映画

映画『ベン・ハー』 ~聖書とキリスト教の物語~

2010年5月3日

『聖書』。
それは、地球上のほとんどの国で翻訳され、営々と読み継がれてきた世界一のベストセラー。
・世界創世の歴史を堂々と綴った書物の一つ。← かなり強引な部分もあるが……。
・欧米を主とするキリスト教国、およびキリスト教徒の基本精神となるもの。
(ちなみに、「聖書」の次によく読まれているのは、「風と共に去りぬ」だそうです)

世界の歴史や情勢を解くにも、西洋文明を理解するにも、海外旅行するにも、とにかく「聖書」を知らなければ話にならない。
パレスチナ紛争? 何それ?
中東って、どうしてケンカが絶えないの?
なんでチャールズはカーミラと再婚できないの?
新聞やニュースを見ても、イマイチその心情が理解できないアナタ。
今すぐ聖書を読んでみて。(理由はそれだけじゃないんだけどサ)
「聖書知らずば西洋解せず」――すべてを解く鍵がここにある。

【サン・シストの聖母】より : detail   -The Sistine Madonna- ラファエロ・サンツィオ   Raffaello Sanzio

【サン・シストの聖母】より : detail -The Sistine Madonna- ラファエロ・サンツィオ Raffaello Sanzio

普通、「聖書」といえば、「旧約聖書」と「新約聖書」に二分される。
しかし、これはキリスト教における解釈であり、ユダヤ教には「新約聖書」は存在しない。
なぜなら、ユダヤ教徒にとっては、ノアやアブラハムやモーセを介して、唯一神(ヤハウェ)とイスラエル民族が契約を交わした「旧約聖書」のみが聖典であり、ユダヤ教ではイエスは救世主と認めていないからだ。
【詳しくは、その他の文献をご覧ください。これは歴史的にも政治的にも、非常に奥の深い話なので 】

ここではキリスト教精神に乗っ取って、「旧約聖書」と「新約聖書」について解説することにします。
一口に「聖書」といっても、何十冊もの本の集まりなので、簡単に話の流れだけ紹介しておきます。

旧約聖書 編

「最初に光あれ」
そう言って、神はたった七日間でこの世界をお創りになりました。(超ビッグバンだな)
しかし、神も七日目にはお疲れになったので、一休みされました。これが《日曜日》の起源です。
どうせなら、三日ぐらいお休みして欲しかった……。
【ユダヤ教では金曜日を安息日としています。しかし金曜日はイエスが十字架に掛けられた日なので、キリスト教では日曜日が休みになっています】

まず光と闇、続いて水と空、そして陸と海がつくられ、六日目に動物たちがつくられました。
それから、神はこの動物を治めるものとして、自分の姿に似せた人間を創ることにしました。
神は土(アダマ)の塵を集め、鼻から息を吹き込んで、男アダムを作りました。

ところがアダムはエデンの園で一人淋しそう。
神は思いました。「一人で居るのは良くない。そうだ、彼を助ける者を作ろう」。
こうしてアダムの肋骨から作られた命(エヴァ)が女です。

夫婦となった二人は、エデンの園で幸せに暮らし始めました。

【楽園追放 】~ The Fall from Grace ~ ミケランジェロ・ブオナローティ Michelangelo Buonaroti

【楽園追放 】~ The Fall from Grace ~ ミケランジェロ・ブオナローティ Michelangelo Buonaroti

「神」と「原罪」

「楽園からの追放」――それは、神から離れたが為に、心の平安を失うことを意味しています。
人間が「神なるもの(=道 LORD)」を見失い、心の平安を無くしてしまう事を意味するのかもしれません。
神の心(絶対的真理、正義)にしたがって生きる限り、人間は惑う事も、過つ事も無い。
けれど、人間が己の声(欲望)にのみ従って生きれば、何所へ暴走するか分からないからです。
人間は惑いやすく、かつ過ちやすい生き物です。
だからこそ正しい道を示してくれる「神」が必要なのではないでしょうか。

私が思うに、キリスト教というのは「道」を説く父性の宗教であり、どこまでも包容される母性の仏教とは根本から違い、
「個人の心の責任と生き方」に重きを置いているという印象があります。

