ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンか。ニ、ニ、ニーチェか、サルトルか」とで始まるこの歌は巷でも大変ヒットし、<br />
「<strong>み～んな悩んで大きくなった。オレもお前も大物だぁ～！</strong>」<br />
という歌詞は流行語にまでなりました。</p>
<div class="myvideo">サントリーCM　野坂昭彦編<br />
<p><a href="http://sanmarie.me/nietzsche"><em>Click here to view the embedded video.</em></a></p></div>
<p>私も、「みんな悩んで大きくなった」という言葉に非常に感銘を受けまして、「ああそうか、悩むことは悪いことじゃないんだ、みんな悩んで立派になったんだ」と子供心に励まされたものです。<br />
野坂さんらしい、いいCMだと思います。</p>
<p>さて、実物のニーチェですが……</p>
<div class="myvideo">Friedrich Wilhelm Nietzsche<br />
<p><a href="http://sanmarie.me/nietzsche"><em>Click here to view the embedded video.</em></a></p></div>
<p>ああ、気難しそう……。笑ってる写真はないんかいな。<br />
晩年は狂気に追い込まれ、その生涯を通じて決して恵まれた訳ではないけれど、あたしゃ好きです。<br />
感謝しています。<br />
今の私があるのは、ツァラトゥストラのおかげだから。</p>
<p>何度読み返しても、生命あふれるような美しい詩だと思う。<br />
いつも心に永劫回帰ありきよ。</p>
<p>あの世にファンレターが届くかどうか分からないけれど、これは私からの御礼の企画です。</p>
<h3>§ ニーチェへの想い</h3>
<p>海といえば、ニーチェです。<br />
「なんで？」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ニーチェの思想、特に『ツァラトゥストラ』は、海から生まれ、海に育まれたといっても過言ではないからです。<br />
時代のモラルや風潮に、あくまで「アンチ（反）」の姿勢を貫きとおしたニーチェは、様々なパッシングに合い、孤独な境遇にありました。<br />
それでも真実を見据え、「神無き時代」に新たな思想を打ち立てようとした彼は、精力的に執筆活動を続け、『曙光』『悦ばしき知識』『力への意志』など優れた著作を次々に完成させてゆきます。<br />
そして彼の思想のすべてを体現したのが、異色の名著『ツァラトゥストラ』。古代ペルシアの拝火教の祖といわれる預言者ゾロアスターの名を借り、聖書を乗り越えるかのように著したこの作品は、崇高に、情熱的に、彼の思想を物語っています。</p>
<div id="attachment_11129" class="wp-caption alignnone" style="width: 204px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/cffog.jpeg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/cffog-194x270.jpg" alt="【 霧の海に向かう放浪者 】－Wanderer Above the Sea of Fog－カスパール・ダヴィッド・フリードリッヒ Caspar David Friedrich" width="194" height="270" class="size-medium wp-image-11129" /></a><p class="wp-caption-text">【 霧の海に向かう放浪者 】－Wanderer Above the Sea of Fog－カスパール・ダヴィッド・フリードリッヒ Caspar David Friedrich</p></div>
<h3>§ ツァラトゥストラと海</h3>
<p>わずか十日間で一気に書き上げた『ツァラトゥストラ』の興奮状態を、ニーチェはこう伝えています。<br />
「シルヴァプラナ湖畔における奇跡的な体験（永劫回帰のヴィジョンの訪れ）から十八ヶ月、次第に熟してきた構想が、爆発的に表現形式を得たのである」<br />
陽光あふれるジェノヴァやラパロ地方で静養していたニーチェは、海を見渡しながらの散策を好み、静かな入り江を巡り歩いたりしていました。<br />
そしてある日、ポルトフィーノ岬の断崖を訪れた時、彼の中で熟していたヴィジョンがついにツァラトゥストラの形を借りて顕在化し、彼を新しい著作へと向かわせたのです。<br />
その時の衝撃を彼はこう書き記しています。<br />
<strong>「ツァラトゥストラが私を襲ったのだ」</strong></p>
<p><font color="#9d004f">第一部</font></p>
<p>ツァラトゥストラは三十歳になった時、自分の故郷と故郷の湖を捨て、山にこもります。そして十年間下界を離れ、山の孤独にいましたが、四十歳になると劇的な心の変化を感じ、その精神を説く為に山を下ります。<br />
ここでは有名な「神の死」や「超人」の思想が語られます。</p>
<p><font color="#9d004f">第二部</font></p>
<p>人々がまだ彼の思想を受け入れるほど熟していないことを悟ったツァラトゥストラは、再び山にこもります。<br />
しかし下界で自分の教説が歪められていることを知った彼は山を下り、彼の弟子や敵対する者たちに向かいます。けれど自分にまだ十分な力が無いことを知ったツァラトゥストラは再び人々の前から去るのでした。</p>
<p><font color="#9d004f">第三部<br />
</font><br />
山の洞窟に戻る途中、彼は徐々に「永劫回帰」の思想が熟すのを感じ、それを人々に伝える時期が近づいていることを悟ります。やがて彼は「続く人間の為に没落する者」としての告知者の運命を受け入れ、生への絶対肯定の意志を固めるのでした。</p>
<p><font color="#9d004f">第四部</font><br />
最後の試練に打ち勝ち、「永劫回帰」の境地に辿り着いたツァラトゥストラは、新しい価値創造に向かう為、輝く朝陽に向かい、「これが私の朝だ。私の日が始まる。さあ、昇れ、昇ってこい。お前、偉大な正午よ」と語り、再び山を下りるのでした。</p>
<div id="attachment_11131" class="wp-caption alignnone" style="width: 121px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/moore14.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/moore14-111x270.jpg" alt="理想" width="111" height="270" class="size-medium wp-image-11131" /></a><p class="wp-caption-text">理想</p></div><br />
　　</p>
<h3>§ ツァラトゥストラ 名言集</h3>
<blockquote><p>
千の目標が今までに存在した。千の民族があったからである。<br />
ただその千の頚を一体とするくびきが、今もなお欠けているのである。<br />
一つの目標が欠けているのだ。人類はまだ目標をもっていない。
</p></blockquote>
<p>全人類に共通する目標。それは、「真理に至る道」あるいは「生の目的」といったところでしょうか。<br />
宗教を超え、文化を超え、全ての人間が目指す一点の目標。<br />
それが現れた時、一歩進んだ新しい世界が生まれるような気がします。</p>
<blockquote><p>
大いなる正午とは、人間が、獣と超人との間にかけ渡された軌道の中央に立ち、これから夕べへ向かうおのが道を、おのが最高の希望として祝う時である。その道が最高の希望になりうるのは、新しい朝に向かう道だからである。<br />
その時、没落してゆく者は、己が彼方へ渡って行く過渡の者であることを自覚して己を祝福するだろう。<br />
そして彼の認識の太陽は、彼の真上に、正午の太陽としてかかることだろう。
</p></blockquote>
<p><div id="attachment_11132" class="wp-caption alignnone" style="width: 200px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/cfgothe.jpeg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/cfgothe-190x270.jpg" alt="【 記念碑 】－Memorial Monument to Gothe－ カスパール・ダヴィッド・フリードリッヒ Caspar David Friedrich" width="190" height="270" class="size-medium wp-image-11132" /></a><p class="wp-caption-text">【 記念碑 】－Memorial Monument to Gothe－ カスパール・ダヴィッド・フリードリッヒ Caspar David Friedrich</p></div>
<blockquote><p>
人間において偉大な点は、彼が一つの橋であって、目的ではないことだ。<br />
私は愛する。傷を負った時もなお魂の深さを失わない者を。<br />
そして小さい体験によっても滅びることのできる者を。
</p></blockquote>
<p>真に偉大な指導者というのは、後に続く人間の為に、あえて頭を下げるものです。<br />
彼らが自分を乗り越え、自分よりもっと先に進んで行く為に。</p>
<blockquote><p>
私は私の目標を目指す。私は私の道を行く。<br />
ためらう者、怠る者を私は飛び越そう。<br />
こうして私の行路は彼らの没落であるように
</p></blockquote>
<div id="attachment_11133" class="wp-caption alignnone" style="width: 221px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/rose6.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/rose6-211x270.jpg" alt="－Mist Over Point Lobos－ ギィ・ロッシュ  guy Rose" width="211" height="270" class="size-medium wp-image-11133" /></a><p class="wp-caption-text">－Mist Over Point Lobos－ ギィ・ロッシュ  guy Rose</p></div>
<blockquote><p>
<strong>人間とは乗り越えられるべきものである。</strong><br />
生そのものが、柱を立て、階段を作って、高みを目指して、己を打ち建ててゆこうとする。<br />
生は、はるかな遠方に目をそそぎ、至福の美を望み見ようとする。<br />
そのために生は高みを必要とするのだ。<br />
生は登ろうとする。登りながら己を乗り越えようとする。
</p></blockquote>
<p>ニーチェの思想の一つに「自己超克」があります。<br />
それは自分本位な利己主義とは違い、たえず自分自身を乗り越え、新たに生まれ変わり、上昇していこうとする我欲（Erosといってもいい）を意味します。<br />
そしてその究極の目標は、自己を完成させる事ではなく、後に続く者の為に没落する（橋渡しになる）事なのです。</p>
<blockquote><p>創造――それは苦悩から我々を解放する大いなる救いであり、生の軽快化である。<br />
だがまた、創造する者が生まれ出るために苦悩と多くの変身が必要なのである。</p>
<p>そうだ、傷つけることのできないもの、葬ることのできないもの、岩をも砕くものが私には備わっている。<br />
その名は私の意志だ。それは黙々として、屈することなく歳月の中を歩んでゆく。<br />
私の昔ながらの伴侶、私の意志は、この私の足によって、己の道を行こうとする。<br />
彼の思いは堅く、不死身である。
</p></blockquote>
<p>ニーチェほど「己が意志」の大切さを説いた哲学者もないでしょう。<br />
天の父に一切を委ねるキリスト教的な生き方に反し、大地にしっかと足をつけ、己が意志に忠実に生きることを説いた彼の思想は、当時は異色のものであり、彼を孤立させることになりました。<br />
しかし、この「意志」こそが、自分を支え、導き、肯定的な生へと向かわせる原動力となるんですよね。<br />
それは決して利己的な欲望に支えられたものではなく、一点の目標に向かって上昇する魂の力なんです。</p>
<blockquote><p>
いっさいの書かれたもののうち、<br />
わたしはただ、血をもって書かれたもののみを愛する。<br />
血をもって書け。<br />
そうすれば君は知るであろう、血が精神であることを。
</p></blockquote>
<p>「血」とは、すなわち【生きた糧】――<br />
頭（理屈・知識）で知ったことではなく、自身の生きた感性によって感得した「魂の糧」を指すと私は解釈しています。<br />
人や本から得た借り物の知識や理屈では、決して人の心を動かすことはできないからです。<br />
かの有名な「ガラスの仮面」でも、月影先生は北島マヤにこんな事を言っています。</p>
<p><font color="#800000"><br />
今の《八百屋お七》、あなたの目に恋の狂気はないわ。<br />
上手な演技と魅力のある演技は違うわ。<br />
たとえ下手でも魅力のある演技は人をひきつけるわ。<br />
そこに本物の香りがあるからよ。<br />
観客はその香りをかぎとるのよ。<br />
本物の香り……マヤ、本物の恋をしなさい</font></p>
<div id="attachment_11135" class="wp-caption alignnone" style="width: 280px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/wave.gif" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/wave-270x197.gif" alt="【 波 】－Wave－ ギュスタヴ・クールベ  Gustave Courbet" width="270" height="197" class="size-medium wp-image-11135" /></a><p class="wp-caption-text">【 波 】－Wave－ ギュスタヴ・クールベ  Gustave Courbet</p></div><br />
　</p>
<blockquote><p>
ああ、私の足元に広がる黒く悲しい海。<br />
ああ、この身ごもっている夜闇の中の苦渋。<br />
ああ、運命と海。</p>
<p>お前たちのもとへ、私は今降りてゆかねばならぬ。</p>
<p>私が今までにしたよりも深く、苦痛の中へ、<br />
苦痛の最も黒い潮の中へ下って行かねばならぬ。<br />
私の運命がそれを欲するのだ。</p>
<p>今はまだ一切が眠っている、と彼はいった。<br />
海も眠っている。</p>
<p>海は眠りに酔い、未知の者を見る目つきで、<br />
私の方を見ている。</p>
<p>しかし、それにもかかわらず海は<br />
あたたかく息づいている。</p>
<p>それを私は感ずる。</p>
<p>私はまた海が夢見ていることをも感ずる。</p>
<p>海は夢見ながら、堅いしとねの上で<br />
身を輾転させているのだ。</p></blockquote>
<p><div id="attachment_11136" class="wp-caption alignnone" style="width: 180px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/mpstars.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/mpstars-170x270.jpg" alt="－Stars－ マックスフィールド・パリッシュ Maxfield Parrish" width="170" height="270" class="size-medium wp-image-11136" /></a><p class="wp-caption-text">－Stars－ マックスフィールド・パリッシュ Maxfield Parrish</p></div><br />
　</p>
<blockquote><p>
わたしが、海と、海の性をもついっさいのもの（無限の広がりと無限の可能性）に好意を寄せ、それらが私に怒って逆らう時にこそ、かえって最大の好意を寄せるとするなら――<br />
未発見のものに向かって帆を走らせるあの探求の悦楽が私の内部にあるとするなら――<br />
その航海者の悦楽が私の悦楽の中にあるとするなら――</p>
<p>時間と空間がはるか彼方で輝いている。<br />
よし、立て、我が心よ（超越的な神に頼らず、人間の自力を基として生きる生き方）」と叫んだとするなら――<br />
おお、それならどうしてわたしは永遠を求める激しい欲情に燃えずにいられよう。<br />
指輪の中の指輪である婚姻の指輪――あの回帰の円環を求める激しい欲情に燃えずにいられよう。<br />
私はお前を愛しているのだ、おお、永遠よ。
</p></blockquote>
<p><div id="attachment_11137" class="wp-caption alignnone" style="width: 280px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/sellier2.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/sellier2-270x220.jpg" alt="乙女と百合" width="270" height="220" class="size-medium wp-image-11137" /></a><p class="wp-caption-text">乙女と百合</p></div><br />
　</p>
<blockquote><p>
お前たちがかつて「一度」を二度欲したことがあるなら、かつて、「お前は私の気に入った、幸福よ、刹那よ、瞬間よ」と言ったことがあるなら、それならお前たちは一切のことの回帰を欲したのだ。<br />
一切のことが、新たにあらんことを、永遠にあらんことを、鎖によって、糸によって、愛によってつなぎ合わされんことを、お前たちは欲したのだ。おお、お前たちは世界をそういうものとして愛したのだ。<br />
