もし、ピアノ・メーカーのSteinway & Sonsが厳密な規定の下にピアノを製作しているとしたら、誰が弾いても似たような音色で、聴いている方も飽き飽きしてくると思う。
世界で『巨匠』と呼ばれるピアニストは「譜面に忠実」を基礎中の基礎としており、それがどんな演奏においても「絶対的」だとしたら、ホロヴィッツのショパンも、アルゲリッチのショパンも、ポリーニのショパンも、みーんな同じように聞こえてくるはずなのだ。
でも、実際にはそうではない。
同じようにSteinway & Sonsのピアノを弾き、同じようにショパンのエチュードを弾いても、似通った演奏というのはどれ一つとしてなく、100人のピアニストがいれば100通りのクレシェンドがあり、フォルテシモがある。
その違いが分かるようになれば、そこに聞こえるのはもはや「ショパンのエチュード」ではなく、ピアニストそのものだ。
誰もが知っている「あのメロディ」に乗って、生きた人間の息づかいが伝わってくる。
私がクラシックに弾かれるのも、まさにこの一点にある。
たとえば、ビートルズの名曲もいろんなアーティストにカヴァーされ、音楽のもつ多様性を感じるけれども、そこに演奏者の生々しい息づかいを感じるかと言えば、BGMのようにすり抜けて行くケースが圧倒的に多い。音楽としては素敵だと思うけれど、演奏者自身に強烈なオーラを感じ、「この人の演奏をもっと聴きたい」と熱望することがほとんどないのだ。
では、なぜクラシックの演奏者には生々しい息づかいを感じるのか。
ショパンもビートルズも「人の心をつかむ」という点では負けず劣らずなのに、ショパンの音楽により興味をそそられるのは何故なのか。
それは恐らく──下品な言い方をすれば──「いじくり甲斐」があるからだと思う。
たった四小節の間にも、ショパンの譜面には表現すべきことがたくさんある。
一音一音が真剣勝負であり、和音一つにも演奏者のセンス、技巧、解釈などがにじみ出してしまう。
この研ぎ澄まされた感覚──ピアノでありながらピアノの音色を超えた「何か」がクラシックには顕著に表れる。
そしてその「何か」に出会った時、クラシックはもはや「音楽」という枠を越えて、全人的な存在になるのである。
演奏家との出会いは、恋愛みたいなものだ。
どんな立派な釣書の持ち主でも、好きになれない時は好きになれないし、いい人だからといって必ずしも男性として魅力的に映るわけでもない。
それと同じで、どれほど箔のある演奏家でも心を動かされないケースもあれば、「一流」の肩書きが眉唾物にしか見えないこともある。
かと思えば、「えーっ、こんなのが趣味なの??」と周りにけなされるようなタイプにどっぷり浸かることもあるし、ある日突然、あれほど激しかった情熱が冷めることもある。
そして、私にとって後者に当てはまるのがピアニストのアレクシス・ワイセンベルクであり、「彼のことが好き」と口にすることは、もしかしたら「ヤクザの親分を好きになってしまったの」と告白するのと同じぐらいリスキーで、アンビリーバブルなのではないか、と、長年思い込んできたのだった。
もちろん、アレクシス・ワイセンベルクは「巨匠」の肩書きからは程遠い際物ではないし、あの大御所カラヤンにも認められ、名盤と言われる録音もちゃっかり残しておられるお方だから、「彼のことが好き」だと公言したところで、リスキーでもアンビリーバブルでも何でもないかもしれない。
いや、もしかしたら、私が想像する以上に「隠れファン」が存在するかもしれない。
そう分かっていても、何故か口にできない。
そういう危うさが彼のピアノにはある。
ファンの私でさえ「おいおい」と思うような乱暴な演奏もあったりして、一般に「巨匠」「一流」と呼ばれる人々の平均点の高い演奏とはあまりに毛色が異なるからだ。
