書籍と絵画

死んだ作家は年を取らない

2017年2月28日

村上春樹のファンが羨ましい。

彼らはこれからも春樹の新刊が読めるし、春樹の老化や思想の変遷をリアルタイムに楽しむことができる。

でも、好きな作家が死んでしまったら――そもそも、好きな作家がこの世の人でなければ――自分だけが一方的に変わって、いつか作品から閉め出される。女性がいつまでも週刊マーガレットの世界にとどまっておれないのと同じ。いつかはその世界観に別れを告げて、新たな指針を探すことになる。オスカルよりはマリー・アントワネット、いがらしゆみこよりは川崎美枝子みたいに。(この世に丘の上の王子様はいなかった……)

憧れの人はいつまでも少年のまま、老いることもなく、変わることもなく、そこに釘付けされた星みたいに、ずっと同じ輝きを放ち続ける。

私はその周りをぐるぐる回るだけ。

以前のように入っていけない淋しさも感じれば、何かを誤ったのではないかと不安な気持ちにもなる。

相手の作家が生きていれば、「こいつも老いたな」と作家のせいにすることもできるけど、そうでない場合は、自分を疑うしかないから。

同じファンになるなら、同世代を一緒に生きている作家を好きになった方がいい。

そうすれば、老いる時も一緒、死ぬ時も一緒、たとえ途中で失望しても、相手の能力不足にできるから、自分は傷つかずにすむ。

でも、そうでない場合は、どこに結着すればいいのやら。

私も年寄りになったと諦めるのか。

それとも、若い頃、夢か幻でも見てましたと割り切ればいいのか。

生きていれば、その人がどこに行き着いたのか、納得することもなく、見届けることもなく、途切れた言葉の向こうを推し量るだけというのも、なんとも切ない。

同じファンになるなら、すでにこの世にない作家を好きになっちゃいけないよ。

相手は、十年たっても、二十年たっても、変わらぬ高みでにっこり微笑みかけるだけ。

自分だけが年を取り、自分だけが煩悶の川を渡って、違う岸辺に辿り着いてしまうから。

もう一度、振り返っても、同じ言葉の響きは聞こえず、自分に対してこう思うだけ。

経験を重ねるのも良し悪しと。

いつかまた、同じ気持ちで出会いたい。

高校生活も終わりの頃、初めて本屋の書架で手に取った日のように。

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