『愛』が欲しい ~飯島愛の「プラトニック・セックス」~

私が飯島愛ちゃんに対する見方を変えたのは、ある芸能ニュースでの発言がきっかけだった。

当時の旬の話題は、新興宗教団体の教祖と美人女優の結婚。

しかも、その教祖は、「信者から大金をだまし取る」とか「祈りと称して女性にセクハラをする」といった噂が絶えず、なんでまたあの聡明そうな美人女優が彼との結婚を望んだのかと、ワイドショーや週刊誌では様々な憶測が飛び交っていたのだった。

中でもレポーターたちが面白おかしく取り上げていたのが、教祖の霊的指導者とは思えない派手な生活ぶり。

「宿泊は必ず一流ホテルのスイート」とか「何千万もする高級車を何台も所有している」とか、視聴者が嫌悪しながらも手を叩いて喜びそうな話を持ち出しては、みんなでこき下ろす──といったことを、毎日のように繰り広げていたのである。

そんな時、愛ちゃんがふと口にしたこと。

それは、

ブランド物はいいんじゃないの」。

確かにそうなのだ。

「身につけるものはすべてブランド物」だからといって、その教祖が骨の髄まで悪い人というわけではない。

教祖の派手な生活が非難すべきものだというなら、世の中のセレブや金持ちは、「持っている」というだけで、誰もが非難すべき存在ではないか。

もちろん、お金の出所が「信者」というのが世間の合点が行かぬところだし、霊的指導者を自称する割には俗っぽいところに胡散臭さを感じるのも分かる気がする。

それにしても、ここまで個人の(それも犯罪が確定したわけではない)私生活を露わにして、みなで寄って集って叩くことにどんな意味があるのだろう。

愛ちゃんの一言は、「持たないもの」の妬みが丸出しのレポーターの発言に放たれたものだった。

レポーターはたちまち、しどろもどろになった。

それから程なくして、私は文庫本化された『プラトニック・セックス PLATONIC SEX (小学館文庫)』を買った。

それ以前に一度知り合いの家で読んだことがあり、あのパッパラーとした表のイメージからは想像もつかない「告白」に胸を痛めた経験があったからだ。

2000年、『プラトニック・セックス』が一大ブームになり、彼女のサイン会に若い女の子たちが涙を流して押しかける様子を見た時、私はまだこの本の意味をきちんと理解してはいなかった。

暴露本ブームに続くナルシス系の告白本と高をくくっていた。

しかし、知り合いの家で改めて読み直してみると、それはアイドル・タレントが名前を売りたいがための「私的なつぶやき」とは根底から違う、まるで心から血しぶきをあげて書いたような悲痛な叫びだった。

父の躾は厳しかった。

例えば、食事中はお茶わん、箸の持ち方に始まり、テーブルにひじをつくと、容赦なく手が飛んできた。もちろん、食事中にテレビを見せてもらったことなんかない。「今日の夕食は何かな」なんて、楽しい想像をしたことすらない。

夕食中は、父と母に向かって、今日一日を報告するのが決まりだった。

父、母、弟二人と私の五人でテーブルを囲み、今日の学校での出来事、勉強のことや先生のこと、友達のことなどを、両親と話をする。傍目から見れば、よくできた家族。一家団欒の風景。でも、何を喋っても怒られるような気がしていた。学校で縮こまっていた私に、特別に報告するような出来事なんてない。

「今日、学校どうだった」
「別に……」
「何か変わったことはなかったの」
「別に……」

私のいつもの台詞。それだけ口にすると、父と目を合わさないように無言で箸を動かす。

私は食事中に楽しく笑った記憶が少ない。ただ、好きなテレビ番組が見たい一心で、食事はさっさと済ませようと心がけていた。

笑わない父の隣で、口数の少ない母はいつも目を吊り上げていた。母からすれば子供たちが叱られるということは、遠回しに「お前の教育がなっていない」といわれているようなものだった。

「あなたのためだから、あなたのためだから」

ほんとうにそうだろうか。でも、それが母の口癖だった。

あれは小学四年生の頃だった。
その頃、どうしても友達と見に行きたい映画があった。たしか、アニメ映画の『白鳥の湖』。どうしても行きたいけど、親にお願いしても絶対に許してもらえない。友達とだけで街に遊びに行くなんてもっての他だった。そんなことはいわゆる不良のすることだった。

でもどうしても行きたい。その衝動を抑えきれずに、内緒で見に行ってしまった。
結局親にばれて、家に戻るなり母からはさんざん説教。
父が会社から帰ってくると、父からもこっぴどく叱られて、引っぱたかれた。頬を叩かれる。
一回、二回、三回。

「なんで行っちゃいけないの」

泣き叫んで抗議するが、応える代わりにまた、手が飛んでくる。涙のおかげで、父の形相も私がいる世界も見えなくなった。叩かれている音だけが聞こえる。

なんで叩かれてるんだろう。そればかり考えていた。

夜、枕に顔を埋めて泣いた。

「絶対、中学生になったら家出する」

心の中で声にならない叫び声をあげた。

あるとき、数学で九十点を取った。私にとって数学は昔から苦手科目。先生から答案用紙を受け取った瞬間、「やったー」と心の中でガッツポーズした。私はそのテストを大切に折りたたんでカバンにしまうと、小躍りするように家に買った。今度はきっと、ほめてもらえる。