お前たち、永遠な者たちよ、世界を愛せよ、永遠に、不断に。<br />
痛みに向かっても、「去れ、しかし帰って来い」と言え。<br />
すべての悦楽は永遠を欲するからだ。
</p></blockquote>
<p>ニーチェの思想の集大成ともいえる「永劫回帰」。<br />
その意味はあまりにも深く、広大すぎて、私の筆力や理解力でとても要約できるものではありません 。<br />
だけどなんとなく察していただけるでしょうか。<br />
《人生は辛く、悲しいことばかり……世の中も矛盾や納得の行かないことばかり》<br />
それでもそれら一切対し――不幸も不条理も、自身も含めた地上の全てに対し、「よし」と言い切ることの意味と価値を。<br />
自身と自身の生を【肯定する】ことの大切さを。<br />
そしてこの思想が集約された言葉が、次の一節なんですよね。</p>
<blockquote><p>
<strong>地上に生きることは、甲斐のあることだ。</p>
<p>「これが“生”だったのか」</p>
<p>わたしは死に向かって言おう。</p>
<p>「よし！それならもう一度」</strong>
</p></blockquote>
<p><div id="attachment_11138" class="wp-caption alignnone" style="width: 187px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/mpxtc.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/mpxtc-177x270.jpg" alt="【 エクスタシィ 】－Ecstacy－ マックスフィールド・パリッシュ　Maxfield Parrish" width="177" height="270" class="size-medium wp-image-11138" /></a><p class="wp-caption-text">【 エクスタシィ 】－Ecstacy－ マックスフィールド・パリッシュ　Maxfield Parrish</p></div>
<blockquote><p>
その夜が明けた朝、ツァラトゥストラは、臥床から飛び起き、腰に帯を巻き、洞窟の外に出た。燃えるような熱気と力に満ちていた。<br />
暗い山の彼方から昇る朝の太陽のようだった。<br />
「お前、偉大な天体よ」と、彼はかつての言葉と同じ言葉を語った。<br />
「お前、深い幸福の目よ、もしお前がお前の光を注ぎかける者たちをもたなかったら、お前の幸福もすべて何であろう。<br />
これが私の朝だ。私の日が始まる。<br />
さあ、昇れ、昇ってこい。お前、偉大な正午よ」<br />
ツァラトゥストラはこう語った。<br />
そして己が洞窟を後にした。暗い山々から立ち上る朝の日のように、熱火と力に満ちて。</p></blockquote>
<p>これが最後の一節です。<br />
どんな人間も断崖絶壁の縁に立ち、暗い絶望の海を見下ろす時があるのではないでしょうか。<br />
一歩先の死を選ぶか、あるいは絶望の彼方に光を見出すか。<br />
そこが運命の分かれ目だと思います。<br />
（あるいは人間としての真価が問われる瞬間）<br />
そしてニーチェは絶えず「肯定」することの大切さを説き、何があっても決して自分自身を見捨てるなと訴えているのです。</p>
<div id="attachment_11139" class="wp-caption alignnone" style="width: 280px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/bierstadt16.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/bierstadt16-270x172.jpg" alt="ヨセミテ峡谷" width="270" height="172" class="size-medium wp-image-11139" /></a><p class="wp-caption-text">ヨセミテ峡谷</p></div>
<h3>§ ニーチェ その他の著作から</h3>
<blockquote><p>
<strong>いまだ光を放たざる<br />
いとあまたの曙光あり</strong><br />
【曙光】より
</p></blockquote>
<p>独自の思想を確立しようとするニーチェが、批判や孤立にさらされた暗中模索の時期を超え、陽々とした境地に昇っていく過程に書かれた、中期の傑作【曙光】。<br />
その冒頭に引用されたのが、インドの詩集《リグヴェーダ》に記されたこの言葉です。<br />
「この世には、まだ輝いたことのない幾多の曙光がある」ことを確信し、独自の思想を切り開こうとする彼の決意と気概が強く感じられます。<br />
私の大好きな言葉です</p>
<div id="attachment_11140" class="wp-caption alignnone" style="width: 280px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/friedrich14.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/12/friedrich14-270x220.jpg" alt="【 海を昇る月】－Moon Rising over the Sea－ フリードリッヒ Friedrich" width="270" height="220" class="size-medium wp-image-11140" /></a><p class="wp-caption-text">【 海を昇る月】－Moon Rising over the Sea－ フリードリッヒ Friedrich</p></div>
<blockquote><p>
英雄的にさせるものは何か。</p>
<p>自分の最高の苦悩と最高の希望とに向かって同時に突き進んで行くことがそれだ。</p>
<p>【悦ばしき知識】より
</p></blockquote>
<blockquote><p>
なお私は生きており、なお私は考える。<br />
私はなお生きなければならない、私はなお考えなければならないのだから。<br />
われ在り、ゆえにわれ思う。<br />
われ思う、ゆえにわれ在り。<br />
今日では誰でもが思い思いに自分の願望や最愛の思想を表明している。<br />
さればこそ、私もまた、私が自分自身に今日何を望むかを、<br />
また、どんな思想がこの年いち早く彼の心をかすめたかを語るとしよう。</p>
<p><b>いな！ 人生は私を失望させはしなかった</b><br />
それどころか、私には歳を重ねるにつれて人生はいっそう豊かな、いっそう好ましい、いよいよ神秘に充ちたものに感じられる。<br />
「人生は認識の一手段なり」<br />
この原則を抱懐する我々は、ただに勇猛であるだけでなく、悦ばしく生き、悦ばしく笑うことすらできるのだ！<br />
何はさておき、まずもって戦闘と勝利の道に通暁する者でなければ、そもそも誰が一体良く笑い、良く生きる術を解しえようぞ！</p>
<p>【悦ばしき知識】より</p></blockquote>
<h3>§ あとがき</h3>
<p>私の大好きなニーチェの世界、少しは共感していただけたでしょうか。<br />
これで興味を持って、「一回、読んでみようかなあ」と思って下さったら、<br />
私も力入れて作った甲斐があります。</p>
<p>生前は多数派に理解されることなく、孤独と狂気の中に不遇の生涯を終えたニーチェですが、彼の思想は時を超えて、今、しっかりと私の中に息づいています。<br />
未来を読み、語る者を“預言者”というなら、ニーチェこそ現代の「虚無」という病を予見し、その処方箋まで提示した唯一無二の預言者というべきでしょう。<br />
だけど私が求めているのは、「ニーチェの先にあるもの」なんです。<br />
彼は「自ら見出し、肯定する」ことを説きましたが、そこにはどうしてもある種の“限界”が生じます。なぜなら、すべての人間が、そこまで強く賢明になれるわけではないし、どんな人間も、もろくて、惑いやすい一面をもっているからです。<br />
とにかく、読んで、感じて、考えて、生きているうちに、あらゆることを学んで下さい。<br />
「世界は深く、人生は短い」。<br />
一生なんて、ホントあっという間ですからね。</p>
<h3>§ ニーチェに関するその他の記事</h3>
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<h3>§ ニーチェ おすすめ書籍</h3>
<h6>ツァラトゥストラ 手塚富雄 訳 ：中公文庫</h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4122000106&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>数ある翻訳の中でも、一番読みやすかったのが、手塚富雄氏によるもの。<br />
以下のレビューにあるように、詩のようにさらさら読める。<br />
「哲学」と構えずに読めば、すっと心に入ってくる名言ばかりだ。</p>
<p>【Amazonレビューより】<br />
でも、ニーチェは詩人でもあった。というより、私は彼が論理的なものを軽視したとは思わないが、彼はそれ以上に詩人だったのだと思う。「ツァラトゥストラ」などはまさに詩人の手になるものだ。<br />
「超人」だの「運命愛」だのなかなかのキャッチコピーだし、ちょっと劇画調すぎてこちらが気恥ずかしくなるくらい。<br />
専門の哲学者たちはともかく、ニーチェの文学者たちからの受けはいい。これは文学書ではない、とわざわざ註を入れて「ツァラトゥストラ」を必読書に挙げている文学者の数は知れない。 「ツァラトゥストラ」は文学書として読んで一向に構わないと思う。<br />
それに、&#8211;こんなことを書くと怒られそうだが、ニーチェほど読みやすい哲学者はいない。<br />
</p>
<h6>ニーチェ (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル </h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4768400477&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>この本はイラストだけでも十分面白い。<br />
60年代のサイケデリックなスタイルで、今風のイラストしか知らない人には興味深く読めるのではなかろうか。<br />
解説も分かりやすく、悩める青年向き。<br />
きっと納得できる、ニーチェ入門編です。<br />
参照記事→『<a href="http://sanmarie.me/book-6" title="『超訳 ニーチェの言葉』と FOR BEGINNERS『ニーチェ』　ルサンチ野郎の心の出口" rel="nofollow">『超訳 ニーチェの言葉』と FOR BEGINNERS『ニーチェ』　ルサンチ野郎の心の出口</a>』</p>
<p>【Amazonレビューより】<br />
１９６７年初版で、当時は大学生・高校生を対象としていたはず だからさぞかし古めかしいニーチェ論かと思いきや、ニーチェを 深く読んで理解し、初心者にも偏りの無い入門書である。<br />
入門書とは言え、参考になる写真も豊富である。<br />
自己流ニーチェ理解を読者に披瀝するものでも、あたりさわりない 知識を羅列するものでもなく、ニーチェをいとおしみながら冷静に書く筆者の姿勢を高く評価したい。<br />
ニーチェを齧って「ニーチェは いい」あるいは「こいつは何なんだろう？」と感じている方にも すすめられる。<br />
</p>
<h6>ニーチェとの対話―ツァラトゥストラ私評</h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=406145501X&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>ニーチェの名言と現代人の生き方を照らし合わせながら、一つの生きる方向を示唆する人生読本。<br />
といっても、お説教くさい内容ではなく、人間や社会の真実を真っ向から見据え、いかに戦い抜くか、といった、地に足のついたお話がメイン。<br />
入門編としてもおすすめです。<br />
</p>
<h6>図解雑学 ニーチェ (図解雑学シリーズ) </h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4816333568&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>ビジュアル系ならこちらもおすすめ。<br />
永遠回帰、神の死、超人、権力への意志、ニヒリズム…既成の価値を攻撃し、学問の範囲を越えて多大な影響を及ぼしたニーチェの哲学を分かりやすく解説。<br />
マンガ伝記を読むような感覚で楽しんで欲しい。<br />
</p>
<h6>超訳 ニーチェ</h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=488759786X&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>平成になってからにわかにベストセラーとなったニーチェの名言集。<br />
読みやすい1節＝１ページ形式で、気に入った箇所から手軽に読めるのが特徴。<br />
初めての方に特におすすめです。</p>

<a href="http://twitter.com/?status=RT+%40sanmariecom%3A+%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%81%AF%E3%81%8B%E3%81%8F%E8%AA%9E%E3%82%8A%E3%81%8D++-+%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C+-+-+sanmarie%2Acom+http%3A%2F%2Ftinyurl.com%2F266m6tr" class="tweet-this" ><div align="right"><img src="http://www.sanmarie.me/sanmarie/wp-content/plugins/simple-tweet/img/tweet.gif" title="ツイート" alt="ツイート" />ツイート</div></a>]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://sanmarie.me/nietzsche/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>4</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://sanmarie.me/nietzsche" />
	</item>
		<item>
		<title>映画『レディホーク』女は鷹に、男は狼に　～悲劇の恋人たちの奇跡～</title>
		<link>http://sanmarie.me/ladyhawk</link>
		<comments>http://sanmarie.me/ladyhawk#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 28 Apr 2010 10:18:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿月まり</dc:creator>
				<category><![CDATA[愛と耽美の映画]]></category>
		<category><![CDATA[海外の文学・哲学]]></category>
		<category><![CDATA[恋愛映画]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://sanmarie.me/?p=11538</guid>
		<description><![CDATA[ジョーン・ヴィンジ著の小説『レディホーク』は、巻末の解説によると、執筆と映画の企画が同時進行だったせいか、単なる「映画の原作」を超えて、恋愛ファンタジー小説としても読み応えのある内容に仕上がっている。

これは翻訳者・野田昌宏さんの力量によるところも大きいと思うが、ヴィンジ女史の生き生きとした描写は一つ一つの場面が目に浮かぶようで、登場人物の微妙な心の襞が手に取るように伝わってくる。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://sanmarie.me/sanmarie/wp-content/uploads/2010/04/ladyhawk.jpg" class="highslide-image" onclick="return hs.expand(this);"><img src="http://sanmarie.me/sanmarie/wp-content/uploads/2010/04/ladyhawk-e1280308761325.jpg" alt="レディホーク　ルトガー・ハウア" title="レディホーク" width="400" height="318" class="alignnone size-full wp-image-13249" /></a></p>
<p>80年代、角川映画がエンターテイメントの市場を席巻していた時、</p>
<p>『読んでから見るか、見てから読むか』</p>
<p>というキャッチ･コピーが流行したことがある。</p>
<p>今でこそ映画・原作・主題歌はもちろん、登場人物の身につけているグッズやファッション、ロケ地までが「関連商品」として大々的に売り出されることは珍しくないが、80年代においては、こうしたタイアップ商法というのは割に新しく、角川の新作が封切られる度に書店やレコードショップの店頭の商品が入れ替わり立ち替わりに置き換わった記憶がある。</p>
<p>しかしながら、映画にも原作にも満足するケースは決して多いとは言えず、とりわけ、映画のノベライズに関しては、まるでスクリプトに毛の生えたような「活字マンガ本」に過ぎないこともままある。</p>
<p>しかし、ジョーン・ヴィンジ著の小説『レディホーク』は、巻末の解説によると、執筆と映画の企画が同時進行だったせいか、単なる「映画の原作」を超えて、恋愛ファンタジー小説としても読み応えのある内容に仕上がっている。</p>
<p>これは翻訳者・野田昌宏さんの力量によるところも大きいと思うが、ヴィンジ女史の生き生きとした描写は一つ一つの場面が目に浮かぶようで、登場人物の微妙な心の襞が手に取るように伝わってくる。</p>
<p>たとえば、冒頭。</p>
<blockquote><p>
日の出どき、馬に乗った黒ずくめの男は丘の上から眼下に広がる町をじっと見下ろしていた。<br />
