勝間和代さんについては、日本を出てからブームになったので、一冊の著書も読んでいないし、特に女性に対して、どれぐらい影響力を持っているのか、肌で実感することは出来ないのですけれど、関連する記事を読んでいると、どういうタイプが勝間さんを信奉し、どういう方が嫌悪するのか、何となく目に浮かびます。
そして、そのブームに便乗するように、香山リカさんの『しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書)』が話題になっている。
これは批判本ではなく、関連本ですよね。
私はそう思います。
イケイケの勝間さんに対し、「今のままでいいんだよ」、まるで夜回り先生・水谷修さんの、香山さんのメッセージ。
この手のメッセージは様々な癒し本で十年前から言われていたことなので、『今さら』という気がしないでもないですが、「<勝間和代>を目指さない」というキャッチなタイトルが分かりやすいからでしょうね。
これもまたたくさんの読者に支持されているようです。
それでも、やっぱり、勝間さんみたいに、「仕事も、家庭も手に入れたい」「ベストを尽くしたい」という女性は多いだろうし、「今のままでいいんだよ」と言われても、努力せずにいないものはいないのだと私は思います。
私もその一人だし。
ベストを尽くして敗れ去るのと、「ここまで」と諦念し、そこそこに手を打って妥協するのと、どちらか選べと言われたら、矢吹ジョーのように「真っ白に燃え尽きるまで」玉砕する方が納得いくんですよね。
人生に悔いがないというか。(この一言が出た時点で、カツマーと呼ばれるのかもしれないが)
でも、一点だけ。
「がむしゃらなカツマー」とは異なる点があります。
それは、「三食昼寝より好きなこと」に打ち込んでいる、という点です。
1995年、あの阪神大震災の時、私が住んでいた五角形のアパートも大揺れに揺れました。
冗談で口にする「もう死んじゃゥ」とは桁の違う、本能的な生命の危機を感じました。
そのとっさの瞬間、私が持ち出したのは、『ワープロ』と『フロッピーディスク』(当時はまだオールインワンのノートPCは非常に高価で、それほどポピュラーでもなかった)。
そんなもん持ち出して、インフラが絶たれた時、何の役に立つん? って、自分でも思いましたけど、脊髄反射でそれを選んだのです。非常食よりも、通帳よりも、ブランドのバッグよりも、何よりも。
その時、思いましたね。
これが自分にとって一番大事なものなんだ、って。
今でも、「これから1ヶ月、何処にも行かず、TVも観ず、誰とも会わず、火星のシェルターに籠もってWordPressやってろ」と言われたら、「え、ほんと? わ~い♪」って、よろこび勇んで行くでしょう。
それぐらい好きなことだから、寝る間も惜しんで記事を書いたり、パンをかじりながらWordPressのマニュアル書いたり、5分、10分の隙を見て必要な情報を検索したり、というのがちっとも苦痛じゃない。
傍から見たら、「なんでそんなに頑張るの」と思われるかもしれないけれど、本人はそれを「頑張り」とも「努力」とも思ってない。
「腹がへったら、メシを食う」と同じレベルで営んでいるわけですね。
だから、月間100万プレビューの人気サイトになれなくても、「あたしのはやっぱりダメ・・」なんて思わないし、「拙いサイトですが」なんて謙遜もしない。
死ぬ時、管理画面を覗いて、「おお、投稿記事数がついに10万を突破したか。この記事もよかった。これも書いておいてよかった。よしよし」と、自分で自分の頭をナデナデするような、そんな気持ち。
で、時々、訪れる「ラッキーなこと」は、そのオプションに過ぎません。
そこに数字や目に見えるステータスを求めだしたら、きっと苦しくなるのだろうと思います。
おそらく、「がむしゃらカツマー」で燃え尽きてしまう女性は、目指すべき方向が違っているのでしょう。
以前、結婚関連の記事で、「がんばっても、がんばっても、報われないと嘆いている女性は、努力の方向を間違っている。『結婚したい、だから海外留学します!』と、見当違いの方向に突っ走って行く。結婚したいなら、相手に出会えるよう努力するのが本当なのに」ということを書いているカウンセラーの方がありました。
そういうと、「何を当たり前のことを言ってるの」と嗤うかもしれない。
