Notes of Life 映画

映画『エイリアン』の生殖とエロティシズム 

2014年7月14日

[alert type=”alert”]一応、18禁コンテンツですが、真剣に芸術や性に関心のある子はどうぞ。[/alert]

いきなり愚痴で申し訳ありませんが・・・

21世紀になってから制作されたリドリー・スコット監督の『プロメテウス』には、非常にがっかりさせられました。

おそらく、第一作『エイリアン』をライブで見たことの無い若い観客層を視野にいれて制作されたのだと思いますが、80年代からのファンにはこのポスターを見ただけで「ああ、『エイリアン』の前日談ね、エイリアンは遺伝子操作で偶発的に作られて、人間は彼らの『主人』に似せて創られたという話でしょ」と丸わかり。

「遺伝子操作」も昔は真新しいネタでしたが、今じゃすっかり手垢のついたオチ。

今時、大豆やトマトだって遺伝子組み換えしてるんだから、もうちょっと思いがけないネタを考えようよ。

私はむしろ「理由なき存在」としての『エイリアン』の方がレジェンドとして語り継がれると思うのだけど、そういう風にはならなかった。

あの衝撃から何十年も経って「遺伝子操作ネタ」で悪夢の快感をブチ壊されるとは想像だにしませんでした。

そんでもって、またお決まりの「三部作」に仕上げるそうだけど、この三部作形式も止めて欲しいよね。

売り上げたいのは分かるけど、かえって作品の緊張感を台無しにしてるような気がなきにしもあらず。

そんでもって『ブレードランナー』の続編も作るってか? 

もうたいがいにしろよ、って気分です。

言い換えれば、70年代から80年代にかけて世界を熱狂させたヒット作が、それだけオリジナリティと斬新さに溢れてたという証でもあると思いますが。

過去の名作をいじくり倒すのは止めて欲しいですわ・・。

§ 映画『エイリアン』を「生殖」の観点から観る

私が初めて『エイリアン』を見たのは、映画館ではなく、(確か)TV朝日の『日曜洋画劇場』でした。
映画館で体験した友人が「怖いで、怖いで、めっちゃ怖いで」と脅かすので、「なんでぇ、たかがSFやろが」と高をくくって見始めたら、ほんとに戦慄した。

私も幼少時より「エクソシスト」とか「エマニュエル夫人」とか(←子供が見ても平気な親^^; ウィークエンダーの再現ビデオも一緒に見てたしな)、強面の作品を片っ端から見まくってきましたが、『エイリアン』はブラウン管の前で茫然自失となった数少ない作品の一つです。

そして、今も、けっこう繰り返し見ています。

理由の一つは、リプリー船長=シガニー・ウィーバーが大好きなこと。

もう一つは、『ブレードランナー』と併せて、この作品のリドリー・スコット監督は本当に「神やわ・・」と思えるからです。

***

『エイリアン』と言えば、グチュグチュ、ニュルニュルした気持ち悪いモンスター異星人が宇宙船のクルーに次々に襲いかかり、最後の瞬間までハラハラドキドキ・・が売りの作品ですが、一方で、エイリアンをデザインしたH・R・ギーガーの芸術を味わう作品でもあると思います。

一見、お茶目なおじさんですが、本物の『天才』を感じさせる数少ないアーティストの一人です。

その関連で、いろんな記事に目を通していますと、H・G・ギーガーの作品の根底にあるのは『性』や『生殖』であり、『エイリアン』もそれを受け継いでいる──という一文がありました。