日本は必死で欧米の文化や技術を取り入れてきましたが、母性の宗教をもつ、母性社会(今はその色も変わってきましたが)に、父性社会のものを融合させようとしても、どこか無理があるんじゃないでしょうか。
たとえば「個性重視の教育」とか。
「個の責任において、個を活かす」のと、「何でも包容される中で、個を主張する」には大きな差違があります。
「個」の自由と責任を認識せぬまま、やみくもに「個」を叫んでも、暴走するだけだと思うのですが……。

【ゴリアテの首をもつダヴィデ】- David with the Head of Goliath -  カラバッジョ  Caravaggio

【ゴリアテの首をもつダヴィデ】- David with the Head of Goliath – カラバッジョ Caravaggio

シナイ半島に逃れたモーセは、ホーライ山の炎の中から、「イスラエル人をエジプトより解放せよ」という神(ヤハウェ)のお告げを聞きます。
再びエジプトに渡ったモーセは、イスラエル人を連れて紅海を渡り、【この物語はチャールストン・ヘストン主演の〈十戒〉でお楽しみ下さい。紅海が割れるシーンは圧巻です】、シナイ山の麓にやって来ます。
ところが荒野での生活は厳しく、イスラエル人は不満たらたら。一人、シナイ山にこもったモーセは、「十戒」の刻まれた石版を神(ヤハウェ)より授かり、皆と共に安住の地カナンを目指します。【これがモーセを介してイスラエル人と神との間に交わされた“シナイ山の契約”です】。
イスラエル人は英雄ダヴィデ、その息子ソロモン王のもとで黄金期を迎えますが、ソロモン王の死後、国はイスラエルとユダ王国に分裂します。
そして紀元前70年、首都エルサレムはローマ軍によって攻め滅ぼされ、イスラエル人は国土と神殿を喪失したのでした。

★おまけ★

映画「インデペンデンス・デイ」をご覧になった方。

巨大な宇宙母船にコンピューター・ウイルスを仕掛けた天才技師の名が《デヴィッド David》だった事を覚えていますか?
彼の父親はユダヤ教徒でした。
こんな所にも聖書の世界が生きてるんですよね。
【ラストの方で、クリスチャンもユダヤ教徒も一緒に手をつないで輪になるところが印象的でした。
「ユダヤ教か!」とボヤくクリスチャンの国防長官に、デヴィッドのお父さんが「何にでも欠点はあるさ」と答えるやり取りが効いてました】
ハリウッド映画一つにしても、聖書の世界を知ってるか否かで、見方がうんと変わってきますよ

新約聖書 編

ローマ帝国の圧政に苦しむユダヤ教徒(イスラエルの民)は、異民族を討ち滅ぼし、かつての繁栄を取り戻してくれる《救世主:メシア》の出現を待ち望んでいました。

そんな時、ベツレヘムの大工ヨセフとマリアの間に一人の男の子が産まれます。
息子は大天使ガブリエルのお告げどおりイエスと名付けられ、ヘロデ王の魔の手から逃れる為、エジプトのナザレで育てられました。

イエスは三十歳頃、バプテスマのヨハネより洗礼を授かり、四十日間、荒れ野にこもって修行しました。
悪魔の誘惑を撥ねつけ、聖霊の力に満ちたイエスは、十二人の弟子と共にガラリヤ湖畔の各地を巡り、人々に神の福音(喜ばしき知らせ)を伝え始めます。

やがてイエスのもとには大勢の民衆が集い、彼の教えに耳を傾けるようになりました。
しかし、ユダヤの祭司や律法学者、ローマの兵やパリサイ人といった時の支配者たちはイエスを疎み、敵視します。

やがてイエスは弟子の一人ユダの裏切りによって捕らえられ、「ユダヤ人の王」を名乗ったかどで有罪となり、十字架の磔刑に処せられました。
しかし彼の教えは、弟子や熱心な信者によって受け継がれ、世界中に広がっていったのです。

アダムとエヴァの犯した原罪を、“神の子”イエスが自らの血をもって贖ったとするのがキリスト教であり、「新約聖書」は、イエスの語った「福音」を中心にまとめられています。

【十字架磔刑】 The Cruci

【十字架磔刑】 The Cruci

映画『ベン・ハー』について

私が初めてイエス・キリストを知ったのは七歳の時、映画「ベン・ハー」がきっかけでした。

主演のチャールトン・ヘストンが、戦車を駆使して死闘を繰り広げる場面も圧巻でしたが、イエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かい、磔刑される場面はそれ以上に衝撃的だったのです。
【映画では、イエス(俳優)の顔は、いっさい映されません。後ろ姿だけです。宗教的な配慮なのでしょう】