でも、「努力がしんどい」「無理してる」と感じている人は、仕事や勉強において同じことをやっているのだと思います。
「みんなに認められたい! だから出世します」
「私はこんなものじゃない! だから『あっ』と言われるようなことを成し遂げたい」
だから実現しなかった時、矢吹ジョーのように清々しく燃え尽きるのではなく、怨みの灰をぶすぶす残して地縛霊になってしまうのでしょう。
私は、勝間さんが「がんばれ」とハッパかける気持ちも分かるし、香山さんが「今のままでいいんだよ」と肯定したい気持ちもよく分かります。
これは『VS』の構図ではなく、素から次元の違うメッセージですよね。
おそらく、勝間さんという女性は、根本的に自分の仕事が好きで、派手なパフォーマンスも意図してやっているというよりは、「自然にやったことが結果的に派手になる」タイプなんじゃないかと思います。もちろん、戦略もあるだろうけど、元々が「何をやっても目立つクチ」で、そういう自分自身を知り尽くしているからこそ、それを追い風に出来るのだと。
いわば、ライオンがライオンらしく生きている、この一言に尽きます。
でも、ライオンではない女性がライオンのように生きようとしたら。
白いウサギが、私もキバを身につけよう、立派なたてがみを生やそうと頑張ったら、それは無理があるでしょう。
だから、「勝間さんが悪い」というよりは、自分が何者であるか深く考えもせず、がむしゃらに「そうなろう」と頑張ること
に問題があるのであって、『勝間和代』というキャラクターにそれも被せて批判してしまうと、今度は、怠け者の免罪符としての『今のままでいいんだよ』が肯定されてしまう、と思うんですね。
私はペンギンだ。だから、ベスト・オブ・ペンギンを目指すのだ。
私はマングースだ。だから、ヘビに打ち克つのだ。
本人が自分を理解した上で、自分の好きなことで頑張っている分には、おそらく「努力」とか「がんばり」という言葉は出てこないと思います。
私も人に「がんばってますね」と言われたら「はい、がんばっています」と答えるし、お約束事項のように「私もがんばります」と言う。頑張る、というよりは、ベストを尽くす、の意味が強いのだけど。
でも、根本的に、自分ががんばっているとは思わない、それは「がんばり」ではなく、「やってる」に過ぎないのです。
このニュアンスの違いが、「寝る間も惜しんで燃え尽きる」と「寝る間も惜しんで、ああ幸せ♪」の違いじゃないかと思います。
だから、香山さんの本を読んで、「私もヤバイかも」と思ったら、一度、自分に問いかけてみたらいいのではないかしら。
これは本当に自分が望んで、好きでやっていることなのか。
「資格が取りたい」と言うけれど、本当の動機は「周りを見返してやりたい」というだけではないだろうか、等々。
目標を掲げるのは誰にでも出来るけど、本当の自分と向き合うことは、誰にでも出来ることではないですから。
そんな、カツマー批判の皮切りとなった香山さんの著書のレビューにこんな言葉がありました。
5つ星のうち 4.0 「成功することを諦めよ」という本ではない, 2009/9/27
By JEFFLY – レビューをすべて見るこの本とは直接関係ありませんが、音楽家の坂本龍一さんが次のようなことを言っています。
この本はこの坂本さんの言葉と合わせて読むと良いと思います。「なぜ僕が今、音楽の世界で食べているのかと問われれば、ただ偶然が重なった結果だというほかはありません。」
「僕も含めて、あるジャンルで一人前になってる人たちのなかで、なりたくてなった人はほとんどいないんですよ。いまよくTVなんかで“夢を持って”とか“夢に向かって”とかいう言説がはびこってるでしょ。ふざけるなって言いたい(笑)。夢はあってもいいけどさ、人生ってそんなもんじゃないと思う」香山リカさんや坂本龍一さんが言うように、成功の要因は偶然や運の要素も大きいと思います。
むしろ、夢にしがみつかない方が可能性が広がる気がします。この本は「成功することを諦めよ」という本ではないと思います。他の方が書かれているように、全体的にまとまりが無い感じはありますが、筆者の言わんとすることには共感しました。
何かにしがみついている人は、夢にしがみついているのではなく、欲にしがみついているんでしょう。
それを『夢』にすり替えて、自分を肯定しているのですよ、きっと。