彼は夜が明ける前からじっとここに待っており、そして今、やっと長い夜が明け始めたところなのである。<br />
鞍の上の彼は、冷えきって疲れた体をちょっと動かしながら、明るくなってきた空と、下から湧いてくるような灰色の朝霧をじっと見つめていた。</p>
<p>やがて霧が割れて、アクィラの城のぎざぎざした尖塔が見えてきた。それは黄金色に彩られ、まるでつかの間の天国を垣間見るような、そんな感じだった。</p>
<p>だが、その光景を見守る男の顔には一瞬、ほんの一瞬だが、痛みにも似た望郷の思いが走って消えた。<br />
そして、いつの日かこの夜明かしも終わる、それともなにかの答えが出る──という思いを押さえきれずにいる自分に気がつき、暗い微笑みを洩らすのだった。
</p></blockquote>
<p>私がこの本を購入したのも、この冒頭に惹きつけられたからだ。<br />
ほんの数行で、男の置かれた状況と舞台、そして長い放浪生活による疲れと心の隅に未だ消えぬ希望の光とが鮮やかに見て取れたからである。</p>
<p>あまたの名作がそうであるように、この作品も、冒頭の期待を裏切らない完成度の高さだった。</p>
<p>よくあるノベライゼーションのように、ストーリーだけを追う文章ではなく、また映画とはまったく異質な作品という訳でもない。</p>
<p>まるで鮮やかな映像がそのまま言葉に置き換わったような、立体的で、ダイナミックな秀作なのである。</p>
<p>物語は、アクィラの城の地下牢から、小柄なコソ泥のフィリペ・ガストンが脱走を試みるところから始まる。<br />
早くに両親を亡くした彼は、物を盗むことによってようやく生きながらえていた。<br />
しかし、このアクィラの町は、高僧でありながら悪魔の魂を棲まわせる恐ろしい大僧正によって治められ、窃盗にも容赦ない処罰が待っていた。<br />
だが、フィリペはがりがりに痩せた身体を利用して、器用に排水口から抜け出し、見事に城外へと脱出する。</p>
<p>そんな彼を待ち受けていたのは、一羽の美しい鷹を伴った黒騎士のナヴァレだった。<br />
ナヴァレは、地下牢から抜け出した唯一の人間であるフィリペの力を借りて、大僧正への復讐を企てるつもりだった。<br />
彼はアクィラの町を守る立派な警備隊長でありながら、大僧正への謀反をはたらいたかどで追放され、もう二年も放浪の旅を続けていたのだった。<br />
しかし、やっと自由の身になったフィリペはナヴァレの協力を拒み、ナヴァレの元から逃げ出そうとする。<br />
そんな彼をナヴァレは木に縛り付け、夕闇に姿を消してしまう。</p>
<p>夜になり、フィリペの前に現れたのは、この世のものとは思えぬほど美しい女性だった。<br />
ついで現れた巨大な黒い狼にフィリペは戦慄するが、彼女と狼はまるで深い絆で結ばれたように近く寄り添い、夜の闇に姿を消してしまう。<br />
そして翌朝になると、再び美しい鷹を伴ったナヴァレがフィリペの前に現れたのだった。</p>
<blockquote><p>
ナヴァレの持っていた黒と深紅のマントに包まれているのは、この世のものとは思えぬほど美しい、ほっそりとした女性だったのである。<br />
頭巾の奥に見える彼女の肌の白さは月光に冴える大理石もかくやと思うばかり、髪は白銀色に輝いている。<br />
彼をみつめる緑色のキラキラした眼は不思議な感動にあふれていて、なにかそれは、彼女が長い間、人間というものを見たことがないのではないかと思わせるのだった。
</p></blockquote>
<p>そんな二人の前に、大僧正の命を受けた兵士達が襲いかかる。<br />
死闘の末、ナヴァレは深手を負い、鷹もまた兵士の放った矢に貫かれた。<br />
ナヴァレは鷹をフィリペに託すと、遠くに見える古い僧院を指差し、イムペリウス修道士に助けを求めるように言う。</p>
<p>飲んだくれの修道士は、それが「ナヴァレの鷹」であると知ると血相を変え、全力を尽くして介抱する。<br />
夜になると、鷹が眠っていた所にはあの美しい女性が横たわり、ガストンはようやく鷹が彼女で、狼がナヴァレであることを悟ったのだった。<br />
そんなフィリペにイムペリウスは言う。</p>
<blockquote><p>
「あの娘の名はアンジューのイサボウと言う。わしは、あの娘にはじめて会った日のことを一生忘れないだろうよ。それは、まるで……まるで……」<br />
フィリペはじっと眼をつぶり、その顔を思い浮かべてみた。「まるで、愛そのもの……」<br />
「大僧正猊下も、もう、あの娘以外のことがなにも考えられなくなっている。あれほど悪に染まった人間でも、愛の衝動につき動かされることがあるのだ。彼はその想いにとりつかれてしまった。まるで狂人だった。イサボウは大僧正に眼をつけられたと知って震え上がった。あの娘の心は、警備隊の隊長に奪われていたからだ。……しかし、ひとりのばかな……ある坊主が彼らの告解を聞き、大酒を飲んだ罪を自分の上長に告解した時に……それを自分の聖なる義務だと信じて──話してしまった。大僧正は、二人の結婚願いを拒否した。そしてナヴァレに対して、二度とあの娘に会うなと命令を下した。だが二人は密会を続けた。そこで、その坊主は、取り返しのつかぬ罪を犯してしまった。彼は、二人が愛を誓い合っていることを大僧正に知らせてしまったのだ。・・（中略）・・<br />
そしてついに自分の見に危険を感じはじめた大僧正は、部下を呼び戻して退却した。だが、それでも彼は、恋人たちを絶対そのままにはしないと誓ったのだ。怒りと焦りになかば狂ってしまった彼は、ついに闇の力を呼び出したのだった。二人に呪いをかけるため、彼は自分自身の魂をも邪悪なるものに差し出したのだ……」<br />
イムペリウスの声が枯れた。<br />
「あの娘は昼間、鷹に変えられ、そしてあの男は、夜、狼に変えられてしまう。哀れにも獣の姿でいる間、彼らには人間としての記憶はなにもないのだ……。永久に人間として相まみえることが許されぬのだ。太陽が昇り、太陽が沈む限りは……。昼と夜がこの世に存在する限りは……永久に」
</p></blockquote>
<p>呪いが解けないのであれば、大僧正を道連れに殺すしかない。<br />
そう考えたナヴァレは、フィリペを連れて、アクィラの町に戻ろうとする。<br />
だが、イムペリウスは、自ら研究を重ね、呪いを解く方法を見出していた。<br />
近々、「夜ではない昼、昼ではない夜」が訪れ、二人がそろって人間の姿で大僧正の前に立てば、呪いは解けるはずだと。<br />
しかし、イムペリウスの言葉を信じないナヴァレは、その時を待たずに行動しようとする。<br />
フィリペが身体を張ってようやく思いとどまるが、それがいったい何時、どのように起こるかは、イムペリウスにも、誰にも分からなかった。</p>
<p>不安を抱えたまま、イムペリウスは鷹を伴ってアクィラの城内に入り、ガストンは自分が抜け出た排水溝を再び辿って教会内へと侵入する。<br />
手はずでは、ミサの途中でフィリペが教会の扉の鍵を開け、ナヴァレが大僧正と直接対決する予定だったが、警備は思った以上に厳重で、彼らの行く手を阻む。<br />
「もし、オレが死んだら、ひと思いに鷹を殺せ」と言いつけられたイムペリウスは、懐に鷹を抱き、一方の手にナイフを構えたまま、不安な気持ちで「夜ではない昼、昼ではない夜」の兆しを空に求め続けるが……。</p>
<h3>§ 解説</h3>
<p>この作品の特筆すべき点は、ずっと側に居ながら、人間として相まみえることも叶わない恋人達が、長い放浪生活に疲れ、あきらめ、お互いの死さえ望むようになっていた点にある。</p>
<p>罠にかかって死んだ他の狼を見てイサボウはつぶやく。</p>
<blockquote><p>
「これがあの人だったらいいのに──と思うわ」<br />
「そんなことを言うもんじゃないよ、お嬢さん」フィリペはやさしく抗議した。「愛してるからって、その人が死ねばいい──なんて願っちゃいけないよ」<br />
「私は夢に生きて、あの人が死んでしまえばいいと願っているのよ。私も一緒に死ぬといいのよ。あの人にそう言ってちょうだい」彼女の声は震えていた。2年間に及ぶ生ける死。その中で必死になって押さえに押さえてきた悲しみと熱望と怒りが、ついに彼女を圧倒してしまったのだ。<br />
「ほんとうに……私とおんなじ悲しみと苦しみの中で、あの人は……毎日毎日……どんなふうにすごしているの……？　それでいながら、まだ希望があるようなふりを……どうしてできるの……？」<br />
「あの人が……あんたを愛しているからさ」<br />
イサボウは深い溜息を洩らした。そしてゆっくりと立ち上がり、頬の涙を手で拭った。<br />
ここ二年間、彼女が他の人間に対して口にしたなにか意味のある言葉は、それこそ十個となかっただろう……。こうして少年が二人の人生に入ってくるまでは……。
</p></blockquote>
<p>ナヴァレは、大僧正に復讐するために、地下牢からの唯一の脱走者であるフィリペを力ずくで利用するつもりだった。<br />
だが、ナヴァレは途中で気付く。<br />
フィリペが、絶えて久しいイサボウとの心の交流をかけもってくれる、大切な存在であることに。<br />
それはまたイサボウも同じだった。<br />
今となっては、フィリペだけがナヴァレの確かな言葉を伝えてくれる唯一の架け橋だった。<br />
そして、生まれついてのコソ泥で、嘘つきを自称するフィリペは、そんな二人のメッセンジャーを務めるにあたって、時に巧妙に「ウソ」を織り交ぜ、必死で二人の愛と希望を繋ごうとするのである。</p>
<p>この作品が、他の映画ノベライズと格段に違っているのは、こうした心理描写が非常に丁寧に描かれている点にある。<br />
過酷な状況に置かれた恋人達が投げやりになる理由も、ナヴァレが復讐を急ごうとする気持ちも手に取るように分かり、だからこそ、クライマックスの対決が生きてくるのだと思う。</p>
<p>「昼ではない夜、夜ではない昼」。</p>
<p>それが何なのか。</p>
<p>次の動画を見れば一目瞭然だと思う。（オチが分かってもいいという人だけ見て下さい）</p>
<div class="myvideo">LadyHawke　クライマックス<br />
<p><a href="http://sanmarie.me/ladyhawk"><em>Click here to view the embedded video.</em></a></p></div>
<p></p>
<p>情熱的な騎士ナヴァレを演じるのは、SF名作『ブレード・ランナー』で不死身のレプリカントを演じたルトガー・ハウア。この方は「異形のもの」を演じさせたらムード満点。</p>
<p>鷹の姫イサボウを演じるのは、クールな美貌が魅力的なミシェル・ファイファー。</p>
<p>コソ泥フィリペは、若き日のマシュー・ブロデリックが演じている。</p>
<p>そこまで大ヒットした映画ではないし、無難にまとまった佳作だが、少なくとも小説は一読の価値がある。<br />
いずれ廃刊になって、入手不可になりそうなイヤ～な予感もするので、興味のある方はお急ぎ下さい！！</p>
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<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4042595014?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4042595014"><img src="http://sanmarie.me/image/book/ladyhawk.jpg" alt="レディホーク"></a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4042595014" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" /></p>
<p>アメリカの人気女流SF作家による原作。<br />
単なるノベライズではなく、きめ細かな描写が美しい恋愛ファンタジー小説であることは上記の通り。<br />
野田昌宏さんの翻訳も素晴らしく、中世ファンタジーらしい流麗な世界が広がる。<br />
今に中古マーケットからも姿を消すかもしれないので、興味のある方はお早くね。<br />
</p>
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<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=B0012P6CEK&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>この映画は主役級の役者がいい。<br />
情熱的で憂いをおびたルトガー・ハウアーのナヴァレは言うまでもなく、ミシェル・ファイファーの幻想的な美しさや、まだ若いマシュー・ブロデリックのみずみずしさなど、役者を見ているだけでも楽しめる作品。<br />
CG使いまくりの大作ではないが、一昔前のファンタジー映画らしい、素朴で温かな魅力にあふれている。<br />
特にクライマックスの運びは素晴らしく、「昼ではない夜、夜ではない昼」の描写と、ナヴァレと悪徳警備隊長との一騎打ちが圧巻。<br />
素直にエンディングを喜べる作品だ。<br /></p>

<a href="http://twitter.com/?status=RT+%40sanmariecom%3A+%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%80%8E%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%80%8F%E5%A5%B3%E3%81%AF%E9%B7%B9%E3%81%AB%E3%80%81%E7%94%B7%E3%81%AF%E7%8B%BC%E3%81%AB%E3%80%80%EF%BD%9E%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AE%E6%81%8B%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%A5%87%E8%B7%A1%EF%BD%9E+-+sanmarie%2Acom+http%3A%2F%2Ftinyurl.com%2F2c2hbly" class="tweet-this" ><div align="right"><img src="http://www.sanmarie.me/sanmarie/wp-content/plugins/simple-tweet/img/tweet.gif" title="ツイート" alt="ツイート" />ツイート</div></a>]]></content:encoded>
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	</item>
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		<title>アルトゥール・ランボーの詩 /  サントリーCM映像　/ 映画『太陽と月に背いて』</title>
		<link>http://sanmarie.me/total_eclipse</link>
		<comments>http://sanmarie.me/total_eclipse#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 28 Apr 2010 10:15:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿月まり</dc:creator>
				<category><![CDATA[ポエム ＆ 心に残る言葉]]></category>
		<category><![CDATA[愛と耽美の映画]]></category>
		<category><![CDATA[海外の文学・哲学]]></category>
		<category><![CDATA[レオナルド・ディカプリオ]]></category>
		<category><![CDATA[恋愛映画]]></category>

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		<description><![CDATA[この世のものにあらざりし ランボー
- モーリヤック -
私が初めてランボーの名前を知ったのは、ウイスキーのCMが最初でした。
小学校の高学年の頃です。
土曜の夜、Gメン&#8217;75とかやってた時間帯によく目にした [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><font>この世のものにあらざりし ランボー</p>
<p>- モーリヤック -</font></p>
<p>私が初めてランボーの名前を知ったのは、ウイスキーのCMが最初でした。<br />
小学校の高学年の頃です。<br />
土曜の夜、Gメン&#8217;75とかやってた時間帯によく目にした記憶があります。<br />
私の姉の話では、ここに登場する火を噴く男や道化、タンバリンを叩く少女などは、ランボーの詩を象徴するものだそうで、背景の砂漠は、ランボーが最後に辿り着いた自由の境地、アフリカをイメージしたものです。<br />
ラスト、ランボーの投げたナイフが彼の詩集にぐさりと突き刺さる演出が秀逸ですね。</p>
<div class="myvideo">[ TVCM ] Suntory Royal &#8211; Arthur Rimbaud<br />
<p><a href="http://sanmarie.me/total_eclipse"><em>Click here to view the embedded video.</em></a></p></div>
<p>このCMは世界的なコンテストでも高く評価され、後に「アントニオ・ガウディ編」「グスタフ・マーラー編」も作られました。（Youtubeにアップされています。「サントリーCM」で検索してみて下さい）<br />
昔はこんなに芸術性の高いCMが作られていたんですよね。<br />
ちなみに、ガウディやマーラーを知ったのも、このCMシリーズがきっかけでした。<br />
ランボーへの思い入れたっぷりの、センスの良いCMだと思います。</p>
<h3>§ 永遠</h3>
<blockquote><p>
<strong>永遠</strong></p>
<p>もう一度 探し出したぞ<br />
何を？ 永遠を。<br />
それは、太陽と番った 海だ。</p>
<p>待ち受けている魂よ、 一緒につぶやこうよ、<br />
空しい夜と烈火の昼の 切ない思いを。</p>
<p>人間的な願望（ねがい）から<br />
人並みのあこがれから、<br />
魂よ、つまりお前は脱却し、<br />
そして自由に飛ぶという……。</p>
<p>絶対に希望はないぞ、 希いの筋もゆるされぬ。<br />
学問と我慢が やっと許してもらえるだけで……<br />
刑罰だけが確実で。</p>
<p>熱き血潮の柔肌よ、<br />
そなたの情熱によってのみ<br />
義務も苦もなく 激昂（たかぶ）るよ。</p>
<p>もう一度 探し出したぞ<br />
何を？ 永遠を。<br />
