灰も残らぬほど創作に燃え尽き / ちばてつやと『あしたのジョー』感動のラスト

2017年9月15日書籍と絵画

当サイトでなぜかヒットの多い「あしたのジョー」ネタ。
大半の人が、「燃え尽きた、あしたのジョー」といったフレーズで検索しておられます。
これは、もしかして、あの感動的なラストシーンをご存じない方が多いのかしら・・と、ふと思った私。
私の中ではあまりにも有名なので、「みんな知っていて当然」みたいな感覚がありますけど、10代や20代のお若い方は、「あしたのジョー」というタイトルはもちろん、どんな作品か目にする機会もないのかもしれませんね。

「あしたのジョー」には感動的なクライマックスが二つあって、前半部は、永遠のライバル、力石徹との決戦。
後半部が、世界チャンピオン、ホセ・メンドゥーサとの死闘になっています。

前半は、そこいらの不良少年に過ぎなかったジョーが、元プロボクサーの丹下段平に見出され、プロのボクサーへと成長していく物語で、少年院に送られたジョーが、丹下段平から送られてくる葉書を通じて、「ジャブ」や「ストレート」といった基本の技を身に付けていく過程が非常に印象的です。「右脇腹から、えぐりこむようにして、打つべし!」という文句が、面白かった。
そして、ジョーは、同じ少年院に服役する現役プロボクサーの力石徹と出会います。
腕っ節の強さが自慢のジョーも、力石にだけは適わず、少年院を出たら、必ずプロのボクサーとして力石を倒すことを誓うのでした。
それからプロの道をひた走るジョーですが、二人の公式対戦には大きな問題がありました。
それは力石の方が体格が大きく、同じ級(クラス)で対戦が出来ない、ということです。
しかし、ジョーとの対決を切望する力石は、必死の減量に挑み、ついに同じ級の選手として対戦を実現します。

この時、厳しい飲水制限に耐えきれず、力石は個室から抜け出して、とうとう水飲み場に駆け寄ってしまいます。しかし、水道はすべて針金でぐるぐる巻にされ、栓をひねることができません。その様子を陰で見ていた白木ジムの令嬢、白木葉子が、「いつか、こうなることを予想していました。でも、今のあなたの身体は、大量の水を一気に飲んでしまうと壊れてしまうから、こうして水道を止めていたのです」。
そして、グラス一杯の水を差しだし、「ここにお水があります。これまでのあなたの頑張りに免じて、グラスに一杯だけお水をあげます。だけど、それ以上は、身体を壊してしまうから、あげられません。一杯の水でよければ、どうぞ」
その言葉に、我に返った力石は、「ありがとう、お嬢さん。その気持ちだけで十分です」と、グラスの中の水を飲まずに、床に流してしまうのです。
私の中では、この場面が一番感動的でした。
白木葉子の、「あなたの中にも人間的な弱さがあることが分かって、それが嬉しいのです」というような言葉が、特に心に残っています。
(セリフの部分は、すべて裏覚えですので、原作とは違っていると思いますが、大意は上記のようなものです)

そうして、二人の対戦が実現し、ジョーも力石も死力を尽くして戦いますが、最後は、力石の強烈なアッパーにジョーがノックダウン。夢の対戦は力石の勝利で幕を閉じます。
しかし、必死に戦ったジョーにも悔いはありませんでした。
そして、清々しい気持ちで力石と握手を交わそうとした瞬間、力石は意識を失い、リングに倒れてしまいます。
ジョーの放った必殺技「クロスカウンター」が、力石の側頭部に致命的な損傷を与えていたのでした。
前半部は、力石徹の死で、いったん結ばれます。

後半部は、力石の死のショックで、側頭部へのパンチが打てなくなり、プロのボクサーとして存続が危ぶまれるところから話が始まります。(これが「あしたのジョー2」になります)
そんな時、カルロスという強力なボクサーが現れ、ジョーに勝負を挑みます。
結果は引き分けだったか、カルロスの勝利だったか、ちょっと記憶にないのですが、ともあれ、二人は固い友情で結ばれ、自信をなくしかけていたジョーも再び闘志を燃やし始めます。
ところが、そのカルロスが、稀代の天才ホセ・メンドゥーサにめった打ちされ、廃人同様になったというニュースが飛び込んできます。
ホセの必殺技「コークスクリュー・パンチ」を無数に浴びたカルロスは、パンチドランカーに陥ってしまったのです。
そして、それはまた、ジョーの身体をも蝕み始めていました。
そんな折り、ホセ・メンドゥーサから、対戦相手に指名されます。
カルロス戦で勝利を手にしたホセですが、それ以前に、カルロスがジョーとの対戦で大きなダメージを受けていた……という事実を知り、自分の実力を知らしめるために、ジョーとの対戦を望んだのでした。
白木葉子は、ジョーの身を案じ、対戦を思いとどまらせようとしますが、ジョーはボクサーとしての誇り、そしてカルロスとの友情をかけて、世界チャンピオンの座を懸けたリングにあがります。