そして、次の誕生日のプレゼントに、子供向けの伝記を買ってもらい、うるうるしながら読みました。

奇跡の真偽はともかく、二千年も昔に生きた一人の人間の言葉や生き様が、国を超え、時代を超え、人々の心の中に生き続けているというところに、真の偉大さを感じます。

私が思うに、イエスは愛にあふれた、とても心の優しい人だったのではないでしょうか。まだ社会に人権とか平等とかいう思想が無かった時代、病人や貧者といった社会的弱者や虐げられた人々にとって、イエスの温かい言葉や心のこもったスキンシップこそ、「神なるもの」だったのだと思います。

イエスがなしたのは「世直しや救済(CURE)」ではなく「癒し(CARE)」であり、結果的にそれが人の心に希望と平安をもたらしたのでしょう。

宗教といえば、日本ではうさん臭いイメージがありますが、 私は哲学の親戚だと思っています。

人間が生きていくには、何か絶対的に信頼できるもの、心の指針となるものが必要です。

宗教の場合、信仰の対象が「神」という超常的存在であるだけで、誰の中にも「神なるもの」は棲んでいるのではないでしょうか。

親でも、教師でも、友人でも……たとえそれが一枚の絵であっても、それがその人の心を支え、人生を導くものであれば、立派な「神様」だと思います。

映画『ベン・ハー』とイエス・キリストの物語

聖書とキリスト教について手っ取り早く理解したいなら、映画『ベン・ハー』がお薦めです。

【Amazon.ccomより】
時はローマ帝国時代。エルサレム地区の名家に生まれたベン・ハーは、親友メッサラに裏切られ、反逆罪で奴隷となってしまう。
やがて彼はローマで開かれた戦車競技大会に出場し、メッサラと宿命の対決を迎える。
巨匠ウィリアム・ワイラー監督が、6年半の製作期間と当時での54億円という巨費を投じて完成させた、堂々3時間半強のスペクタクル史劇超大作。
アカデミー賞作品賞など、11部門受賞の快挙をも達成した名作でもある。
クライマックスの戦車競技のスペクタクルの壮絶さ。そしてキリスト処刑の奇跡までも描ききり、単なる娯楽アクション作品に終わらない、神の領域に近づくヒューマニズムを具現化したのもすばらしい。

『ベン・ハー』への想い

生まれて初めて「ベン・ハー」を見た時の衝撃は今も忘れない。

あれは7歳の時。

もうもうと砂煙をあげて激突するギリシャ式戦車の、競技の場面。
傷だらけになりながら、大きな十字架を運ぶ、キリストの悲劇。
キリストの血の滴りで、母娘の疫病が治る、奇跡の場面。
その一つ一つが鮮烈で、胸をえぐるようで、見終わった後、茫然としたものだった。

そして、それが、キリストと私との最初の出会いでもある。

磔刑のシーンに衝撃を受けた私は、「いったい、この人は何者なのだろう」と、どうしても知りたくなり、次の誕生日のプレゼントに、子供向け伝記を購入してもらったのだった。
それを、子供用ベッドの布団の中で、隠れるようにして読んだのを今も覚えている。
なぜだか知らないけれど、とても神聖で、避けては通れない、不可思議な力を感じたからである。

それから二十数年。

改めて聖書の勉強をして、その根底に流れる、真に尊い精神に触れた時、「ベン・ハー」が、ただのスペクタクル映画ではないことを理解した。
それは、一家を不幸のどん底に陥れた宿敵メッサラに対するベン・ハーの赦しを通して、キリストの最大の教えを説いているのである。
そしてまた、聖書を勉強すれば、映画の随所に、聖書の名言、あるいは、教えの象徴的な場面がちりばめられているのが分かる。

たとえば、「山上の垂訓」を模した場面、群衆に語りかけるキリストの目に、民から離れて一人で復讐の旅に出かけるベン・ハーの姿が映るのは、「神は、1匹の迷える子羊のために在る」という教えの象徴だし、奴隷のみに落とされたベン・ハーが、ガレー船の漕ぎ手として送られる際、砂漠の村でローマ兵のイジメにあい、一人だけ飲み水を与えられなかった時、「神よ、どうかお救い下さい」とつぶやいたら、当時、まだ一介の大工に過ぎなかったイエスの手から、額に水を注がれるシーンは、キリスト教にとって最重要儀式である『洗礼』に他ならない。