それは、太陽と番った 海だ。</p>
<p>僕の永遠の魂よ、 希望は守りつづけよ<br />
空しい夜と烈火の昼が たとい辛くとも</p>
<p>人間的な願望から 人並みのあこがれから、<br />
魂よ、つまりお前は脱却し、<br />
そして自由に飛ぶという……。</p>
<p>絶対に希望はないぞ、 希いの筋も許されぬ。<br />
学問と我慢が やっと許してもらえるだけで……。<br />
刑罰だけが確実で。</p>
<p>明日はもうない、 熱き血潮のやわ肌よ、<br />
そなたの熱は それは義務。</p>
<p>もう一度 探し出したぞ！<br />
──何を？ ──永遠を。<br />
それは、太陽と番った 海だ。
</p></blockquote>
<p>この詩に惚れない人はないだろう。<br />
私も、上記のCMに感化されて、すぐに詩集を買いに走ったクチなのだが、小学生でもこの詩にはノックアウトされた。<br />
若い魂の葛藤や反抗を表しながら、どこか官能的な情景の向こうには、太陽＝ランボー、海＝ヴェルレーヌの男色関係を示唆するものがある。<br />
原文では、「番った」が、avec というフランス語にあたるのだけれど、なるほど、avecにはこういう意味があるのかと改めて考えさせられた。<br />
共生とも一体とも取れる、強い、官能的な響きが、このavecにはある。<br />
私も、この詩を原文で味わいたいがために、「フランス語を勉強しよう」と思ったほど。</p>
<p>レオナルド・ディカプリオの映画『太陽と月に背いて』では、ラストシーンに効果的に使われていた。<br />
「もう一度、探し出したぞ」とつぶやくランボーに、「何を？」とヴェルレーヌが答える。<br />
「永遠を。それは、太陽と番った、海だ」<br />
現実には泥沼の三角関係を演じて、決して幸せな愛情生活は得られなかった二人だが、詩の中では、永遠に一つとなって、自由な魂の幸せを謳っているのだろう。</p>
<p>人間的な願望から 人並みのあこがれから、<br />
魂よ、つまりお前は脱却し、<br />
そして自由に飛ぶという……。</p>
<p>この一節、大好きです。</p>
<h3>§ 最後の塔の歌</h3>
<blockquote><p>
<strong>最後の塔の歌</strong></p>
<p>あらゆるものに縛られた 哀れ空しい青春よ、<br />
気むずかしさが原因で 僕は一生をふいにした。<br />
心と心が熱し合う 時世はついに来ぬものか！</p>
<p>僕は自分に告げました、<br />
忘れよう そして逢わずにいるとしよう<br />
無上の歓喜の予約なぞ あらずもがなよ、なくもがな。</p>
<p>ひたすらに行いすます世捨てびと<br />
その精進を忘れまい。<br />
聖母マリアのお姿以外 あこがれ知らぬつつましい<br />
かくも哀れな魂の やもめぐらしの憂さつらさ<br />
童貞女マリアに 願をかけようか？</p>
<p>僕は我慢に我慢した。<br />
おかげで一生忘れない。<br />
怖れもそして苦しみも 天高く舞い去った。<br />
ところが悪い渇望が 僕の血管を暗くした。<br />
ほったらかしの 牧の草 生えて育って花が咲く<br />
よいもわるいも同じ草 すごいうなりを立てながら<br />
きたない蝿めが寄りたかる。</p>
<p>あらゆるものに縛られた 哀れ空しい青春よ、<br />
気むずかしさが原因で 僕は一生をふいにした<br />
心と心が熱し合う 時世はついに来ぬものか！
</p></blockquote>
<p>これも中学生の時に惚れました。</p>
<p>『あらゆるものに縛られた 哀れ空しい青春よ、<br />
気むずかしさが原因で 僕は一生をふいにした<br />
心と心が熱し合う 時世はついに来ぬものか！』</p>
<p>この一節がまさに当時の自分の心境だったから。<br />
映画『太陽と月に背いて』でも、「ランボーの詩は、若い人から圧倒的な支持を得ているのです」といったセリフがあるが、技術においても、精神においても、若い魂そのままに革命的だったのだろうと思う。</p>
<h3>§ わが放浪</h3>
<blockquote><p>
<strong>わが放浪 </strong></p>
<p>僕は出掛けた<br />
底抜けポケットに両の拳を突っ込んで。<br />
僕の外套も裾は煙のようだった。</p>
<p>僕は歩いた、天が下所せましと、<br />
詩神どの、 僕はそなたに忠実だ、</p>
<p>ああ、なんと素敵な愛情を<br />
僕は夢見たことだった！</p>
<p>はきかえのないズボンにも<br />
大きな穴があいていた。</p>
<p>夢想家の一寸法師、<br />
僕は道々詩を書いた。</p>
<p>大熊星が僕の宿、<br />
み空の僕の星たちは<br />
やさしく衣ずれの音させた。</p>
<p>路傍の石に腰掛けて、<br />
星の言葉に聴き入った。</p>
<p>新涼九月の宵だった、<br />
養命酒ほどさわやかに</p>
<p>額に結ぶ露の玉、<br />
奇怪な影にとりまかれ、<br />
僕は作詩にふけってた、</p>
<p>ボロ靴のゴム紐を竪琴の弦に<br />
見立てて弾きながら、</p>
<p>片足はしっかりと胸に抱えて！
</p></blockquote>
<p>私もこんな風に旅立ってみたいなあといつも思っていた。<br />
どこか遠くに出掛けると、『大熊星が僕の宿』が脳裏に浮かんだもの。<br />
彼の詩はなるべく早い時期に読んだ方がいいと思う。<br />
年をとって落ち着いてしまうと、「そんなこともあったかなあ」と過去形になってしまうから。<br />
「そうだよ、ランボー、私もだよ」って、リアルに語り合える頃が一番いい。<br />
今でも大熊星は私の心の宿だけど。</p>
<h3>§ 関連書籍</h3>
<h6><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/aw/rd.html?ie=UTF8&#038;dl=1&#038;uid=NULLGWDOCOMO&#038;lc=msn&#038;a=4102176012&#038;at=ma046-22&#038;url=%2Fgp%2Faw%2Fd.html" alt="ランボー詩集 (新潮文庫)">ランボー詩集 (新潮文庫)</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&#038;l=msn&#038;o=9&#038;a=4102176012" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /></h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4102176012&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>今さら言うまでもない名著。<br />
典雅で格調高い訳文に酔いしれる。<br />
できれば原文も読みこなしてみたいけれど、堀口氏の翻訳でも十分にランボーの世界を堪能できるのではないだろうか。<br />
後にも先にも、これに勝る訳文は出てこないだろう。<br />
それぐらい価値のある一冊。<br />
</p>
<h6><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/aw/rd.html?ie=UTF8&#038;dl=1&#038;uid=NULLGWDOCOMO&#038;lc=msn&#038;a=4101194017&#038;at=ma046-22&#038;url=%2Fgp%2Faw%2Fd.html" alt="海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)">海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&#038;l=msn&#038;o=9&#038;a=4101194017" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /></h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4101194017&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>フランスの詩に興味をもったらぜひ読んで欲しいのが、上田敏の「海潮音」。<br />
クラシックで格調高い美しい翻訳が楽しめます。</p>
<p>ちなみに私が一番好きなのは、ジャン・コクトーの一行詩、</p>
<p><font color="darkblue"><strong>わたしの耳は貝の殻。海の響きを懐かしむ。</strong></font></p>
<h6><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/aw/rd.html?ie=UTF8&#038;dl=1&#038;uid=NULLGWDOCOMO&#038;lc=msn&#038;a=400375011X&#038;at=ma046-22&#038;url=%2Fgp%2Faw%2Fd.html" alt="フランス名詩選 (岩波文庫)">フランス名詩選 (岩波文庫)</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&#038;l=msn&#038;o=9&#038;a=400375011X" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /></h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=400375011X&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>フランス語の原文も楽しみたいなら、こちらの文庫本がおすすめ。<br />
ボードレール、マラルメ、ヴェルレーヌ、コクトーといった、フランスが誇る名詩を100篇を精選、原詩と日本語訳を対照して紹介しています。</p>
<h3>§ 太陽と月に背いて</h3>
<p><a href="http://sanmarie.me/sanmarie/wp-content/uploads/2010/04/total-eclipse-dicaprio.jpg" class="highslide-image" onclick="return hs.expand(this);"><img src="http://sanmarie.me/sanmarie/wp-content/uploads/2010/04/total-eclipse-dicaprio-e1280309388139.jpg" alt="太陽と月に背いて" title="total-eclipse-dicaprio" width="500" height="340" class="aligncenter size-full wp-image-13252" /></a></p>
<p>映画『太陽と月に背いて（原題：Total Eclipse』は、ランボーとヴェルレーヌ、そしてヴェルレーヌの妻との複雑な三角関係をベースに、稀代の天才詩人二人が惹かれ合い、互いにインスパイアしながらも、破滅にひた走って行く過程が描かれています。</p>
<p>Total Eclipseは皆既月食の意味。</p>
<p>レオナルド・ディカプリオが最高に美しかった頃の秀作です。</p>
<p>これは創作活動も人生も共にすると誓ったランボーとヴェルレーヌが熱い口づけを交わす名場面。<br />
美しいレオ様の唇が爬虫類のようなデヴィッド・シューリスの唇と重なった時――。<br />
すべての観客が「ウウッ」と息を呑むのがひしひしと感じられました。</p>
<p>レオ様、超美しいです。これはまさにお宝映像ですね。</p>
<div class="myvideo">レオナルド・ディカプリオとシューリスのキスシーン<br />
<p><a href="http://sanmarie.me/total_eclipse"><em>Click here to view the embedded video.</em></a></p></div>
<p>これもファン垂涎の名場面。<br />
「海が見たい」と甘えるランボーの願いを叶えてあげるヴェルレーヌ。<br />
上記の『永遠』の詩を思い浮かべながら見て下さい。うずうずっとしますでしょ。<br />
こんな可愛い男の子に甘えられたら、ヴェルレーヌでなくても、何でもしてあげてくなるよなーっ。</p>
<div class="myvideo">ヴェルレーヌとの旅<br />
<p><a href="http://sanmarie.me/total_eclipse"><em>Click here to view the embedded video.</em></a></p></div>
<p>本作のトレイラー。</p>
<div class="myvideo">Total Eclipse (1995) &#8211; Movie Trailer<br />
<p><a href="http://sanmarie.me/total_eclipse"><em>Click here to view the embedded video.</em></a></p></div>
<p>
この後、レオナルド・ディカプリオは、バズ・ラーマン監督の『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B001EI5M5A?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B001EI5M5A">ロミオ&amp;ジュリエット</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=B001EI5M5A" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" />』で注目を集め、『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B001LM1848?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B001LM1848">タイタニック</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=B001LM1848" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" />』で世界中にその名を知らしめました。</p>
<p>しかしながら、その後10年、これといった作品に恵まれず、レオ様いわく、「タイタニックには出るべきではなかった」と。</p>
<p>その気持ちも分かるような気がします。<br />
（タイタニック以後、何を見てもジャックにしか見えない）</p>
<h6><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/aw/rd.html?ie=UTF8&#038;dl=1&#038;uid=NULLGWDOCOMO&#038;lc=msn&#038;a=B000K7VIP4&#038;at=ma046-22&#038;url=%2Fgp%2Faw%2Fd.html" alt="太陽と月に背いて [DVD]">太陽と月に背いて [DVD]</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&#038;l=msn&#038;o=9&#038;a=B000K7VIP4" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /></h6>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=B000K7VIP4&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>19世紀。時の大詩人ポール・ヴェルレーヌ（デヴィッド・シューリス）のもとに、才気あふれる16歳の天才詩人アルチュール・ランボー（レオナルド・ディカプリオ）が訪れる。若く美しく才能あるランボーにヴェルレーヌは惹かれるが、嫉妬と愛憎入り混じる激しすぎる愛ゆえ、ふたりは別離を繰り返していく。<br />
心理的SM関係のランボーとヴェルレーヌの、激しすぎる関係を軸に、2人の出会いからランボーが孤独な死を迎えるまでを格調高く描いていく。よくある同性愛モノのようにメロウに流れることなく、厳しい目で2人を見つめ、芸術家の心のうちをえぐり出していく。<br />
ディカプリオがプライドと才能がにじみ出る残酷な若き天才を、乗り移ったかのように演じている。適役とはまさにこのこと。酒におぼれ妻を殴り、妻とランボーの間を行ったりきたりするヴェルレーヌ役のデヴィッド・シューリスもすばらしい。<br />
ちなみに、原題の『Total eclipse』が意味するところは、太陽＝ランボーが、月＝ヴェルレーヌを完全に支配することを象徴しているのだそうだ。<br />
&#8212;<br />
レオ様が最高に美しかった頃の宝石のような映画。映画としての評価はどうでもよろしい。レオ様が美しければ、それで全てが許されるのだ。<br />
公開当時は、男同士のキスシーンが話題を呼んで、映画館でも、観客すべてが「ウウッ」と息を呑む気配をひしひしと感じたもの。レオ様は「二度としたくない」とコメントしていたようですが・・。<br />
こんな息子が欲しくて、金髪に憧れてたこともあったな。この頃の彼に会うことが、どれほど夢だったことか。。。<br />
ランボーを演じるレオ様は、まるでアイドル映画の学生みたいで、全然、天才詩人らしくない。でも、可愛いから許す。</p>
<p>この映画は、ヴェルレーヌ役のデヴィッド・シューリスと、夫を寝取られる妻役のロマーヌ・ヴォーランジェで持っている。二人のネチネチ感が、レオ様の清々しさと対照的で面白いの。<br />
ともあれ、レオ様のアイドル映画として見れば溜め息間違いなし。</p>
<p>【Amazonレビューより】<br />
ディカプリオの一番美しかった瞬間を捕らえた奇跡の作品。 （←　まったくその通り）<br />
脚本は晩年までを描いたばかりに失敗に終わっているが、ランボウとヴェルレーヌのダメっぷりは忠実に描かれていると思う。<br />
衣装やセット、音楽、映像の質感と言った部分も文句なしに素晴らしいと思う。<br />
ディカプリオもこの作品を最後に、ランボウのように引退していたらインディー界のスターとして伝説になっていたこと間違いなし。<br />
金に目がくらんでへんてこな作品にばかり出演している現状が嘆かわしい。</p>
<p>&#8212;&#8212;</p>
<p>とにかく、レオ君が美しくて…<br />
ランボーとヴェルレーヌが、萩尾望都のマンガ「ポーの一族」のエドガーとオービンさんにそっくりです。<br />
マンガ同様レオ君もこのまま時が止まればいいのにと思いました。</p>
<p>&#8212;&#8211;</p>