コークスクリュー・パンチでボロボロになりながらも、ひたすら立ち向かってくるジョーの姿にホセは恐れを感じ、試合終了の頃には、頭髪が真っ白になるほどでした。
そして、命を懸けてリングにあがったジョーは、「燃えた、燃え尽きたぜ……真っ白にな……」という名セリフを残して、判定の結果を聞くことなく、息を引き取ります。

「真っ白に燃え尽きた」の意味するところは、下の記事にありますように、「灰も残らないほど、完全燃焼する」ということ。
「燃えかすなんか残らない。燃えて、燃え尽きて、真っ白になるんだ」というジョーのひたむきな生き方が集約された、漫画史上に残る名セリフだと思います。

私も原作はクライマックスの部分しか読んだことがなくて(かなりの長編です)、アニメ中心なのですが、この作品に関しては、原作に忠実に作られていたと思います。
ジョーの声優を務めた”あおい輝彦”さんも、これ以外は考えられないはまり役でした。

まあ、機会があれば、原作でも、アニメでも、ぜひにご覧になって下さい。
作者の熱気がひしひしと伝わってくるような名作です。

なお、この作品で、原作者「高森朝雄」と名乗っているのは、「愛と誠」の原作者でお馴染みの梶原一騎さんです。
「巨人の星」のようなスポ根漫画と思われたくない――という理由から、ペンネームを変えられたそうです。

DVDはこちらです。

§ 1000hitsに寄せて

今年4月にリライトして以来、ダントツ人気のこの記事は、6月10日付で1000hitsを達成しました。(2007年)
(Post inに表示されているView数は6月8日からカウントしています)
2005年に初めてexciteブログで書いた時はアクセスらしいアクセスもなかったのですが、今、こうしてたくさんの方に見て頂けて、有り難いなあと感じます。
You tubeの効果でしょうかね??

『あしたのジョー』と言えば、漫画史上に残る名場面、「燃えた、燃え尽きたぜ、真っ白にな」のエンディングが全てを物語っているのですけど、「真っ白に燃え尽きる」ってどういうことなのか、思いついたままに書いてみることにしました。

私は、この世に生まれて、「自分のやりたいことが分からない」「好きなことが何もない」というほど淋しいことはないと考えています。
逆に言えば、「何か」が見つかった時点で、その人の人生は成功したも同じだし、何もなければ、お金を得ようと、豪邸を建てようと、芯から満たされることはないのではないでしょうか。

「何か」の中身はなんでもいい。
歌うこと、絵を描くこと、夜釣り、自家菜園、パッチワーク、etc。
好きで好きでたまらないアーティストがいて、その人を追っかけて地球の裏側まで旅するのも一つの生き甲斐だし、どうしても見たい絵があって、その絵を見る為だけに貯金はたいて遠く出掛けていくのも、人生の大きな喜びだと思います。

自分の為の「何か」、自分だからこそ出来る「何か」。
その為に生きたい、それゆえに生きていける、それほどまでに熱く懸けられる「何か」があれば、妬みや虚しさとはまったく無縁のところで、他人にも世間の価値観にも振り回されることなく、淡々と生きていけるんですよね。

『ウェブ進化論』の著者で、若いネットユーザーに圧倒的に支持されている梅田望夫さんのブログに「好きを貫く」という記事があるのですけど、それらを読んでいると、「興味はあるけど、必死でやったり、失敗した自分の姿を周りにさらけ出すのがイヤ」という人が増えているのかな、という印象を受けます。

「好きな気持ち」より自分のメンツが大事――とでも言うのでしょうか。

「やるからには、周りがアッと驚くような事をしなければ格好がつかない。何の保証もないところで必死にやるなんてバカらしい」という感じで、そこから一歩も動こうとしないんですよね。