他にも、ユダヤの商人バルダザールが、キリスト磔刑の後につぶやく、「これから始まるのだ」というセリフや、「ナザレの人が一体何をしたのだ」というベン・ハーの問い掛けに対し、「何もしとらんよ」と答える街角の盲人など、聖書から引用された名言も多い。

そして、何より印象的なのは、復讐に燃えるベン・ハーの目が、磔刑にされたイエス・キリストの足元で、次第に和らぎ、清らかになっていくシーンだ。

昔の映画は、このように、セリフがなくて、俳優の顔の演技だけで全てを物語る場面が多かった。
このシーンもその典型で、ベン・ハーは何も言わないが、顔の表情だけで、キリスト最大の教えである『赦し』を感得したことを観る側に伝える。

その清々しさこそが、キリストの精神そのものであり、それまでベン・ハーの復讐劇にキリキリと心を痛められてきた観客もまた救われるのである。

これは、まさに、キリスト教圏の制作者が、キリスト教圏の観客のために作った、キリスト教の映画で、その精神に触れる時、キリストとは無縁な私たちも、ベン・ハーの瞳の向こうに、キリストの姿を垣間見ずにいないのである。

§ 『ベン・ハー』の物語

ローマ皇帝に汲みする猛将メッサラは、ユダヤの高貴な生まれであるベン・ハーに、ローマへの反抗者があれば密告するよう協力を要請する。
しかし、ベン・ハーがこれを拒んだことから、メッサラは彼を恨みに思い、家の瓦が崩落する偶然の事故を「ローマ総督の暗殺未遂」とこじつけ、ベン・ハーを逮捕し、その場に居合わせた母と妹まで監獄に送ってしまう。

ガレー船の奴隷に落とされたベン・ハーは、鎖につながれ、灼熱の砂漠を何日も歩かされる。
ようやく立ち寄った村で、他の囚人たちは水を与えられるに、ベン・ハーだけは罰として何も与えられない。
地に突っ伏し、「神よ、お助け下さい」とつぶやくベン・ハーの目の前に現れたのは、その村で大工をする若者(イエス・キリスト)だった。
彼は、ローマ兵の脅しにも屈することなく、ベン・ハーに水を与え、その髪を洗ってやる。
これは即ち、キリスト教でもっとも重要な『洗礼(入信のための儀式)』を示唆するシーンである。

この映画では、終始、キリストを演じる俳優の顔は映されない。
神聖なるイエスを演じるのは恐れ多いといったところであろうか。


ガレー船の漕ぎ手となったベン・ハーは、鎖に繋がれたまま7年もの歳月を過ごす。
ある時、名将の軍船に乗り合わせたベン・ハーは、訓練の場で、彼に見出される。
奴隷でありながら、燃えるような闘志と高貴さを秘めたベン・ハーに心を惹かれた将軍は、合戦の前、彼の鎖だけを解いてやる。
周りの奴隷が、「なぜ、お前だけが」が訝る中で、ベン・ハーはつぶやく。
「まただ……また救われた。前にも同じような事があった……」

これは即ち、『神は見ている』ということを示唆している。
苦境の中にあっても、闘志を失わない者は、いつか神によって助けを得られるということだろう。

激しい戦闘により、将軍の軍船は沈没したが、鎖を解かれたベン・ハーは脱出し、次いで、重傷を負って海に漂う将軍を救い出す。
この功績により、将軍の養子として迎えられたベン・ハーは、将軍の元で研鑽を積み、優れた戦車の騎手として頭角を現すようになる。

そんな折り、ローマで皇帝を讃える大規模な戦車レースが開催される。
ユダヤの代表として参加したベン・ハーは、ローマの代表であるメッサラに堂々と戦いを挑む。
戦車に強力な刃を仕掛けたメッサラは、次々に他の戦車に襲いかかり、最後はベン・ハーとの一騎打ちになるが、逆にその刃が仇となって戦車から振り落とされ、馬に激しく引きずられた後、絶命する。

特筆すべきは、この映像がCGも特殊効果も使わず、いっさいが人力によって作られた点である。
CG映像ではない、何万もの本物のエキストラが会場を埋め、本物の戦車が激突する。
この迫力は、CGを駆使した近年の傑作『グラディエーター』の戦闘シーンでもついに凌ぐことは出来なかった。
映画史上に残るアクション・シーン。