<p>それなりに映画の数を見ていると思うが、ここまでハマリ役というのもめずらしいほど、ディカプリオの配役と演技は見事。『ギルバートブレイク』『ビーチ』でも感じたが、ハッキリ言って見事な演技力だ。<br />
それにしても「ぼくを捨てないで」のセリフは、見るものの感情に訴えかける（笑）。<br />
竹宮恵子さんの『風と木の詩』のジルベールを連想させます。<br />
世の中には被保護欲というのがあって、「おれがいなければ」「守ってあげなくては」という気持ちを増幅させるタイプの人間というのは入るのですねぇ。<br />
そういった自分の才能や繊細におしつぶされるナイーブな役どころは、まじでディカプリオにははまりですね。<br />
普通の男の半裸なんて汚いだけなのですが、この若さあふれる頃の美しさを映像に残せたのは、価値あることですねぇ。<br /></p>

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	</item>
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		<title>D・H・ロレンスの名作 『チャタレイ夫人の恋人』</title>
		<link>http://sanmarie.me/chatterleys_lover</link>
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		<pubDate>Mon, 26 Apr 2010 22:26:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿月まり</dc:creator>
				<category><![CDATA[愛と耽美の映画]]></category>
		<category><![CDATA[海外の文学・哲学]]></category>
		<category><![CDATA[女性のライフスタイル]]></category>
		<category><![CDATA[恋愛映画]]></category>

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		<description><![CDATA[コニーは裕福な貴族クリフォード・チャタレイと結婚しますが、夫クリフォードはわずか結婚半年にして戦場で負傷し、下半身不随になってしまいます。
まだ二十三歳の若く美しい妻コニーは、生きている実感が得られぬまま、息の詰まるような日々を送っていましたが、森番のメラーズと出会ってから、女として本当の悦びを知るようになります。
人目を盗んで逢瀬を重ねるうちに、深く愛し合うようになったコニーとメラーズは、階級を超え、しがらみを超え、自由の天地へ旅立っていくのでした。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://sanmarie.me/sanmarie/wp-content/uploads/2010/04/lady_chatterley_2.jpg" class="highslide-image" onclick="return hs.expand(this);"><img src="http://sanmarie.me/sanmarie/wp-content/uploads/2010/04/lady_chatterley_2-e1280314519629.jpg" alt="チャタレイ夫人の恋人" title="lady_chatterley_2" width="500" height="333" class="aligncenter size-full wp-image-13274" /></a></p>
<p>「完訳版より、伏せ字判の方がエロかった」という声を多々聞いた、1995年の完訳版発刊。<br />
今、読み返したら、この描写のどこがエロいのかと首をひねりたくなるような秀作です。<br />
（初版当時は80ページも削除されとったらしい）</p>
<p>性愛文学の頂点に燦然と輝くＤ・Ｈ・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人　 Lady Chatterley&#8217;s Lover 』は、愛と生を高らかに謳った素敵な恋愛小説です。</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/aw/rd.html?ie=UTF8&#038;dl=1&#038;uid=NULLGWDOCOMO&#038;lc=msn&#038;a=4102070125&#038;at=ma046-22&#038;url=%2Fgp%2Faw%2Fd.html" alt="チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)">チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&#038;l=msn&#038;o=9&#038;a=4102070125" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4102070125&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<h3>§  物語</h3>
<p>コニーは裕福な貴族クリフォード・チャタレイと結婚しますが、夫クリフォードはわずか結婚半年にして戦場で負傷し、下半身不随になってしまいます。<br />
まだ二十三歳の若く美しい妻コニーは、生きている実感が得られぬまま、息の詰まるような日々を送っていましたが、森番のメラーズと出会ってから、女として本当の悦びを知るようになります。<br />
人目を盗んで逢瀬を重ねるうちに、深く愛し合うようになったコニーとメラーズは、階級を超え、しがらみを超え、自由の天地へ旅立っていくのでした。</p>
<div id="attachment_10653" class="wp-caption aligncenter" style="width: 178px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/delville3.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/delville3-168x270.jpg" alt="【魂の愛】－ The Love of Souls － ジャン・デルヴィーユ Jean Delville" width="168" height="270" class="size-medium wp-image-10653" /></a><p class="wp-caption-text">【魂の愛】－ The Love of Souls － ジャン・デルヴィーユ Jean Delville</p></div>
<blockquote><p>
「それであなたは後悔していらっしゃいますのね？」と彼女が言った。<br />
「ある意味では！」と答えて彼は空を見上げていた。<br />
「もう僕はそういうことは済んでしまったのだと思っていました。<br />
ところがまたこうして始めてしまったのです」<br />
「何を始めたとおっしゃるのです？」<br />
「人生です」<br />
「人生！」と彼女はその言葉にふしぎな戦慄を感じて、おうむ返しに言った。
</p></blockquote>
<p>森番のメラーズに何かしら魅かれたコニーは、森の中にある彼の小屋に頻繁に出掛けるようになります。<br />
そしてある日、孵ったばかりの鶏の雛を手の中に抱くうちに、思わず涙をこぼしてしまったコニーを、彼は静かに小屋に導きいれ、最初の関係をもったのでした。<br />
ぼんやりと、夢でも見るように交わった二人ですが、彼がコニーに「後悔していませんか？」と訊ねると、コニーは「いいえ、いいえ」ときっぱりと返します。<br />
上のやり取りには、“肉体の解放を通じて、魂の幸福を得る”というＤ・Ｈ・ロレンスの思想がよく表れていると思います。<br />
コニーは夫の不随から、メラーズは妻との離婚から、異性と交わることなく、虚ろな日々を過ごしてきました。互いに、“もう誰かと心と身体を通わす事はない”と、半ば諦めにも似た感情にとらわれていただけに、小屋での出来事は二人の胸に思いがけない感動を呼び覚ますのです。<br />
その感動を、「ＬＩＦＥ＝生命、人生」という言葉で表わしたロレンスのセンスが大好きです。</p>
<blockquote><p>
男というものはだれでも、ほんとうのことがわかってみると、赤ん坊なんですわ。…〈中略〉…<br />
何か痛いところでもできて世話をしてやってみれば、みな赤ん坊ですの。<br />
ええ、男というものはみな同じようなものですわ
</p></blockquote>
<p>コニーがクリフォードとの生活を通して知った事。<br />
彼女の言葉は実に的を得ています。<br />
男は認めたがらないけど、男ってのはホントに死ぬまで子供子供しています。<br />
いつでも女が母親みたいにヨシヨシしてやらないと、ダメになりやすい生き物みたいです。</p>
<blockquote><p>
自分の肉体のことに気がついた瞬間から、不幸というものが始まるのよ。<br />
だから文明というものが何かの役にたつならば、私たちが肉体を忘却することを手伝ってくれるものでなければなりませんわ。<br />
そうすれば、私たちは自分の肉体に気がつかずに幸福に暮らせますもの
</p></blockquote>
<p>サロンで交わされるセリフの一つです。<br />
「肉体」という言葉には様々な意味が含まれています。<br />
欲望、本能、生命、等々、人間は“精神”だけでは生きられない。その“肉体”に忠実になって初めて、本当の幸福が得られる――と解釈されるかな？<br />
この小説が何十年と発禁にされたり、裁判にかけられたりした社会的背景からも解るように、これが書かれた時代というのは、精神的にも社会的にも規制が厳しく、（キリスト教の思想が大きく影響している）、人が自分（欲望）に正直に生きられない時代でした。<br />
その中で、堂々と肉体＝欲望に忠実に生きること、性愛の悦びを描いたロレンスは、ホントにすごいなあと思います。</p>
<div id="attachment_10654" class="wp-caption aligncenter" style="width: 200px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/munch8.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/munch8-190x270.jpg" alt="【受胎】エドヴァルド・ムンク" width="190" height="270" class="size-medium wp-image-10654" /></a><p class="wp-caption-text">【受胎】エドヴァルド・ムンク</p></div>
<blockquote><p>
彼女はもはや、自分で身体を動かして自分の結末をむかえることはできなかった。 これは今までとは違っていた。</p>
<p>彼が彼女の中から滑り出て、離れてしまうという恐ろしい瞬間が来るのを感じて、待ちながら呻いていることができるだけであった。</p>
<p>その間じゅう彼女の子宮は開いて柔らかくなり、潮に揺られるイソギンチャクのように、柔らかく訴え求めていた。</p>
<p>もう一度入ってきて彼女の中を満たしてくれと訴え求めていた。
</p></blockquote>
<p>よく「経験しなければ書けない」という人がいる。<br />
だが、それは大きな間違いだ。<br />
書ける人は経験しようが、しよまいが書けるものだし、書けない人は何をやっても書けないものである。<br />
その証がこれ。<br />
書いたのは、男だよ、男！<br />
女でも、こんなに鮮やかに“その瞬間”は書けないよ。<br />
想像豊かは、創造も豊か。<br />
いったいどうっやってこの一節を書いたのか、聞いてみたい。</p>
<div id="attachment_10655" class="wp-caption aligncenter" style="width: 280px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/klimt17.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/klimt17-270x258.jpg" alt="【ダナエ】－ＤＡＮＡＥ －　グスタフ・クリムト　Gustav Klimt" width="270" height="258" class="size-medium wp-image-10655" /></a><p class="wp-caption-text">【ダナエ】－ＤＡＮＡＥ －　グスタフ・クリムト　Gustav Klimt</p></div>
<blockquote><p>
「僕たちは、さっきは一緒にすませたね」と彼が言った。<br />
彼女は答えなかった。<br />
「あんなふうになれるといいものだ。たいていの人々は一生涯生きてもあれがわからずにいるんだ」<br />
と彼はどこか夢見るように言った。
</p></blockquote>
<div id="attachment_10656" class="wp-caption aligncenter" style="width: 262px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/kupka2.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/kupka2-252x269.jpg" alt="kupka" width="252" height="269" class="size-medium wp-image-10656" /></a><p class="wp-caption-text">kupka</p></div>
<blockquote><p>
「いちど男を自分の血の中に入れてしまうと、恐ろしいことになります！」<br />
「はい、奥様! そのために辛い思いをするのでございますわ……」<br />
「そんなに長く御主人の感じを覚えていらしたの？」<br />
「まあ、奥様。続くものってほかに何がございましょう？ ……ほんとに男というものの暖かさを理解できない女のかたをみますと、たとえどんなに着飾って歩き回っていましても、ただ気の毒なミミズク人形のようにしか見えません……」
</p></blockquote>
<p>彼女もまたずっと昔に夫を亡くした身でした。<br />
そんな年配の未亡人とコニーが交わす言葉がこれ。<br />
女ならではの辛さや淋しさがよく伝わってくる一場面です。</p>
<blockquote><p>
ついに突然、全身の細胞の急所に何かが触れ、彼女は静かだが激しい痙攣をおこしはじめた。<br />
彼女は自分に何かが触れたことを知った。至上の悦びが彼女を襲い、彼女は終わった。</p>
<p>彼女は終わった。消え失せた。<br />
そして生まれた。女として。</p>
<p>そして今、心の中に、彼に対するふしぎな賛嘆の念がめざめた。<br />
一人の男！彼女に与えられた男性のふしぎな力！</p>
<p>いかに彼が美しく感じれらたことか！<br />
どんなに愛すべく、どんなに愛すべく、強く、しかもなお純粋で繊細に感じられたことか！</p>
<p>そして彼の両脚の間にある二つの玉のふしぎな重み！<br />
人間の手の中に柔らかく重たくのっているもののふしぎな神秘の重み！<br />
それはすべての良きものの根だ。すべての全く美しいものの根本だ。
</p></blockquote>
<p>「そして生まれた。女として」という表現が秀逸。<br />
多分、このくだりも伏せ字攻撃にあったのだろう。<br />
すごく綺麗な描写なんですけどねえ。</p>
<blockquote><p>
「俺はお前が好きだ。俺はお前の中に入って行けるんだ」<br />
と彼は言った。<br />
「お前の中へ入って行くとなにもかも忘れてしまう。<br />
おれのためにからだを開いてくれるお前が好きなんだ。<br />
あんな風にお前の中に入って行けるのが嬉しいんだ」
</p></blockquote>
<div id="attachment_10657" class="wp-caption aligncenter" style="width: 280px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/klimt28.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/klimt28-270x254.jpg" alt="【死と生】グスタフ・クリムト" width="270" height="254" class="size-medium wp-image-10657" /></a><p class="wp-caption-text">【死と生】グスタフ・クリムト</p></div>
<blockquote><p>
「俺は暖かい心というものを信じる。<br />
特に恋愛の暖かい心、暖かい心でする交わりを信じる。<br />
男が暖かい心でやるようになり、女がそれを暖かい心で受け入れるならば、<br />
あらゆることがよくなると信じるね。<br />
冷たい心で女とやるのはまさに死と愚行にすぎない」</p>
<p>※</p>
<p>「一片の暖かい心というものがすべてを解決するんだ」
</p></blockquote>
<div id="attachment_10658" class="wp-caption aligncenter" style="width: 230px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/watts16.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/watts16-220x270.jpg" alt="【選択】ジョージ・フレデリック・ワッツ　George Frederick Watts" width="220" height="270" class="size-medium wp-image-10658" /></a><p class="wp-caption-text">【選択】ジョージ・フレデリック・ワッツ　George Frederick Watts</p></div>
<blockquote><p>
「一度ある人間を好きになった経験のある人なら、<br />
もし他の人がぜひとも自分を必要とすれば、 ほとんど誰にでも親切になれますわ。<br />
が、それは同じものじゃありません。それは本当の愛情ではないのです。<br />
本当に誰かを愛した後、もう一度別の男を本心から愛せるとは私は思いませんわ」<br />
「人間はたった一度だけしか愛せないものなの？」<br />
とコニーは訊いた。<br />
「でなかったら、決して愛することなんかできないのですわ。<br />
たいていの女は決して愛しませんし、愛そうともしません。<br />
それがどういう意味か知らないのです。男もそうですわ。