でもって、目の前にそういう「熱い人(本当は自分がそうなりたい)」が現れると、妬みから敵意を掻き立てられて、重箱の隅をつつくようにして落としたくなる――そういう傾向もなきにしもあらず、という感じがします。

ところで、『あしたのジョー』の主題歌は、戯曲や詩で有名な寺山修司さんが作詞されたのですが、著書『時速100キロの人生相談』の中で、こんな事を書いておられます。

それにしても、きみに限らず、だれもかれもが臆病すぎる。
カシアス・クレイは、フレイザーと戦う前に、「あなたはどれくらい強いですか」などと手紙を書くだろうか。

「好きな気持ちより自分のメンツが大事」な人は、「あなたはどれくらい強いですか」という手紙をあちこち書きまくっている間に人生を終わってしまうんだろうな、と思います。

何につけても「先は見えている」とポーズを繕って、それがまた「利口の証」と思い込んでいる人は多いですけど、ボクシングに限らず、何でも、実際にやってみないと分からないのではないでしょうかね。

最初から無敵のチャンピオンなど皆無ですもの。

みんな、恥をかき、失敗し、「それでもやりたい」「どうしたら上手く行く」ってことを考えて、考えて、考え抜いて、今に至るんですよ。

梅田さんの『お前ら、他人を妬んで、悪口言ってるヒマなどないんだぞ、好きなら好きを貫いてみろ』というメッセージも、そういう意味だと思うんですけどね。

「あしたのジョー」のこのクリップでは、ジョーを慕うノリちゃんが、
「毎日毎日、薄暗いジムに閉じこもって、縄跳びしたり、サンドバッグを叩いたり、、、。食べたいものも食べず、飲みたいものも飲まず、悲惨だわ」
と、ボクシングが全ての生活を送るジョーの青春を嘆きます。

すると、ジョーの答えは、「好きだから」。その一言。

まさにそれなんです。

負けてもいい。何も残らなくてもいい。まして他人に「スゴイ」と褒められなくてもいい。

「自分が好きだからやる」。

自分の好きなことを貫くのに、それ以外の理由があります?

だから、ジョーは、世界チャンピオンのホセ・メンドゥーサと戦う時も、ホセに「あなたはどれくらい強いですか」なんて手紙を書きません。
ホセが「僕の強さはこれくらいです」と返事をくれて、勝てる見込みがあれば、戦う――そんなの、インチキでしょう。

ジョーは、ただ好きだからリングに上がるし、負けたからといって、彼自身の価値がまったく失われるわけでもない。
負けたら負けたなりに、次の勝ちを目指すだけで、終わりもなければ、沈むこともない。
ただ、淡々と、自分の人生が――好きなことに懸ける日々が続いていくだけなのです。

だから、彼の完全燃焼した人生には、燃えかすなんか残らないし、トロフィーも戦利品も何の意味もありません。
ただ、「燃えた、燃え尽きたよ、真っ白にな」という、身体の芯から満たされるような充実感があって、それが天国まで持っていける唯一の幸せなんじゃないでしょうか。

「好きな気持ち」や興味のあることがあるなら、結果や周りの目を恐れずにやったらいいと思います。

「あなたはどれくらい強いですか」という手紙を書きまくるうちに終わる人生なんて、一度もリングに上がることなく引退した練習生と同じですもの。

負けてもいいから、本気で戦った経験がある人だけが、「俺はボクサーだ」って、胸を張って言えるんじゃありません?

「真っ白に燃え尽きる」のエピソードは映像の後半にあります。ぜひ見て下さいね。


§ 灰も残らぬほど創作に燃え尽き』

2005年、exciteブログの記事より

ちばてつやさんが「わいせつ表現におおらかさを」
(現在この記事は削除されています)

このニュースを目にする前、私は、日本から送られてきた「ガラスの仮面 42巻」を読んで、消化不良を起こしていた。

マヤと桜小路のサイドストーリーばかりが描かれて、肝心な、紅天女の試演の話がちっとも進んでないじゃないか!