彼のピアノは、一言で言えば『クリスタル』。
光で編み上げたレースのように繊細でありながら、深く切り込むような鋭さを秘め、それが時に驚くほど剛胆で勇ましく聞こえる。
そのくせ、浮世離れしたような透明感にあふれ、どれほど俗な弾き方をしても澱むところがない。
あたかも思い出した時だけ俗人の前に降臨する仙人のように素っ気なく、聴衆はもちろん、周りの仲間にすら振り向かないような孤高の世界に生きている水晶のピアニスト。
それが私の感じるアレクシス・ワイセンベルクであり、まあお世辞にも「これからクラシックを聴こう」という人におすすめする気にはならないタイプではある。
そんなワイセンベルクとの出会いは、ドビュッシーの名曲集。
最初からこだわりがあって購入したわけではない。
たまたま選曲が私好みだったことと(「ベルガマスク組曲」「子供の領分」「喜びの島」が収録されている)、ケースの帯にかかれた「現代的」とか何とか言う謳い文句に引かれて手にしたまでの話だ。
聞いて、陶然とした。
光を音にすれば、こんな演奏になる──と思った。
初夏の朝露のようにピュアで、流麗なドビュッシー。
これが私の探していた音だと確信し、目を閉じては、夜の水面にたゆとう月の光を想った。
わけても心惹かれたのが、このCDで初体験となった「組み合わされたアルペジオ」。
まるで掌から光の粒子がさらさらとこぼれ落ちてゆくようなきらめきと儚さ。
それでいて技巧の鋭さが要所要所に感じられ、決して甘いだけではない。
この絶妙なバランス。
繊細でありながら、突き放すようにクールで、聴く者にベタベタと媚びることがない。
このクリスタル・ガラスのような横顔が「ワイセンベルク様」とお呼びしたくなる所以である。
ちなみに「ワイセンベルク様」とお呼びしているのは、私だけではないらしい。
ピアノぶらぼー! もっと身近にクラシック より 『ペトルーシュカおすすめ第2弾(のだめアニメ第22話)』
こちらの管理人:ドルチェ様の熱い記事も非常に面白いです。曰く、
こちらも 変態的なくらいのテクニシャンぶり。
おまけに、そこまで裏事情 さらさんでも・・・ って呆れるほど、はっきりくっきり 曲の細部まで見せてくれる演奏です。(ワイセンベルクの場合、この曲に限らずだけど)
もうちょっと、ペダルでぼかしたり、あいまいに弾いてる方のが多いと思うのですが、ここまでやられると、このおじさん変態かも?! と思ってしまいます(爆)。
その変態技が炸裂したのがこちらの映像。
この映像を見たカラヤンが「これを撮影したカメラマンとピアニストを連れてこい」と言ったのが彼らの出会いだとか。(よそ様のブログで読んだ)
ワイセンベルクの演奏に対して好き嫌いがはっきり分かれるのも、「芸人」だか「芸術家」だか境界が曖昧で、作曲家やクラシック音楽に対する尊敬の念から弾いているというよりは、「己のために弾いている」という「俺様イズム」がどこか鼻につくからではないだろうか。
タイトルや名声にこだわることなく、聴衆に媚びを売ることもなく、ただひたすら己の道を突き進むようなストイックさは、時として、価値観を違えた敵に映ることがある。
巨匠と呼ばれる人達の演奏に親しみ、「これがクラシック」という自分なりの尺度を持った人から見れば、ワイセンベルクの超然としたピアニズムは、耳の中の異物のようにゴロリとやかましく、決して相容れない世界のものかもしれない。
しかし、ひとたびその魅力にとらえられると、この突き進むような演奏がこの上ない快感となって響いてくる。
もっと聞きたい、もっと知りたいと興味をそそられ、気がつけば、クラシック・コーナーで目につくのはワイセンベルクのCDばかり……というような事態にもなりかねない。
なぜにワイセンベルク?