</p></blockquote>
<p>ここでは「愛」にまつわる言葉ばかりをセレクトしましたが、 この作品は、階級制度や工業化、精神と肉体の分離と合一など、奥深い、様々なテーマを扱っています。<br />
鮮烈な性描写ゆえに、その全体像は何十年と伏せられ、歪められてきましたが、時代の流れにより、黒丸ボカシ文字が取っ払われた事は、作者にとっても、読者にとってもホントに喜ばしいことです。<br />
ロレンス氏の類稀なる才能と感性と、禁忌をものともしない創作魂（？）に敬服します！</p>
<h3>§ 関連商品</h3>
<p>『チャタレイ夫人の恋人』は何度か映画化されたりTVドラマ化されたりしていますが、私が見た中では、シルヴィア・クリステル（『エマニュエル夫人』のお方）のコニーが一番上品で官能的な気がします。<br />
ニコラス・クレイの森番メラーズも甘く優しい印象で、コニーが好きになってしまうのも無理ないかも。</p>
<div class="myvideo">Nicholas Clay and Sylvia Kristel in LADY CHATTERLEY&#8217;s LOVER (1981)<br />
<p><a href="http://sanmarie.me/chatterleys_lover"><em>Click here to view the embedded video.</em></a></p></div>
<p></p>
<p>私が全編通して見たのは、1993年に制作されたケン・ラッセル版。<br />
コニー役はいまいちだったけど、森番メラーズのショーン・ビーンが素晴らしかった。<br />
ショーンと言えば、『ロード・オブ・ザ・リング　第一作』で、フロドの黄金の指輪をつけ狙い、最後はオークに殺されてしまう、ゴンドールの執政の長子ボロミアを演じていた人。画像が粗いのでわかりにくいけども。</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/aw/rd.html?ie=UTF8&#038;dl=1&#038;uid=NULLGWDOCOMO&#038;lc=msn&#038;a=B00005FXNY&#038;at=ma046-22&#038;url=%2Fgp%2Faw%2Fd.html" alt="チャタレイ夫人の恋人 ノーカット ヘア解禁全長版 [DVD]">チャタレイ夫人の恋人 ノーカット ヘア解禁全長版 [DVD]</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&#038;l=msn&#038;o=9&#038;a=B00005FXNY" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />
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<div class="myvideo">Sean Bean [ Lady Chatterley's Lover ]<br />
<p><a href="http://sanmarie.me/chatterleys_lover"><em>Click here to view the embedded video.</em></a></p></div>
<p>メラーズは単なる精力ギンギンの肉体派ではなく、不幸な結婚生活の痛手から逃れるために、あえて森の中に息を潜めるようにして生きている繊細で思慮深い男。<br />
上記で紹介した、<br />
<font color="darkgreen"><br />
「もう僕はそういうことは済んでしまったのだと思っていました。ところがまたこうして始めてしまったのです」<br />
「何を始めたとおっしゃるのです？」<br />
「人生です」<br />
</font><br />
というやり取りからも分かるように、ゆっくりと死にゆくような空しさの中で、魂の抜け殻のような「肉体だけの生」を生きていたのはメラーズとて同じこと。<br />
夫との交わりを失い、うつろになっていたコニーと、温かい肌の触れ合いを通して、再び魂が息づくような人生を実感できるようになった。<br />
原作における緻密な心理描写を読めば、二人がただ単に快楽をむさぼり合うために逢瀬を重ねていたのではなく、「生きたい」という魂の希求から、ほとばしるようにお互いの肉体を求めた理由に納得が行くはずだ。</p>
<p>それだけに、映画でも、成熟した男の陰影と「女性」に対する優しさがにじみだすような役者が求められる。</p>
<p>その点、ショーンは、下半身だけで生きているようなギンギンとした精力絶倫男でもない、まして、欲望をもてあます上流階級の夫人を前に舌なめずりするような下劣な男でもない、コニーの空しさと生命力を誰よりも理解し、がっちりと抱擁できる男らしい男を渋く演じていた。</p>
<p>この作品を映像化するにあたって一番やって欲しくないのは、交わりのシーンをやたら強調して、どこにでもある男女の不倫話に落としてしまうことだ。</p>
<p>その為にも、森番メラーズは、女性がため息をつくような思慮と優しさを備えた役者に演じて欲しい。</p>
<p>ケン・ラッセル版に関しては、ショーンで成功したように思う。</p>
<p>
こちらはレディコミの大家、川崎美枝子先生による漫画本。<br />
「美枝子先生」と聞いただけですぐに内容がイメージできてしまう。<br />
絵柄の華やかさもさることながら、女性の正直な内面を描かせたらレディコミ界随一の美枝子先生。<br />
コニーとメラーズの飾らない愛のドラマに嘆息すること請け合いです！<br />
（美枝子先生は、女性がうっとりするような作品が得意♪）</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/aw/rd.html?ie=UTF8&#038;dl=1&#038;uid=NULLGWDOCOMO&#038;lc=msn&#038;a=4418962018&#038;at=ma046-22&#038;url=%2Fgp%2Faw%2Fd.html" alt="マンガ世界の文学 (3) チャタレイ夫人の恋人">マンガ世界の文学 (3) チャタレイ夫人の恋人</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&#038;l=msn&#038;o=9&#038;a=4418962018" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />
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	</item>
		<item>
		<title>ティファニーで朝食を &#8211; Breakfast at Tiffany&#8217;s -</title>
		<link>http://sanmarie.me/tiffany</link>
		<comments>http://sanmarie.me/tiffany#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 20 Apr 2010 08:20:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿月まり</dc:creator>
				<category><![CDATA[愛と耽美の映画]]></category>
		<category><![CDATA[海外の文学・哲学]]></category>
		<category><![CDATA[女性のライフスタイル]]></category>
		<category><![CDATA[恋愛映画]]></category>

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		<description><![CDATA[オードリー・ヘプバーン主演の映画「ティファニーで朝食を」とトルーマン・カポーティの小説は別物と見た方がいい。
映画ティファニーはあくまで「オードリーの映画」であって、カポーティが描いた「ホリー・ゴライトリーの物語」では [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://sanmarie.me/sanmarie/wp-content/uploads/2010/04/brakfasttiffany.jpg" class="highslide-image" onclick="return hs.expand(this);"><img src="http://sanmarie.me/sanmarie/wp-content/uploads/2010/04/brakfasttiffany-e1280315973100.jpg" alt="ティファニーで朝食を" title="ティファニーで朝食を" width="250" height="338" class="alignright size-full wp-image-13285" /></a></p>
<p>オードリー・ヘプバーン主演の映画「ティファニーで朝食を」とトルーマン・カポーティの小説は別物と見た方がいい。<br />
映画ティファニーはあくまで「オードリーの映画」であって、カポーティが描いた「ホリー・ゴライトリーの物語」ではないからだ。</p>
<p>オードリーもホリー役を好演していたけれど、「結局のところ、あたしって、あしたは何処に住むかわかんないでしょ。だから“旅行中”ってつけてもらったの」と言い放つ原作のホリー像とはかなり違っている。<br />
娼婦じみた奔放な女を演じるには、オードリーはあまりに上品すぎたのではないだろうか。（キュートだけれども）<br />
「映画を見たカポーティが不満をもらした」と言い伝えられるのも頷ける。</p>
<p>原作のホリー・ファンとしては、もう一度、新しい役者で原作に忠実なホリーの物語を撮り直して欲しいところだけども、オードリーのティファニーが映画史上に残る名作として燦然と輝いている以上、リメイクは難しいだろう。</p>
<p>この原作は、映画を離れて読んで欲しい、珠玉の一冊だ。</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/aw/rd.html?ie=UTF8&#038;dl=1&#038;uid=NULLGWDOCOMO&#038;lc=msn&#038;a=4102095012&#038;at=ma046-22&#038;url=%2Fgp%2Faw%2Fd.html" alt="ティファニーで朝食を (新潮文庫)">ティファニーで朝食を (新潮文庫)</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&#038;l=msn&#038;o=9&#038;a=4102095012" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />
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<p>
新潮社文庫から発行されている翻訳本には、<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/410209508X?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=410209508X">村上春樹版</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=410209508X" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" />と、上記に表示している龍口 直太郎 版 と２種類あり、龍口版は現在廃刊となっていて、店頭での入手は難しくなっています。（マーケットプレイスのみ）</p>
<p>私は龍口版しか読んだことがなくて、こちらに紹介しているのは龍口版の翻訳です。</p>
<p>クラシックな文章がとても素敵です。いつかまた再版して欲しいですね。</p>
<h3>§ ホリー・ゴライトリーの魅力</h3>
<p>名優オードリー・ヘプバーンが演じた、映画「ティファニーで朝食を」のホリー・ゴライトリーは、小粋で、ロマンチックな女性でしたが、カポーティの描いた小説のヒロインは、野生的なまでに自由奔放な女。　　　　<br />
　　　　<br />
カポーティが本当に描きたかったのは、ホリーと無名作家の恋物語ではなく、たくさんの取り巻きに囲まれて、その日その日を生きる自由な女の“旅”なのです。　　　　<br />
　　　　<br />
「ティファニーで朝食を」――　　　　<br />
　　　　<br />
それは自我と自由を愛するホリーの心意気と、留まる所の無い不安と淋しさを表した、象徴的な言葉です。</p>
<blockquote><p>私がその家に移ってから一週間ばかりたったある日のこと、二号室に属する郵便箱の名札さしに奇妙な名刺がさしこんであった。　　　　<br />
しゃれた字体で印刷してある文字を読むと、「ミス・ホリデイ・ゴライトリー」とあり、その下の隅っこに、　　　　<br />
「旅行中（Traveling）」と記してあった。</p></blockquote>
<p>何ものにも属さず、誰のものにもならず、自由奔放に生きる女ホリー・ゴライトリー。　　　　<br />
ニューヨークの小さなアパートに引っ越してきた無名作家の「私」は、いつも数名の取り巻きに囲まれ、その日その日を気ままに生きる彼女に、次第に心ひかれていきます。　　　　<br />
      　　　　<br />
そんな彼女の名刺には、彼女の生き様そのものともいえる肩書きが一つ。　　　　<br />
      　　　　<br />
「<b>旅行中</b>」――　　　　<br />
      　　　　<br />
たとえ地の果てまで行き着こうと、自分の心に忠実に生きようとする彼女の心意気が表れています。　　　　</p>
<div id="attachment_10839" class="wp-caption aligncenter" style="width: 280px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/mprever.jpeg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/mprever-270x193.jpg" alt="【 幻想 】－ Reveries －　マックスフィールド・パリッシュ　Maxfield Parrish" width="270" height="193" class="size-medium wp-image-10839" /></a><p class="wp-caption-text">【 幻想 】－ Reveries －　マックスフィールド・パリッシュ　Maxfield Parrish</p></div>
<blockquote><p>「あたしは長い間、自分のことは自分で始末つけてきたんだからね」</p></blockquote>
<p>彼女が単なる“奔放な女”でないことは、この一言で分かります。　　　　<br />
本当の自由とは、精神的自立と責任のもとに実現されるもの。　　　　<br />
常識人間の目には、ホリーは“無責任で我が侭な女”に映るかもしれませんが、彼女は真に自由に生きるにふさわしい自覚と責任感をもった『自立した女』なのです。</p>
<div id="attachment_10841" class="wp-caption aligncenter" style="width: 280px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/fiorentino1.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/fiorentino1-270x221.jpg" alt="【 楽奏する天使 】- Angelic Musician -　フィオレンティーノ Rosso Fiorentino" width="270" height="221" class="size-medium wp-image-10841" /></a><p class="wp-caption-text">【 楽奏する天使 】- Angelic Musician -　フィオレンティーノ Rosso Fiorentino</p></div>
<blockquote><p>
彼女は一匹の猫を飼い、ギターを弾いていた。陽の良く照る日には髪の毛を洗い、赤毛のトラ猫と一緒に非常階段の上にすわり、毛を乾かしながらギターを爪びきしていた。　　　　<br />
　　　　<br />
『眠りたくもないし、　　　　<br />
死にたくもない、　　　　<br />
ただ旅して行きたいだけ、　　　　<br />
大空の牧場通って』　　　　<br />
      　　　　<br />
Don&#8217;t wanna sleep,　　　　<br />
don&#8217;t wanna die,　　　　<br />
Just wanna go a-traveling&#8217;　　　　<br />
through the pastures of the sky</p></blockquote>
<p>映画では、有名な「ムーン・リヴァー」が歌われる場面です。　　　　<br />
（無名作家の“私”と目を見交わしながら歌うオードリーが、とっても素敵でした）　　　　<br />
でも原作の歌の方がホリーらしくて良いような。　　　　<br />
行く当ても無ければ、帰る場所も無いけれど、心赴くままに旅を続けたいという彼女の心情にぴったりの詩です。</p>
<div class="myvideo">moon river-breakfast at tiffany´s<br />
<p><a href="http://sanmarie.me/tiffany"><em>Click here to view the embedded video.</em></a></p></div>
<blockquote><p>
Moon River, wider than a mile　　　　<br />
I&#8217;m crossin&#8217; you in style some day　　　　<br />
Old dream maker, you heart breaker　　　　<br />
Wherever you&#8217;re goin&#8217;, I&#8217;m goin&#8217; your way.　　　　<br />
　　　　<br />
Two driffters, off to see the world　　　　<br />
There&#8217;s such a lot of world to see　　　　<br />
We&#8217;re after the same rainbow&#8217;s end　　　　<br />
Waitin&#8217; &#8217;round the bend　　　　<br />
My Huckleberry friend　　　　<br />
Moon river and me.　　　　