「お母さん、聞いて、聞いて。数学で九十点とったよ」
「山口さんは何点だったの?」
「……」
「四問も間違えているじゃない。どうしてできなかったの」
「山口さんはどうせ百点だったんでしょ」
「……」

できないのは自分が一番わかっている。
「あなたの努力が足りない」
母はいつもそう私に言い続けた。
精一杯努力したのに……。

私は、ただほめてもらいたかった。
父に、母に、一言「がんばったね」といってもらいたかった。

家に帰るのは、どこかで警察に捕まったときだ。署まで連行され、「私の記録」という始末書を書かされる。ウサギのように真っ赤な目をした母親が、私を引き取りに訪れ、私は家に連れ戻される。

「あんたって子はどうして、どうしてなの? 私の育て方は間違ってないのに、なんでこうなるの? なんでなの。ねえ、どうしてなの?」

実家に連れ戻されると、涙を流し続ける母から、何度も頬を叩かれる。
母はそのたびに友達の名前を出してきてはなじった。
「智絵ちゃんみたいな、水商売やってるお家の子と遊ぶからこうなるのよ。あんな子と遊ぶからあなたがおかしくなる。もう智絵ちゃんと友達をやめなさい。いいわね!」

一番腹の立つ説教だった。片親で淋しい日々を送る智絵の心の叫びを知っている。
母子家庭で母親が水商売だからと、いじめられた友達の涙を知っている。
親がどんな商売をしていようと、親がいなかろうと、どんな家庭だろうと、そんなことを言われたくない。みんな大切な私の仲間だ。

母にはそれがわからない。わかろうとも思ってはいない。わかっているのは世間体と体裁を繕うことだけだ。
父が帰ってくると、また殴られる。

母は二十三歳でこの家に嫁ぎ、今の私と同じ二十四歳で私を産んだ。
まったく友達も知り合いもない東京に、四国の田舎から一人嫁ぎ、歯を食いしばってきたのだ。
右も左もわからない。エリート揃いの親戚に囲まれ、亭主関白の父は、母が自分に従って当然と思っている。

私の失敗は母の失敗だったはずだ。すべての私の教育をまかされ、祖父の面倒もまかされ、息抜きをする場所もグチる友達もいないまま、嫌な思いをたくさんしてきたはずだ。
でも、とうにかお利口さんの優秀な人間に成長してほしいと思う気持ちとは裏腹に、私は育っていく。ことあるごとに母はその責任を責め立てられていたのだ。

母の眉はいつも吊り上がり、その目でいつも私を睨んでいた。私はずっと「睨まれていた」と思っていたが、彼女はいろんな周囲のプレッシャーと孤独感に、目を吊り上げずにはいられなかったんだ。私が非行に走ったことで、父からも周囲からも責められたはずだ。彼女はずっと独りでずっと戦ってきたんだ。目を吊り上げた必死の形相で。穏やかな顔などしている間もなかったんだ。それなのに私は……。

「ごめんなさい……」
自然と言葉がこぼれた。
「ごめんね、お母さん」
「どうしたの?」
「大変だったんだよね。私にはきっと耐えられない。お母さんが私を産んだ年になって、初めてわかった。それなのに、私、ずっと恨んでいた。でもね、私もつらい思い、してたんだよ。お母さんにほめてもらいたいって、ずっと思ってたんだよ」
なぜだろう、涙が止まらない。頬があたたかい。
「ごめんなさい。謝るのはお母さんの方よね。ごめんなさい。私が間違っていた……」
これまで「私の育て方は間違っていない」としかいわなかった母が、「間違った」──そう言っている。
「でもね、あの頃は本当に大変だったの。ごめんなさい、何を言っても言い訳ね」
「……」
母の嗚咽が聞こえてくる。

私はずっと母に愛されていた。二四年たって、私は初めてそのことに気付いた。

パパ、ママ、こんな娘でごめんね。

この本を読んで、彼女が男に弄ばれたのも、AVの世界に染まったのも、全部自業自得という見方をする人もいるだろう。

しかし、少女の頃から、男に遊ばれたい、セックスを売り物にしたいと望んで生まれてくる子があるだろうか。

援助交際をやっている子が、「セックスしたって減るもんじゃなし、何が悪いの」とうそぶくことがあるけれど、彼女たちはお金と引き替えに『自尊心』をすり減らしていることに気がついていない。