それは彼のようなピアニストが他にいないからだ。
優等生は他にもたくさんいる。
でも、ワイセンベルクは、この世にあなただけ。
この恋愛じみた興味と磁力に動かされ、明日もまたCDを買ってしまうのだ。
その他の名盤と呼ばれるものには見向きもせず……。
ラフマニノフの名手とされるピアニストはこの世にい~~っぱいいるのだけれど、結局、買ったのは
ワイセンベルク。甘すぎず、主張しすぎない哀愁が耳に心地よい。
特にこちらの第二楽章はワイセンベルクの繊細さとクールさが見事に表現されて、まさにクリスタル。
(そこはそんなにシャープに弾かなくても……と言いたくなる箇所がなきにしもあらずだが)
そのくせ、いつまでも心に残る不思議な魅力が秀逸。
他にも名盤と呼ばれるのはいっぱいあるのに、どうしてまたワイセンベルクを買っちゃったんだろー。と、家に帰ってから考え込んだ一枚。
天下のラフマニノフもワイセンベルクの手にかかると、なぜか入り込めなくなるから不思議。
アシュケナージのようなお涙頂戴のラフマニノフもいいけれど、一線引いたようなクールなラフマニノフもまた一興かと。
玄人向きですな。
Alexis Weissenberg: Classic Archive [DVD] [Import]
上記の「ペトルーシュカ」が収録されているファン垂涎の輸入物DVD。
収録曲は
1. Igor Stravinsky: Three Movements from Petrushka
2. Sergei Prokofiev: Piano Sonata No.3
3. Alexander Scriabin: Nocturne for the left Hand Op.9 No.2
4. Sergei Rachmaninov: Prelude Op.23 No.6
5. Frédéric Chopin: Piano Sonata No.3 – Largo, Nocturne Op. Posth. In C minor, Étude Op.25 No.7
6. J.S. Bach: Chromatic Fantasy, BWV 903, Partita No.6 – Corrente
7. Johanes Brahms: Piano Concerto No.2
ほほーと唸ってしまうラインナップ。
他にも名盤とされるカラヤンとのラフマニノフ・ピアノ協奏曲とかあるんですけど、まあ、正直、馴染みのない方にはおすすめできんです。
本当にワイセンベルクらしさが発揮されたピアノ協奏曲の録音ってあるのかなーと思うくらいクセがあるので。
私は全部聴いてないので、どこかにはあるのかもしれないけど、優等生的な演奏でないと思うよ、多分。
そんな彼でよかったら、ぜひ。。。
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Comments
阿月まりさま、初めまして。
玄人ではありませんが、ワイセンベルク『展覧会の絵』が好きです。
悪く言うと無骨な演奏ですが、かれの語る声が聞こえてくるような錯覚にとらわれてしまいます。
今回は「アレクシス・ワイセンベルク」を検索して貴ブログへ訪問できたこと、大変幸運に思います。
ご感想をありがとうございます。
ワイセンベルクの「展覧会」、自分の絵を描いているような感じでしょうね!
また機会があれば聞いてみたいです。
廃盤になったCDも復活することを願っています。
◇グレン・グールドのワイセンベルク讃
ワイセンベルクの弾くロマン派がこれほどまでに卓越している理由の一つには、このレパートリーを手掛けるほとんどのピアニストとは違って、本質的に古典派的な技巧を念頭に取り組んでいる点があると思います。バッハのようなリズムの精密さ、モーツァルトのような旋律の明快さ、まさにクレメンティのソナタで実現を求められるようなフォルティシモとピアニッシモがきちんと格付けされた、ほとんどハープシコード的に操作された強弱の関係。通常こうした特質はどれも、19世紀よりも18世紀の解釈と結びついているものです〜
ここに題材と手法の、つまりロマン派のレパートリーと古典派的解釈の伝統の、異例の組み合わせが存在するわけです〜
◇リヒテルの日記
ワイセンベルクは途中で速くなる癖がある
◇私のイチ押し
ラヴェルのクープランの墓。
終曲のトッカータ、ワイセンベルク以上の演奏を知らない。
弾雨の中を只ひたすら盲目的に突進し、その果てに突如として生を断ち切られる一人の兵士の姿を、描き得た演奏が、他にあるだろうか?
いろんな情報をありがとうございます。
また機会があれば聞いてみますね。