</p></blockquote>
<p>一マイルより広いムーン・リヴァーよ　　　　<br />
私はいつの日か、しゃれた姿であなたを渡ろう　　　　<br />
古き夢の主、心悩ます者よ　　　　<br />
あなたが何処に行こうと、私はついて行こう　　　　<br />
　　　　<br />
世界を見るため旅立つ二人の漂流者　　　　<br />
見る世界はあんなにもたくさんある　　　　<br />
私たちは角を曲がったところに待っている　　　　<br />
同じ虹の果てを求めている　　　　<br />
私のハックルベリーのような友　　　　<br />
ムーン・リヴァーと私よ　　　　</p>
<p>作詞 ： ジョニー・マーサー　　　　<br />
作曲 ： ヘンリー・マンシーニ</p>
<div id="attachment_10842" class="wp-caption aligncenter" style="width: 233px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/banks1.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/banks1-223x270.jpg" alt="－ Hannah －A.R.Banks" width="223" height="270" class="size-medium wp-image-10842" /></a><p class="wp-caption-text">－ Hannah －A.R.Banks</p></div>
<blockquote><p>
「映画スターになることと、大きな自我を持つことは並行するみたいに思われてるけど、事実は、自我などすっかり捨ててしまわないことには、スターになどなれっこないの。　　　　<br />
むしろ、そうなることがあたしの大きな目的で、いつかは回り道をしてでも、そこまで達するようにつとめるつもり。　　　　<br />
ただ、たとえそうなっても、あたしの自我だけはあくまで捨てたくないのよ。ある晴れた朝、目を覚まし、ティファニーで朝食を食べるようになっても、あたし自身というものは失いたくないのね」
</p></blockquote>
<p>「ティファニーで朝食をとる」――　　　　<br />
それはすべての不安から逃れ、落ち着いた気分で朝食をとれる、安らかな日々の訪れを意味しています。　　　　<br />
      　　　　<br />
自由奔放を好む一方で、何処かに安住の地を見つけたいと願っているホリー。それでも、それでも、最後には『自由』を選ばずにいないのが彼女の本質であり、哀しさなのかもしれません。　　　　<br />
      　　　　<br />
誰かに属し、その人の懐に安住するということは、属するものに『拘束』されることでもあります。　　　　<br />
そして『拘束』こそ『自由』の最大の敵であり、自我を閉塞させる籠に他ならないことを、彼女は誰よりも知っていたにちがいありません。</p>
<blockquote><p>
「このおバカちゃんは（飼い猫）まだ名前をもらってないのよ。　　　　<br />
名前が無いのって、ちょっと不便だわね。　　　　<br />
      　　　　<br />
でもあたしには、この子に名前をつける権利なんかないの。　　　　<br />
誰かもらってくれる人が現れるまで待たなきゃなんないわ。　　　　<br />
      　　　　<br />
あたしたちは、ある日、偶然、河のほとりでめぐりあって仲が良くなっただけ。　　　　<br />
お互いにどっちのものでもないのね。この子も独立しているし、あたしもそうなの。　　　　<br />
      　　　　<br />
一体あたしって女は、あたしと他のものがちゃんと一緒にいられるような場所を　　　　<br />
はっきり見つけるまでは、どんなものにしろ、所有したいなんて思わないのよ。　　　　<br />
ところが、まだ今のところでは、そういう場所がどこにあるかはっきりしないの。　　　　<br />
でもね、それがどのような所か、あたしにはよくわかってるわ。　　　　<br />
      　　　　<br />
それはティファニーの店みたいな所。といっても、宝石なんかどうでもいいのよ」</p></blockquote>
<p>名前を付けるという事は、自分のものとして『所有する』ということ。　　　　<br />
そして『所有』とは、自由を愛する彼女にとって最大の罪なのです。</p>
<div id="attachment_10843" class="wp-caption aligncenter" style="width: 195px"><a href="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/waterhouse40.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2008/11/waterhouse40-185x270.jpg" alt="－ Windflowers －　ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス　John William Waterhouse" width="185" height="270" class="size-medium wp-image-10843" /></a><p class="wp-caption-text">－ Windflowers －　ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス　John William Waterhouse</p></div>
<blockquote><p>
結婚なんて誰とでもできるはずよ、相手が男だって女だって――ねえ、もしあんたがあたしのところへやってきて、軍艦と結婚したい、といったら、あたしあんたを見直すわ。そうよ、あたし本気でいってるのよ。<br />
恋愛なんて、それでいいんじゃないかしら。</p></blockquote>
<p>それでいいんです。</p>
<blockquote><p>
野生の動物はいくら可愛がってやってもだめね。可愛がってやればやるほど、だんだん丈夫になり、そのあげく、どうにかひとり歩きができるようになると、森の中へ逃げ込むとか、樹の枝へ飛んでいってしまうとかするのよ。　　　　<br />
そしてだんだん高い樹に移り、しまいには空へ消えていってしまうのね。それでおしまいさ。　　　　<br />
ね、ベルさん 、あんたも野生の動物を可愛がったりすると、けっきょく空を見上げてため息をつくようなことになるわ。
</p></blockquote>
<p>ホリー・ゴライトリーが男を追っかけてブラジルに去った後も、彼女の面影を胸に抱いてニューヨークに暮らす独り者のジョー・ベル。　　　　<br />
野鳥のような彼女に惚れた彼も運が悪かったとしか言い様がない……。</p>
<blockquote><p>
「さようなら、ほんとにあたしのいい人！――　　　　<br />
でも、あんながらんとした、とりとめもない、雷が鳴っても何もかも消し飛んでしまうような田舎に住むくらいなら、空でも眺めているほうがまだましだわ」
</p></blockquote>
<p>田舎から迎えにやって来た昔の亭主に贈る言葉。　　　　</p>
<blockquote><p>
<strong>結局のところ、あたしって、あしたは何処に住むかわかんないでしょ。　　　　<br />
だから“旅行中”ってつけてもらったの</strong></p></blockquote>
<h3>§ 関連商品</h3>
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<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4102095012&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>1968年に刊行された翻訳本。最近では村上龍による新訳本も出ているようだが、クラシックな雰囲気を楽しむならこの竜口 直太郎版がおすすめ。<br />
　　　<br />
オードリーの映画は、ホリー・ゴライトリーのイメージを壊した』とよく言われるけれど、これはもうあの年代、あのキャスティングが決定した時点で、ああいうラブ・ストーリーに仕上げざるをえなかったと思う。　　　　<br />
      　　　　<br />
そもそも「ティファニーで朝食を」というタイトル自体、自由と孤独の狭間にいるホリーの心情を表した抽象的な言葉であり、オードリーのイメージとは、まったく異質なものだからだ。　　　　<br />
　　　<br />
今でこそ、女の自立といったものが当たり前のように言われ、『自由に生きる』ことが半ばファッション化しているが、自立を叫ぶ傍らで、自分を永遠に養ってくれる安住の地を品定めしてるうちは、「自立」も「自由」も、まだまだ程遠いものであるといえるだろう。　　　　<br />
　　　　<br />
小説のホリー・ゴライトリーは、結局、無名作家の『私』とも結ばれる事なく、何処かに在るだろう「ティファニーの店のような処」を求めて、アフリカくんだりまで飛んでいった。もし彼女が本当に「ティファニーの店のような処」に巡り合えたとしても、彼女が死ぬまで『旅行中』の身である事にかわりはない。　　　　<br />
      　　　　<br />
なぜなら、ホリー・ゴライトリーとは、安住を求めながらも、何ものにも属せず、誰のものにもなれない女だからだ。</p>
<p>初稿 : &#8217;98 autumn<br />
</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/aw/rd.html?ie=UTF8&#038;dl=1&#038;uid=NULLGWDOCOMO&#038;lc=msn&#038;a=B000EPFQ3M&#038;at=ma046-22&#038;url=%2Fgp%2Faw%2Fd.html" alt="ティファニーで朝食を [DVD]">ティファニーで朝食を [DVD]</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&#038;l=msn&#038;o=9&#038;a=B000EPFQ3M" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />
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<p>舞台はNY。宝石店ティファニーに憧れ、ショーウインドーの前でパンをかじるのが大好きなコールガールは、人なつこくてかわいい女性。同じアパートに越してきた青年作家は、そんな彼女に次第にひかれていくが、彼女には秘密があった…。<br />
コールガールを演じても下品にならない、オードリー・ヘプバーンのキュートでエレガントな魅力が絶品だ。<br />
ジョージ・ペパードも、いかにも人のよさそうな好青年ぶりで、ヒロインに振り回される役がピッタリ。<br />
原作はトルーマン・カポーティ、監督は「ピンクパンサー」シリーズでおなじみのブレイク・エドワーズ。<br />
エドワーズ監督の軽妙なタッチと、オードリーの都会の妖精のような、ふんわりとした軽やかさがマッチした、心地よいラブストーリー。</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/aw/rd.html?ie=UTF8&#038;dl=1&#038;uid=NULLGWDOCOMO&#038;lc=msn&#038;a=4062105322&#038;at=ma046-22&#038;url=%2Fgp%2Faw%2Fd.html" alt="オードリー・スタイル－エレガントにシックにシンプルに">オードリー・スタイル－エレガントにシックにシンプルに</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&#038;l=msn&#038;o=9&#038;a=4062105322" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />
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<p>世界中の女性を魅了してやまないオードリーの美しさ。<br />
この本では、未公開の写真をはじめ、デザイナー自身の手によるオードリーのためのラフ・スケッチ、『ムーン・リバー』『麗しのサブリナ』『マイ・フェア・レディ』でのメイク（シャドウやチークや口紅のさし方や色…）を紹介するカラーイラストなどを掲載。<br />
ファッション雑誌のように楽しめるヴィジュアル伝記です。<br />
</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/aw/rd.html?ie=UTF8&#038;dl=1&#038;uid=NULLGWDOCOMO&#038;lc=msn&#038;a=4764819813&#038;at=ma046-22&#038;url=%2Fgp%2Faw%2Fd.html" alt="永遠のファッション・リーダー オードリー・ヘプバーンスタイル―SCREEN特別編集">永遠のファッション・リーダー オードリー・ヘプバーンスタイル―SCREEN特別編集</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&#038;l=msn&#038;o=9&#038;a=4764819813" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4764819813&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p>こちらもオードリーのファッションに注目した大型本。<br />
アイテム別の着こなしテクニックに加え、彼女のライフスタイルがうかがえるプライベート写真も満載です。<br />
さらにオードリー出演作品の撮影マル秘エピソードの数々もご紹介。</p>
<p></p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/aw/rd.html?ie=UTF8&#038;dl=1&#038;uid=NULLGWDOCOMO&#038;lc=msn&#038;a=B000YGFPNW&#038;at=ma046-22&#038;url=%2Fgp%2Faw%2Fd.html" alt="ローマの休日 製作50周年記念 デジタル・ニューマスター版 [DVD]">ローマの休日 製作50周年記念 デジタル・ニューマスター版 [DVD]</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&#038;l=msn&#038;o=9&#038;a=B000YGFPNW" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" /><br />
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<p>オードリーと言えばこの作品をなくして語れない。<br />
まるでエレガンスの妖精が降臨したかのような愛らしさと美しさ。<br />
目と目で語り合うような淡い恋と、王女としての凛とした姿勢は、まさに永遠のプリンセスと呼ぶにふさわしいものです。<br /></p>

<a href="http://twitter.com/?status=RT+%40sanmariecom%3A+%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%81%A7%E6%9C%9D%E9%A3%9F%E3%82%92+-+Breakfast+at+Tiffany%27s+-+-+sanmarie%2Acom+http%3A%2F%2Ftinyurl.com%2F26u52ot" class="tweet-this" ><div align="right"><img src="http://www.sanmarie.me/sanmarie/wp-content/plugins/simple-tweet/img/tweet.gif" title="ツイート" alt="ツイート" />ツイート</div></a>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>『超訳 ニーチェの言葉』と FOR BEGINNERS『ニーチェ』　ルサンチ野郎の心の出口</title>
		<link>http://sanmarie.me/book-6</link>
		<comments>http://sanmarie.me/book-6#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 01 Apr 2010 18:18:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿月まり</dc:creator>
				<category><![CDATA[海外の文学・哲学]]></category>
		<category><![CDATA[ニーチェ]]></category>

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		<description><![CDATA[今、『超訳 ニーチェの言葉』という箴言集がベストセラーになってるんですね。
新聞やニュースでも取り上げられているようで、ビックリしました。
もちろん、昔からのアカデミックな読者には、大衆化された自己啓発的な内容が気に入ら [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今、『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/488759786X?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=488759786X">超訳 ニーチェの言葉</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=488759786X" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" />』という箴言集がベストセラーになってるんですね。</p>
<p>新聞やニュースでも取り上げられているようで、ビックリしました。</p>
<p>もちろん、昔からのアカデミックな読者には、大衆化された自己啓発的な内容が気に入らないという声もあるでしょうが、ニーチェという哲学者への「興味の扉」としては良いんじゃないかと思います。</p>
<p>人って、何がキッカケで変わるか、分かりませんしね。</p>
<p>ニュース記事によると、30代から40代のビジネスマンはもちろん、もっと若い世代にも人気があるようで、閉塞感やあきらめムードの漂う世の中だからこそ、『<strong>これが生だったのか。よし、もう一度！</strong>』みたいな、ニーチェの人生を愛する気持ちと、肯定する意志の力が、元気の源になるのかもしれません。</p>
<p>レビューにもあるように、やたら小難しいイメージのあるニーチェですが、彼の哲学は、簡単に言ってしまえば、「自分自身やこの世のことをいかに肯定するか」、この一言に尽きます。</p>
<p>誰だって、自分の思う通りに生きたい。</p>
<p>行きたい大学に行き、なりたい職業に就き、理想の伴侶を得て、お金持ちになって……etc。</p>
<p>でも、現実は、決してそうはならない。</p>
<p>鏡を見れば、美女とは程遠い自分の顔があるし、必死に努力しても試験に落ちる時は落ちる。</p>
<p>頑張って仕事しても、みながみな、褒められ、認められ、出世の階段を上っていくわけではないし、自分では「これでOK」と思っていても、横を見れば、もっとスゴイ奴がちて、リッチで幸せそうな暮らしをしていたりする。</p>
<p>言わば、表には出せない『ルサンチマン＝怨念』……不満、葛藤、絶望、嫉妬といったものを内面に抱えながら、思うにならぬ現実に四苦八苦しながら生きている、それが人間だ、と。</p>
<p>かといって、どこにも救いがないわけではなく、ある人は、神の教えに心を委ねることによって安らぎを見出し、ある人は、暗い感情を絵画や音楽や文学に表現することによって昇華し、ある人は、日々の暮らしの中で知恵を磨いて、自分なりの幸せを見出そうとする。</p>
<p>誰もが愚かで無力なわけではないのです。</p>
<p>そして、この根深いルサンチマンを克服し、よりよく生きるための処方箋を生涯かけて考え抜いたのがニーチェで、彼の言葉は、自分自身への戒めでもあります。</p>
<p>確かに彼の言葉は素晴らしい。素晴らしいけれど、一人で実践するには無理がある。</p>
<p>それが分かった時、自分にも、世の中にも素直になって、本当の意味でルサンチマンから解放されるのではないでしょうか。</p>
<div style="margin:20px 100px 30px 45px;border:1px dashed #3cb371;padding:10px">
<p>ニーチェに関するその他の記事はコチラ</p>
<p> [wlist tag="ニーチェ" orderby=post_date  order=asc]</p></div>
<p>
本書の中身は、こんな感じだそう・・</p>
<p>これなら１日1ページずつ、気軽に読めますね。</p>
<table>
<tr>
<td><div id="attachment_11444" class="wp-caption alignnone" style="width: 280px"><a href="/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/nic1.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/nic1-270x160.jpg" alt="超訳 ニーチェ" width="270" height="160" class="size-medium wp-image-11444" /></a><p class="wp-caption-text">超訳 ニーチェ</p></div>
</td>
<tr>
<td><div id="attachment_11445" class="wp-caption alignnone" style="width: 280px"><a href="/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/nic2.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/nic2-270x164.jpg" alt="超訳 ニーチェ" width="270" height="164" class="size-medium wp-image-11445" /></a><p class="wp-caption-text">超訳 ニーチェ</p></div></td>
</tr>
</table>
<p>この本で『ニーチェ』に興味をもったら、是非とも読んでもらいたいのが、『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4768400477?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4768400477">ニーチェ (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル 47)</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4768400477" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" />』。</p>
<p>執筆は、『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480688196?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4480688196">中学生からの哲学「超」入門―自分の意志を持つということ (ちくまプリマー新書)</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4480688196" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" />』や『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/434490124X?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=434490124X">知識ゼロからの哲学入門</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=434490124X" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" />』など、初心者から玄人向けまで、様々な哲学本を手がけておられる竹田 青嗣さん。</p>
<p>この『FOR BEGGINNER』シリーズも、「ちょっと興味をもった」大学生から20代の読者層を対象にした感じで、コラムマガジンのようにさくさく読める。</p>