瀕死のメッサラがベン・ハーに伝えたのは、長年牢獄に閉じこめられていた母と妹が、疫病に冒され、町外れの疫病者の洞窟に追放されたという知らせだった。
「復讐はまだ終わっていないのだ」と、恨みの言葉を残して息絶えるメッサラ。
ベン・ハーは激しい憎悪から、武力でもってローマに抗うことを決意する。
そんな彼に、美しい婚約者のエスターが言う。
「憎しみに取り憑かれたあなたの眼は、まるでメッサラのよう」

それでも許そうとしないベン・ハーは、母と妹を疫病者の洞窟から無理矢理に連れだし、町へ向かう。
が、その頃、町は閑散としていた。
町中の人が、イエスの裁判に押し掛けていたからだ。
「ユダヤの王」を名乗ったかどで捕らえられ、磔刑を言い渡されたイエスは、鞭打たれた身体に十字架を背負い、ゴルゴダの丘に向かう。
「あの人は、私に水をくれた人だ」
それが砂漠の村で会ったイエスだと気付いたベン・ハーは彼に駆け寄り、助け出そうとするが、ローマ兵に突き飛ばされてしまう。

十字架にかけられたイエスの足元で、彼の教えを信じ、忠実に使えていたユダヤの商人バルダザールに向かって、ベン・ハーが言う。
「これで、あなたの夢も終わったな」
「違う、これから始まるのだ」
バルダザールの顔に希望がみなぎる。

磔にされたイエスを、最初は茫然と見上げていたベン・ハーだが、やがて彼の顔に明るい光が差し込み、その眼差しが冴え冴えと輝き出す。
満ち足りた思いで家に帰り着いたベン・ハーは、エスターに言う。
「あの人が言ったのだ。『父よ、彼らを許したまえ』。その言葉を聞いたとき、わたしの憎しみも消えたのだ」
悦びに抱き合うエスターとベン・ハー。
そんな彼らの前に、疫病に冒されたはずの母と妹が、元通りの美しい姿で現れる。
キリストの足元で、彼の血の混じった雨水を浴びたことで、奇跡が起こったのだ。
ベン・ハー一家は、再び愛と平和に包まれ、イエスによってもたらされた幸せをいつまでもかみしめるのだった。

ベン・ハー』とキリスト教に関する書籍

こちらはルー・ウォレスによる映画の原作。
【Amazonレビューより】
本書末尾に【省略本を定本とした自由訳】とあります。
松本恵子さん訳の完訳版を一読いたしましたが差異は感じられませんでした。
映画とは大分違います。
人として当然のように思えるベンハーのメッサラ・ローマへの復讐。
本ではキリストの死の直前までベンハーはキリストの言葉を受け武力を用いようとします。
作者が描きたかったもの、それはベンハーが受けた屈辱さえも許す心でした。

いきなり分厚い聖書を読むのはどうも・・という方におすすめのビジュアル本。
ノアの箱船、バベルの塔、ソロモンの栄華、神殿などをリアルに復元し、再構成した図解と遺跡の写真・名画で旧約聖書の世界を紹介します。

こちらも天地創造からキリストの復活まで、聖書の流れを名場面で綴るビジュアル本。
後世の文学や絵画に影響を与えた感動的なシーンはすべて網羅しているため、まったく知識のない方でも楽しく学ぶことができます。
美術入門書としても楽しめます。

西洋美術への理解を深めたければ、アマチュア向けの美術読本がおすすめ。
あの有名な絵画のエピソード、歴史的背景、キリスト教的意味について、分かりやすく解説します。
展覧会や海外旅行のおともにどうぞ。

天地の創造,人類のはじまり,楽園追放,ノアの洪水,その子孫の増加,そしてイスラエル民族の祖先たちの罪と罰の記録.次々に壮大な神と人類の物語が展開されてゆく……。
キリスト教及び西洋文化の原点を知る上で、欠かせない一冊。 神と人類との、壮大なスペクタクル劇としても楽しめます。

聖書の日本語訳や入門書は星の数ほど出ているけど、私が一番気に入ったのが、こちらの訳本。
「聖書」というよりは、「聖書物語」として、軽く読むのに適しています。
学術的な位置づけはともかく、新約聖書(特に、イエスの活動と生涯を綴った福音書)の概要を知るには、手っ取り早い一冊だと思います。

初稿: ’98 Autamn
・サイト「Clair de Lune」に『聖書ってなあに』のタイトルでアップ

Photo : http://schmoesknow.com/mgm-paramount-want-tom-hiddleston-for-the-ben-hur-remake/27980/

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