どこで目にしたかは覚えていませんが、「なるほど」と納得行ったものです。

それも含めて、セックスと生殖から見た「エイリアン」のレビューを書いてみようと思います。

§ 『エイリアン』の見所

この作品の演出の素晴らしい点は「光」(特にフラッシュ)の使い方が非常に上手い点。

ブレードランナーもそうですが、光を当てる角度、フラッシュのタイミング、色合い、全てにおいて緻密に計算された感がある。

この頃はそこまで映像技術が発達していませんが、「光」の演出で、場面の緊張感、不気味さ、宇宙的な雰囲気などを巧みに醸し出しています。

また、大スターを使わないことで「誰が死んでもおかしくない」状況を作り出している。

スタローンやトム・クルーズが出てくると、「こいつは最後まで生き残る」ということが分かっちゃう。

でも、この『エイリアン』はいわゆる「アクションスター」が登場しないので、まったく物語の先が見えず、もしかしたら全員皆殺し? という恐怖も高まるわけです。

この場面が乗組員の運命を暗示しているわけですが、H・G・ギーガーの精髄がぎゅっと詰まったような美しい絵ですね。

『プロメテウス』はこの象徴を全然生かしてなかった。だから余計で腹が立つねん。

映画 エイリアン

ここの見せ方も非常に上手い。人間が近づくと、いきなりニョロ~っと卵が割れる。
なんか脈打ってませんか?? と不思議に思っていると・・

映画 エイリアン

覗くな、っつうのに・・覗いちゃうんですよね。
まあ、私でも覗くかな。
みんな、覗くよな、やっぱ。

そして、ここからのショットがすごい。
観客が「何だ、これ?」と首を傾げてる間に、一瞬で襲いかかってくる。
そのスピード感が秀逸なんですね。

私もTVで見ていて、のけぞりました。

映画 エイリアン

「フェイスハガー」と呼ばれる寄生虫の親玉。これは当時としては非常に斬新なアイデアでした。
それもくっ付いているだけでなく、酸素と栄養を送って、まさに「胎盤」の役割をしているわけです。

映画 エイリアン

その後、フェイスハガーは自然に顔から剥がれ落ち、襲われた男性も体調が回復して、一緒に食事を摂れるまでになる。
「最後の晩餐みたいね」という女性クルーの台詞どおり、本当に最後の晩餐になってしまった。

突然、苦しみ出す男性。見てる側は、まだ状況が飲み込めません。

映画 エイリアン

そうこうするうちに、男性はのたうち回って苦しみだす。

この場面を見て、「ひきつけを起こした患者には、舌を噛み切らないように何か固いものを口にかませる」(この場合、フォーク)ということを学習しました。
すごいぞ、エイリアン。医学の役にも立ちます。

映画 エイリアン

そのうち、腹から出血。ここでも、まだ状況が飲み込めません。

あれよ、あれよ、という間に、「チェストバスター」と呼ばれる幼虫が男性の腹を食い破って姿を現す。

映画 エイリアン

解剖学的に言えば、胃袋を裂かれる時より、筋肉を噛み切られる方が非常に痛いと思います。

これも何かの記事で目にしたのだけど、チェストバスターのデザインは男性のペニス、もしくは胎児を表している、という説があるそう。

そうやって見れば、なるほど、でしょう。

他人の体内に唯一入り込む器官といえば、ペニスですからね。

ぶっちゃけ、『エイリアン』そのものが、それを象徴しているといってもいいぐらい。

ある見方をすれば、男性器=精子=女性の肉体への侵略 じゃないですか。

まあ、男の人にそういう感覚は分かりにくいでしょうが、女性にとってはそうですよ。

本来、自分のものではない精子=細胞を受胎して、まったく新しい生命を作り出すわけですからね。

つまり、『エイリアン』というのは、人間、しいては生物の非常に根源的な本能と生命力を描いてる。

やはり生命の根底には猛々しいほどのパワーがあり、複製の本能がありますから。

このエイリアンも、男性のペニスのように人間の体内に入り込み、腹の中に宿り、ついにはそれを食い破って新たな生命を生み出す。

もしかしたら、生命の本質は、そんな美しいものではない。

ひたすらコピーし、増殖し、ただただ生存する。非常にエゴイスティックでワイルドなものだと思うのです。

男性の感想は知りませんが、女性から見れば、エイリアンはレイプ魔ですよ。

相手の体内に入って、突き破って出てくる──という点に本能的な恐怖を感じる、とでもいうのでしょうか。

そしてチェストバスターは、ペニスでもあり、胎児でもある。

男性が死ぬのは当然です。女性ほど強くないから。

映画 エイリアン

リドリー・スコット監督いわく「悪夢を形にしたような」、エイリアンのデザイン。
でも、綺麗ですよね。
おそらくモンスター映画史上、最も美しいクリーチャーではないでしょうか。

↓ この頭のテリテリした感じがGood.この作品の「水」と「光」の使い方は非常に上手い。
映画 エイリアン

映画 エイリアン

物語の終盤で襲われる、もう一人の女性クルー、ランバート嬢。
なぜか彼女に対しては一気にグサっと襲いかかるのではなく、足下から股間に這い上がるように襲ってるんですね。
これが「レイプを示唆する」というレビューもありました。

確かにこの場面、女性には不快感MAXです。本能的な恐怖がある。

映画 エイリアン

当時のコンピュータに対するイメージ。これでも「凄いマシン」だった。

映画 エイリアン

スクリーンタッチの概念は、理想としてはあったけど、まだそこまで確立されていなかったと思う。
どこかApple=マッキントッシュなキーボードが味わい深し。

映画 エイリアン

私はこの演技を見て、イアン・ホルムってすごい役者さんだな、と思ったし、クルーの中に一人だけロボットを紛れ込ませるアイデアも秀逸に感じました。これは本当に予想外だったので。