<p>それも、のっけから「ニーチェとは」で始まるのではなく、「人間はなぜ悩むのだろう」「なぜ生きるのが辛くなるんだろう」といった若者向けの疑問から始まり、その解決策としてのニーチェの思想が徐々に展開してゆく。</p>
<p>こんな時は、こう考えてみようよ。</p>
<p>ニーチェはこう言ってるよ。</p>
<p>まるで大学の先生のような語り口調で綴られる、「永劫回帰」や自己克服としての「大いなる正午」。</p>
<p>いつしか「小難しい哲学」のイメージは払拭され、一人の悩める人間としてのニーチェ、道を見出そうとする一つの魂が、きっと身近に感じられるはずだ。</p>
<p>本書の特徴は、何と言っても、70年代テイストのサイケデリックなイラストの数々。</p>
<p>バカボンのパパまで登場します。</p>
<table width="600">
<tr>
<td width="280">
<div id="attachment_11469" class="wp-caption alignnone" style="width: 280px"><a href="/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/DSC04081.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/DSC04081-270x180.jpg" alt="ニーチェ" width="270" height="180" class="size-medium wp-image-11469" /></a><p class="wp-caption-text">ゴキブリホイホイ</p></div>
</td>
<td width="280">
<div id="attachment_11470" class="wp-caption alignnone" style="width: 280px"><a href="/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/DSC04083.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/DSC04083-270x180.jpg" alt="ニーチェ" width="270" height="180" class="size-medium wp-image-11470" /></a><p class="wp-caption-text">あしたのジョー</p></div>
</td>
</tr>
<tr>
<td width="280">
<div id="attachment_11473" class="wp-caption alignnone" style="width: 280px"><a href="/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/DSC04079.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/DSC04079-270x180.jpg" alt="ニーチェとワーグナー" width="270" height="180" class="size-medium wp-image-11473" /></a><p class="wp-caption-text">ニーチェとワーグナー</p></div>
</td>
<td width="280">
<div id="attachment_11474" class="wp-caption alignnone" style="width: 280px"><a href="/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/DSC04080.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/DSC04080-270x180.jpg" alt="狼のロマン主義" width="270" height="180" class="size-medium wp-image-11474" /></a><p class="wp-caption-text">赤頭巾ちゃん（？）と狼</p></div>
</td>
</tr>
<tr>
<td width="280">
<div id="attachment_11475" class="wp-caption alignnone" style="width: 280px"><a href="/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/DSC04082.jpg" class="highslide-image broken_link" onclick="return hs.expand(this);" rel="nofollow"><img src="http://sanmarie.me/wordpress/wp-content/uploads/2010/04/DSC04082-270x180.jpg" alt="バカボンのパパ" width="270" height="180" class="size-medium wp-image-11475" /></a><p class="wp-caption-text">バカボンのパパ</p></div>
</td>
</tr>
</table>
<p>
ちなみに、20代後半、私が下線を引っ張った箇所は、次のようなものだ。<br />
（文章はいずれも竹田 青嗣さんによるもの）</p>
<blockquote><p>世の理想や道徳や倫理、習俗、といったものに対する違和感</p></blockquote>
<p>あった、あった（笑）　だらけ、だったかも。</p>
<blockquote><p>青年がその社会に対して抱く平均的な歪み（と感じられるもの）をそれなりに表現している。<br />
しかし、普通は、誰も自分の一生を費やして、この問題を問いつづけることはできない。<br />
……ニーチェはそういった問題を徹底的に考え抜いた一人だった。</p></blockquote>
<p>これが「凡人」と「天才」の差なのです。もちろん能力もあるけれど、根気と執念がなきゃあね。</p>
<blockquote><p>生の苦しみの中で、そこから逃げる道は三つしかない。<br />
宗教、芸術、道徳である。<br />
これらだけがそれぞれ独特の仕方で、人間に生の苦悩から脱却し得る可能性を与える。</p></blockquote>
<blockquote><p>ここでのニーチェの出発点は、まず、社会がある限り個人の力の差というものは根本的には避けられないという点にある。<br />
そのことをまず「あるがまま」に認めること。<br />
人間のルサンチマンはこの力の差という現実から発するが、それを認めた上でこれをどう処理すればいいかを考えること。</p></blockquote>
<p>【汝自身を知れ】という名言がありますわな。</p>
<p>これは本当にそう。</p>
<p>人は、自分が外的要因によって変わる方法（仕事とか彼氏とか）ばかりを追い求めるけれど、自分でも自分自身のことを分かっていないのに、どうして他人があなたを理解し、あなたにふさわしいものを与えてくれるだろうか、という事です。</p>
<p>分かりやすく言えば、本当はラーメンが食べたいのに、世間ではトリュフがお洒落だと言っているから、トリュフを食べればみんなに「すごいね」と褒められ、幸せになるだろうと思い込み、トリュフばっかり食べてみたけど、なにか違う、満たされない……というやつです。</p>
<blockquote><p>ここでニーチェは「<strong>人生は私を失望させはしなかった</strong>」と書いているが、こういう書き方はむしろ彼の生が不遇なパラドクシカルな表現であるといえよう。そして彼はここで、それにもかかわらず生は、「悦ばしく生き悦ばしく笑うことすらできる」ものだと強調しているのである。</p></blockquote>
<p>これでますます興味をもって、「著作も読んでみたいな」と思ったら、とりあえず、『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4122000106?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4122000106">ツァラトゥストラ (中公文庫)</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4122000106" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" />』をどうぞ。</p>
<p>いろんな訳が出ていますが、中公文庫から出ている手塚富雄さんのものが初心者には読みやすいです。</p>
<p>「ツァラトゥストラ」はガチっとした論文ではなく、小さな節に分かれた詩文のような作品なので、少しずつ読み進めることができますし、洞穴に住むツァラトゥストラも引きこもりのようなキャラクターなので、案外、感情移入しやすいのではないでしょうか。</p>
<p>ツァラトゥストラと言えば、これが有名ですね。</p>
<p>
ちなみに、ニーチェ自身は幸せだったか・・と言えば、売れないゴッホのような最期ではあります。</p>
<p>だからといって、彼の哲学が間違い、というのではなく、哲学も人生も、間違い探しの為にあるんじゃないですから。</p>
<p>どこか自分で納得できるものが見つかれば、十分に意味があったと言えるのではないか、と思います。</p>
<p>
ルサンチ野郎の心の出口は、「幸せ」という扉ではなく、「悟り」の世界に繋がっています。</p>
<p>それはバラ色というよりも、あらわれるような透明感なのです。</p>

<a href="http://twitter.com/?status=RT+%40sanmariecom%3A+%E3%80%8E%E8%B6%85%E8%A8%B3+%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%91%89%E3%80%8F%E3%81%A8+FOR+BEGINNERS%E3%80%8E%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%80%8F%E3%80%80%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%81%E9%87%8E%E9%83%8E%E3%81%AE%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%87%BA%E5%8F%A3+-+sanmarie%2Acom+http%3A%2F%2Ftinyurl.com%2F2cu3ntv" class="tweet-this" ><div align="right"><img src="http://www.sanmarie.me/sanmarie/wp-content/plugins/simple-tweet/img/tweet.gif" title="ツイート" alt="ツイート" />ツイート</div></a>]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>『おいしいハンバーガーのこわい話』何を食べ、どう生きるか</title>
		<link>http://sanmarie.me/book-5</link>
		<comments>http://sanmarie.me/book-5#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 18 Mar 2010 07:20:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>阿月まり</dc:creator>
				<category><![CDATA[東欧の片隅 エッセー]]></category>
		<category><![CDATA[海外の文学・哲学]]></category>
		<category><![CDATA[人と社会]]></category>
		<category><![CDATA[育児と社会]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://sanmarie.me/?p=11365</guid>
		<description><![CDATA[私の人生において、どうにもこうにも止められないものが二つある。
一つは、マンガ。
もう一つは、ジャンクフードである。

　
ジャンクフード。
身も蓋もない（？）ゴミのような食品。
「ゴミ」というよりはポイズン。
食べれ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://sanmarie.me/sanmarie/wp-content/uploads/2010/03/super_size_me.jpg" class="highslide-image" onclick="return hs.expand(this);"><img src="http://sanmarie.me/sanmarie/wp-content/uploads/2010/03/super_size_me.jpg" alt="おいしいハンバーガーのこわい話" title="おいしいハンバーガーのこわい話" width="349" height="260" class="aligncenter size-full wp-image-13797" /></a></p>
<p>私の人生において、どうにもこうにも止められないものが二つある。</p>
<p>一つは、マンガ。</p>
<p>もう一つは、ジャンクフードである。<br />
</br><br />
　<br />
ジャンクフード。</p>
<p>身も蓋もない（？）ゴミのような食品。</p>
<p>「ゴミ」というよりはポイズン。</p>
<p>食べれば食べるほど、肉体を蝕まれる悪魔の食い物だ。</p>
<p></br><br />
そう分かっていても、月に１～２度はやはり買ってしまうポテトチップスにチートス。</p>
<p>２～３ヶ月に1度はモーレツに食べたくなるKFCとマクドナルド。</p>
<p>日本に居たら、週に１度は買っていただろう。『大盛りイカ焼きそば』に『日清スパ王ペペロンチーノ味』。<br />
　<br />
中に何が入っているかなど、聞かなくても分かる。</p>
<p>でも止められない。</p>
<p>ミョーに美味しいから。</p>
<p>この年になって、ぽりぽりとポテトチップスをつまみ、マクドナルドでハンバーガーをかじっている自分の姿を客観的に想像すると「もういい加減にしろよ、オマエ」とツッコミをいれたくなるけれど、それにもまして魅力的なのだ、あのジューシーでスパイシーな味わいが。<br />
</br><br />
　<br />
そんな自分に活を入れるため、最近購入した本がこれ。</p>
<p>【<strong><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4794215878?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4794215878">おいしいハンバーガーのこわい話</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4794215878" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" /></strong>】<br />
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4794215878&amp;t=ma046-22&amp;IS2=1&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;bg1=FFFFFF&amp;lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;f=ifr" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0" scrolling="no"></iframe></p>
<p></br></p>
<p>アメリカでベストセラーとなった『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/479421071X?ie=UTF8&amp;tag=ma046-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=479421071X">ファストフードが世界を食いつくす</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=ma046-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=479421071X" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important;margin:0px !important" />』をティーン向けに分かりやすく編集したもので、所々に配されたポテトやハンバーガーのイラストがとても愛らしい。</p>
<p>「みんなの大好きなハンバーガーがどのように誕生したのか」から始まって、「ドライブスルー・レストランの登場」「マクドナルド兄弟の考え出したファーストフード・システム」「落ちこぼれセールスマンが考え出したフランチャイズ方式」「ファーストフード店の爆発的な増加が畜産業や精肉業者に与えた影響」「みんなの大好きなパテ（挽き肉）の中身」「アメリカのカフェテリアと子供の肥満問題」etc。</p>
<p>現代アメリカの食生活と産業を取り巻く様々な社会問題が非常に分かりやすい語り口で紹介されている。</p>
<p>それらは決してファーストフード産業や創始者たちを批判し、貶め、不買運動を煽る偏った内容ではない。</p>
<p>あくまで「事実」を淡々と綴った上で、「それでも君たちはハンバーガーを食べ続けますか？」と問いかける、好感の持てる本である。</p>
<p>原題は、『Everything you don&#8217;t want to know about Fast Food（君たちが知りたくないファーストフードのすべて）』。</p>
<p>ほんと、知りたくない現実（どんな肉が使われているか、とか）が、いろいろ親切に書いてあった。</p>
<p>これを読んでも、「やっぱハンバーガーは美味いよなぁ」と思える人は、相当毒されているといってもいいかもしれない。</p>
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もちろん、書かれた内容の真偽については異論・反論があるだろう。</p>
<p>中には改善されたこともあるし、誇張されている部分もあるかもしれない。<br />
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<p>だが、肝心なのは、「情報の正確さ」ではなく、「考えるきっかけを与えること」。<br />
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当たり前のように目にするCMや、何の疑いもなく口にしている「イチゴ味シェーク」が、実はこういう風に作られている、と知ることで、栄養学的なことはもちろん、現代の食文化や産業のあり方、しいては世界全体の構造まで、「本当にこのままでいいのか」と思わずにいられなくなる。</p>
<p>歴史でも、科学でも、大人が子供に物を教える時、大人はどうしたって「正しさ」にこだわるけども、それが正しいかどうかを判断するのはやはり子供自身であり、大切なのは事実をありのままに伝え、深く、広く考えさせる問題提起の姿勢なのだ。<br />
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それが「正しい」と信じて教えたことも、何十年後かには「間違いだった」ということもある。</p>
<p>「正しさ」にこだわれば、それは暗記にとどまり、学習ではなくなる。</p>
<p>学習とは、考えることだ。</p>
<p>正しいことを、覚えることじゃない。<br />
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『おいしいハンバーガーのこわい話』が多くの読者に受け入れられたのも、著者が「ファーストフード業者は絶対悪だ。買ってはいけない」というスタンスではなく、「今のファーストフード産業の裏側はこんな感じだけど、君たちはどう思う？」という姿勢で語りかけているからだろう。<br />
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たとえ10代の若者でも、世の中の流れを変える力はある。</p>
<p>みんなが食べなければ、この産業は確実に衰えるのだから。<br />
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私は……と言えば、時々、無性にフレンチフライが食べたくなって、スーパーで売っている冷凍ポテトを揚げることがある。</p>
<p>でも、似たような形状でありながら、マクドナルドと同じ味になることは絶対にない。</p>
<p>なぜかといえば、マクドナルドのフレンチフライには、牛脂が使われているからだそうだ。</p>
<p>我が家で、どんな新鮮なヒマワリ油で揚げても、「あの味」にならない所以だ。</p>
<p>じゃあ、次に揚げる時は、鍋にクノールのビーフ味のコンソメでも入れてみるか、と思う。</p>
<p>それで似たような味になれば、マクドナルドに行くのは半年に一度で済む（多分）<br />
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<p>著者は言う。</p>
<p>ジーンズやオートバイを買う時は、いろんな情報を吟味して慎重に選ぶのに、なぜファーストフードはいとも簡単に口にしてしまうのか。</p>
<p>そして、ジーンズやオートバイは、飽きれば交換したり、修理がきくけども、食べ物は確実に身体の一部分になり、それはどうにも変えられないんだよ、と。<br />
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ジャンクフードの誘惑は、子供の頃から母の手作り料理で鍛えられた人にもいつか必ずやって来る。</p>
<p>私も、スーパーの総菜や冷凍食品はいっさい並ばない家庭で育った割りには、カルビーの誘惑に負けたから。</p>
<p></br><br />
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国道沿いに燦然と輝く「M」の看板に打ち克てるのは、案外、母の手料理などではなく、こうした「ハンバーガーのこわい話」なのかもしれない。</p>
<p>　<br />
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だけどもよ。</p>
<p>この動画を見て、「やっぱ美味そう」と思ううちは、救いようないね。</p>
<p>映画『Supersize Me』より</p>
<p><a href="http://sanmarie.me/book-5"><em>Click here to view the embedded video.</em></a></p><br />
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マックナゲット派にはこちらのビデオがおすすめ。これならヘルシーに食べられそう。<br />
乾燥して古くなったパンを軽くトーストし、クラム状にして、チキンの胸肉とこね合わせて揚げるだけです。</p>
<p><p><a href="http://sanmarie.me/book-5"><em>Click here to view the embedded video.</em></a></p>

<a href="http://twitter.com/?status=RT+%40sanmariecom%3A+%E3%80%8E%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%84%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%81%93%E3%82%8F%E3%81%84%E8%A9%B1%E3%80%8F%E4%BD%95%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%80%81%E3%81%A9%E3%81%86%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%8B+-+sanmarie%2Acom+http%3A%2F%2Ftinyurl.com%2F2ckg8lj" class="tweet-this" ><div align="right"><img src="http://www.sanmarie.me/sanmarie/wp-content/plugins/simple-tweet/img/tweet.gif" title="ツイート" alt="ツイート" />ツイート</div></a>]]></content:encoded>
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