何年かぶりに新刊が発売されたとあって、ガラスの仮面についてはとうに見切りを付けている姉や妹に頼み込42巻を送ってもらったのだけど、この展開には泣けた。

背景がすっかり現代風に変わっているのに、カツオとワカメが、ネットでチャットをやっているような違和感を覚えた。
でも、三行半を突きつける気にはならないんだね(T^T)

だって、好きなんだもん。

サイドストーリーで盛り上がってもいい。桜小路が気持ち悪くてもいい。

死ぬまでに完結してくれ。

それさえ果たしてくれたら、私は何も言わないよ。

……そんな気持ちです。

ところで、「オチに苦しむ」といえば、非常に有名なのが、スポーツ漫画の傑作「あしたのジョー」だ。

梶原一騎の原作&ちばてつやの作画で連載された「あしたのジョー」も、いよいよ佳境に入り、落ちこぼれのヒーロー、矢吹ジョーが、いよいよ世界チャンピオンの座をかけて、華やかなリングで闘うことになった。

相手は、必殺技コークスクリュー・パンチで、何人もの対戦相手を廃人にしてきた、無敵のチャンピオン、ホセ・メンドゥーサ。

ジョーが苦戦を強いられるのは必至の上、ジョーの身体はすでに深刻なパンチドランカーの症状に蝕まれ、これ以上闘えば、勝ち負けはおろか、命の保証もない状況であった。

この試合の結果、しいては「あしたのジョー」の物語の結末をめぐって、原作者の梶原一騎と作画のちばてつやの間では何度となく口論が繰り返され、ついには梶原一騎が「勝手にせい!」とぶち切れたとまで言われている。

ジョーを勝たせれば、物語はありきたりのスポ根漫画になってしまうし、負ければ、今までのジョーの闘いはすべて無駄になってしまう。

勝ちでもなく、負けでもない、万人が納得行く結末とは何なのか。

一人ですべてを負うことになったちばてつやは、夜も眠れないほど懊悩したという。

そんなある日、アシスタントの一人が、すでに発行されていた単行本をちば氏に差し出した。

そこには、ジョーを慕う女友達に対し、ジョーが自分の人生について、「真っ白になるまで闘う。灰なんか残らないほどに……」と語る場面が掲載されていた。

「そうだ! これだ!」と閃いたちば氏が描いたエンディングが、かの有名なセリフ、

「燃えた……燃え尽きたぜ……真っ白にな」だ。

ボロボロになりながらも、15ラウンドを闘い抜いたジョーは、リングサイドに腰掛けながら、ジャッジを聞くことなく、目を閉じ、息を引き取る。(ジャッジはホセの勝ちだったが、ホセもまたジョーとの死闘で頭が真っ白になるほどボロボロになる)

最後の1ページに描かれたジョーの安らかな微笑みは、まさに漫画史上に残る名場面だ。

勝ちでもなく、負けでもない、だが万人の納得行く勝利がそこに描かれている。

最後にジャッジがホセの名を叫んでも、そんなものは、もはや誰にとっても何の意味もないことを悟った時、私たち読者は安

心して物語を結び、本を傍らに置くことができるのだ。

そんな結末を、美内さんも用意しておられるのだろうか。

マヤが勝っても、亜弓さんが勝っても、おそらくファンは納得しない。

「紅天女を演じる」以上の勝利を、ファンはマヤに期待しているからだ。

……そんな事を考えていたら、上記のニュースが目に入った。

何を持ってワイセツとするかは、まったく個人の価値観によるし、「ヘアはいいけど割れ目はだめ」という根拠はどこにあるのか、私だって聞きたいくらいだ。

ちなみに、ポーランドは全部出るよ。

日本じゃボカシの入っていた部分がバッチリで、「おいおい、いいのかあぁ」って、こっちが目を覆いたくなるほどだ。

国際的な科学番組「Discovery」の、「セックス・センス」という特集では、男性器も女性器もボカシ無しで、「いかにしてオーガズムを得るか」なんてことを、その道の博士が図解入りで大まじめに討論しているし。

何でも「イヤラシイ」と思ってみれば、いやらしく見えるし、何とも思わなければ、何でもないものだ。

たとえ、ポーランドのTV番組の深夜のコマーシャルで、アーニャやナタリアが、すけすけパンティの腰をくねらせて、「あたしに電話して」と迫ったとしても。

ちば氏の漫画に対して、どんな結審が出るかは分からないけれど、「チャタレイ夫人の恋人」みたいに、作品の評価は後にいくらでも変わるもの。

それこそ、勝ちでもなく、負けでもない、結審を超えた漫画家の勝利というものを見せて頂きたいと思います。
……それにしても、『蜜室』というタイトル、いいですね。

このブログのタイトルも、「ぽおらんど」にしたら、エッチぽくていいかもしれません。

 ※ 前に「今日もポーランド」というブログを運営してました