自分で自分を愛せないから、いくらでも自分を汚すことができるし、将来のことなどどうでもよくなってしまう。

そうして、自分を汚せば汚すほど、自分自身を嫌悪し、ますますどうでもよくなってしまう、その悪循環こそ援助交際の本当に弊害なのである。

では、なぜ彼女たちは自分で自分を愛せないのか。

それは自分に愛されるだけの価値があると思っていないからである。

幼い頃から自分自身を徹底的に否定され、親に見捨てられまいと自分を押し殺し続けた結果である。

ところが、親の方では、こうした子供の「見かけだけの従順」、反抗する気力すら無くした「抜け殻」に気がつかない。

自分の言うことを聞きさえすれば満足し、子供は幸せになれると思い込んでいる。

そして子供が親の期待を裏切り、約束を破ろうものなら、尋常ならぬキレ方をする。

そんな中で、子供はどうやって幸福感や自己肯定感を感じるのだろう。

親とまともに目を合わすこともできない緊張感の中で、どうして生きる喜びが見つけられ
るのだろう。

飯島愛ちゃんは三十六歳の若さで死んだという。

でも、愛ちゃんが、これまで暮らしてきた過程で、本当に生き生きと生きられた瞬間など
あたのだろうか。

生きていて楽しい。生まれてきてよかったと、心からしみじみ思うような瞬間が。

愛ちゃんは誰にも気付いてもらえない中、とうの昔にゆっくり死んでいたのだ。

三十六歳になってもまだ、親に「生きているのがつらい。家に帰って、ゆっくりしたい」
と言えない『子供』だった。

『プラトニック・セックス』の中で、一応の決着は見たものの、その傷はあまりに深く、癒しきれなかったのではないだろうか。

『愛』という芸名は、十六歳の時、「みんなに愛される子になるように」と、お店のママが付けてくれた源氏名だ。

「飯島愛」の名前だけを道連れに、誰にも看取られず、抱きしめてもらうことさえかなわなかった最期を思うと、彼女の人生はあまりに淋しく、哀しい。

せっかくのクリスマス。愛する人と一緒に過ごしたかっただろうに。

多くの男性と知り合いながらも、本当の意味で愛し愛される関係にはなれなかった理由の一端に、屈折した親子関係が絡んでいることを忘れてはならない。

自分で自分を愛せない女性は、どんなに素敵な男性と巡り会っても、それを本物の信頼関係に昇華させることは難しいのだ。

そして、『育児』において、こういうことを重視している母親は少数派だろう。

いい女になれば三高のいい男が掴まると、単純に考えている面はないだろうか。

女性にとって一番大切な「恋愛」「結婚」「出産」というこの流れ。

私は「キャリアか結婚か」「結婚よりもっと大切なことはいっぱいある」というようなカテゴリー分けで単純に判断して欲しくないと思っている。

「恋愛」「結婚」「出産」というのは、いわば『女性性』に基づくものであって、人間性とか自己実現とかいう話とはまったく別次元のものである。

いわば、自分の女性性を肯定的にとらえ、『性』のもたらす心身への影響──生理、性欲、躁鬱、出産願望など──と上手につきあいながら、「女性である自分自身を楽しむ」気持ちがあってはじめて、趣味や仕事、社会生活を通しての自己実現が完成するのである。

そして、女の子の育児には、『女性性』を育むということが絶対に欠かせない。

それは料理や裁縫を教えろ、という意味ではない。

娘が、自分を大切にし、異性と健やかな信頼関係が築けること。

年頃になって悩んだり、焦ったりするのは、女性ならではのものであって、では、自分は女性としてどう生きたいのか──ということを前向きに考えられることである。

それを素っ飛ばして、人生を生きようとしても、どこかで心が軋み始める。

女性性の求めに素直にならないと、何の悦びも得られないまま終わってしまう。

そういう知恵を授けるのが母親の役目であって、もし娘が、女性としての自分に何の価値も見いだせず、性を痛めつけるような形でしか異性と繋がれない女になってしまったら、どんな教育も意味をなさないのではないだろうか。

『愛が欲しい』──それが愛ちゃんの求めた全てだった。

そして、同じ求めを抱いている若い女の子は今も全国にごまんといる。

愛ちゃんの死、そして『プラトニック・セックス』は、単なるアイドルの告白を超えて、多くのことを母親に教えてくれる。

彼女の両親は、冷たくなった娘と、どんな思いで顔を合わせたのか──。

育児における「取り返しがつかない」とは、まさにこのことを言うのではないだろうか。

§ 編集後記

 
今、目の前に、幼い愛ちゃんがいたら、思いきり抱きしめてあげたい。

世界中がクリスマスで賑わう中、彼女のために泣ける人間が他にもう一人ぐらいいたっていいじゃないか……という気持ちで書きました。

時々、彼女のブログを覗きながら、傷だらけでも一所懸命に立ち上がろうとする姿を見て、心ひそかに応援していただけに、本当に悲しく思います。

それでも自業自得だと思う人。

たくさんいるのでしょう。

でも、考えて欲しい。

好き好んでこんな死に方を選んで生まれてくる女の子はいない──ということを。

女の子にとって「愛」がどれほど大事か──ということを。

せめてあなたの娘には「愛」をたくさん与えて欲しい。

愛に飢えて、愛にさまよう、淋しい女にならないように。



それが出来るのは、お父さん、お母さん、あなただけですよ。

(若い女の子は、それを彼氏に求めて、恋愛に失敗するのです)

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