壊れたロボットを首だけ喋らせるのも不気味だったし、喋る度に白い血液(?)が口からゴボゴボ溢れる演出もインパクト大でした。

やはり「一つの絵」としての描き方が丁寧だよね。首も、胴体も、何気なく置いてあるように見えるけど、どこか西洋絵画の「メメント・モリ(死を思い出せ)」を想起させるでしょう。

映画美術の根底に素養があるのね。ただ「スゴイもの」を見せているのではなく、細部まで神経を行き渡らせている。

このアーティストとしての意地というか、緊張感というか、素養の深さに惹かれてたんだけど。「プロメテウス」はな・・ほんま腹立つわ。

映画 エイリアン

母船から脱出する演出も素晴らしい。母船の自爆装置をセットし、小型シャトルに乗り込んで脱出するわけだけど。

小型シャトルが母船からどんどん離れていく様子ではなく、シャトルの目線から、母船が遠ざかるショットで描いてるのね。この撮り方が上手い。

小型シャトルが宇宙空間に飛び出す場面を描くより、シャトルの窓から母船がどんどん遠ざかるショットを見せた方が、「早く、早く、爆発しちゃうよ!」とハラハラするわけ。

これはリプリーの視点なんですね。
ここで観客の気持ちは完全にリプリーに同化する。
だから、後のパニックが生きてくるんだと思います。

映画 エイリアン

シャトルでの脱出に成功し、一息ついて着替えをするリプリー。
当初は全裸にする予定だったそうですが、最低限の下着は着ける演技になりました。

でも、わずかな衣類を身につけることによって、かえって襲われる女性の危うさと無防備さが強調されたと思うし、ここでリプリーを全裸にしてしまったら、観客の興味も削がれるでしょう。

映画 エイリアン

レイプ魔、登場。物陰に潜んで、無防備な女性を襲う。

映画 エイリアン

この恐怖感って、二種類あると思うんです。

一つは、生物としての身の危険。

もう一つは、「女性が襲われる」という事への恐怖です。

そして、その先にあるのは、肉体への侵入→複製→誕生。

この荒々しい生命の本能こそ、エイリアンの正体ですよ。

実際、妊娠中って、お腹の中にエイリアン抱えてるようなものですからね。

生まれたばかりの赤ちゃんや幼児も、言葉の通じない異星人だし。

男性の目にこれが恐怖と映るなら、「自分もやっちまうかもしれない」という己の欲望への恐怖でしょうか。

「女性の身体の中に入りたい」「自分を複製したい」という本能がありますからね。

でも、女性も簡単にはさせない。

↓ この二重アゴのアイデアが素晴らしい。
映画 エイリアン

↓ この場面のシガーニー・ウィーバーの演技も神がかっています。
映画 エイリアン

生殖に失敗したオスは、ジェット噴射に吹き飛ばされて、哀れ、宇宙の藻屑と消える。
これも非常にわかりやすい構図です。

映画 エイリアン

悪夢が過ぎ去って、「白雪姫」のように眠りに就くリプリー。

これって、一つの「処女性」を象徴しているように見えます。

彼女はエイリアン=男性器の侵略から身を守ったわけですから。

映画 エイリアン

ちなみに、当初、考えられていたエンディングは三通りあり、「本作通り=リプリーが生き残る」「クルー全滅」「ネコの体内に入り込み、そのまま地球に行ってしまう→その続きは皆さんのご想像におまかせします」だったそうです。

これもうろ覚えになりますが、リドリー・スコット監督(もしくはシナリオ)は「ネコ」を支持していたそうですが、やはり観客のカタルシスを考えて、「リプリーが生き残る」になったとか。それで正解だったと思います。

しかし、やはり作品の決め手になったのは、クライマックスのシガーニー・ウィーバーの演技でしょう。

私もTVに釘付けになりましたが、本気で怯え、本気で震えている。「幸運の星よ、私を守って」という台詞や、過呼吸でも起こしそうな息づかいや、ゆっくりと後ろを振り向く時の眼差しや、これ本当に演技? というような渾身の場面です。

そして歴史的な流れを考えると、やはり、この頃から「女性が銃を手にして戦う」という構図が始まったと思います。

従来、アクションやホラー映画の女性は、男性主人公の妻や恋人として添え物のように描かれ、男性ヒーローに助けてもらっていた。生き残るのも男性なら、戦うのも男性。それがお決まりのパターンでした。

でも、『エイリアン』が新鮮だったのは、「リプリーと船長がカップルで残る」のでもなければ、「船長の機転で命拾いする」わけでもない。

まさに「か弱い女性」一人がエイリアンに立ち向かい、そして勝利する。

ジェットエンジンに吹き飛ばされたのは、男の沽券とプライド、と言ってもいいぐらい。

今でこそディズニーのプリンセスも男顔負けに戦いますけど、この作品が出た時のリプリーの女性像は、やはりそれまでの流れを覆す、非常に勇敢でたくましいものであったと記憶します。

その後、シガーニー・ウィーバーが大女優に上り詰めたのは実力ですよ。

ケイト・ブランシェットと同様、「めちゃくちゃ美人!」というのではないけれど、女性ならではの英知や強さを感じさせる数少ない女優さんの一人だと思います。

ちなみに私のおすすめは映画『デイブ』。素晴らしくエレガントで魅力的なファーストレディを演じてます。

§ 生殖とエロティシズム

私が高校生の時、小論文の授業で「なぜ人間はセックスするのか」というテーマがありました。(ほんとの話)

その時、先生が仰ってた、「人間だけが快楽を与えられている。快楽を伴わなかったら、人間はあんなコトできないからだ」(にやっ)という言葉が今も印象に残っています。・・あの時の意味深な笑いも、あー、大人の世界、ってことで、私も興味津々でしたけど(笑)

もちろん、動物にも「快感」はあるかもしれない。

でも、人間の性に伴う快楽とは比べものにならない。

なぜ人間にだけ快楽が与えられているか、といえば、やはり理性に勝る衝動や誘惑が必要だからだと思います。

ちと脱線しますが・・

「女性の高学歴が進むと、結婚や妊娠する人が少なくなる」という論説がありますよね。

理由の一つは、頭のいい女=ごちゃごちゃ理屈を考えるプライドの高い女に、いいセックスはできない、というのがあると思うんです。

「○○大学まで出たこの私が、裸になって、お尻振って、アンアン喘いで、ああ、みっともない」と、プライドと理屈が勝ってしまう。

頭の中まで裸になれない女、とでもいうんでしょうか。

そういう要因も大きいと思うんですよ。

「この私とセックスしていいのは、スペックの高い男でないと」というプライドもあるだろうし。

その点、低学歴で、パッパラーとした女の子が早いうちにセックスの味をしめて、ぽんぽん子供を産む、というのは理に適ってるんですよ。

『考えないから、できる』。(避妊も人生設計も含めて)

現代社会では、理知的なもの(良い意味でも悪い意味でも)とセックスは相容れないのだと思います。

今、政府が総力あげて「結婚しましょう、子供を産みましょうキャンペーン」をやっていますが、その前提にはやはりセックスがある。

若い男女がセックスしないことには、結婚も、妊娠・出産も成り立ちません。

でも、こればかりは相性が悪いと、エイリアン並に気持ち悪いですから、理屈でどうこうなるものではないと思います。

*

人間の世界における「エロティシズム」には2種類あります。

一つは、性愛や官能を表現するエロティシズム。

もう一つは、生殖に繋がるエロティシズム。

どちらも人間の性に根ざした、真実の姿です。

そして、H・G・ギーガーのデザインには、『生殖』という、生命の根源に繋がる美しさと力強さが感じられる。

ヌメヌメ、ベチョベチョとしたダークな外面の向こうに、人間(=動物)の本能が生き生きと息づいています。

『エイリアン』に漂うエロティシズムは、他人の体内に入り込むという禁忌的な危うさであり、ある意味、宇宙船ノストロモ号は女性の子宮や胎内を象徴しているのかもしれません。

物語においては、唯一、リプリーが生き残りますが、それは彼女が『女性』だからでしょう。

彼女の戦いは「母胎の侵入者への対抗」と見ることもできる。

その後、登場する「強い女」のプロトタイプといっても過言ではありません。

そして、要望と暴力だけで迫り来るオスは、やはり宇宙の彼方に吹っ飛ばされる定めにあるのです。

§ H・R・ギーガーの世界

ギーガーの作品は本当に美しいですよね。

人によっては嫌悪を感じ、不安な気持ちにさせられるかもしれない。

でも、それは人間の根源的な本能や秘めた感情に訴えかけるからだと思います。

性をテーマにした作品はたくさんありますが、男女の絡みを描くだけが全てじゃない。

こういう表現もあるのだな・・と教えてくれる、ギーガーは唯一無二のものです。

H・G・ギーガー

美術館も行ってみたいね。なにかしら、じーっと見入ってしまいます。

§ アイテム

正直、エイリアンは1と2だけ見たら十分。
ジェームズ・キャメロンの手がけた第二作は世界で最も成功した続編の一つに数えられています。

ギーガー先生の世界をたっぷり味わうなら、こちらの画集をどーぞ。

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