女性と恋愛

40代からの生き方 考え方

2010年5月28日

おこがましい話だが、私の中の人生時計は「35歳」で止まっていて、40代を超えたという自覚がほとんどといって無い。

なぜなら、35歳を境に、海外移住、結婚、出産、乳児育児、出産、乳児育児と息つくヒマなく走り続けたせいか、時間の観念も、自分自身のこと、完全に頭からスッポ抜けたまま今日に至ったからだ。

多分、乳児・幼児育児を体験中のお母さん方はみな似たようなものと思うが、小さな子供を育てていると、長いスケールで時間を意識することがなくなってしまう。

朝目が醒めてから夜寝床に入るまで(これも熟睡できるとは限らない)、授乳、オムツ、離乳食、遊び、オムツ、お風呂、オムツ、と、目先の用事に振り回されて、その日1日をこなすのがやっとになってしまうからだ。

私の場合、そういう生活が5年ほど続き、昨年、下の子が幼稚園に入園したのを境に、やっと堂々たる「自由時間」を得ることができた。

自分のこともゆっくり考えられるかな、と思った。

ところが実態は逆だ。

いわば今まで時速100キロで走ってきただけに、車は急に止まれない。

自分自身のことを冷静客観に考えるといっても、これまで来たように、これからも続いてゆくとしか思えなくて、どこから切り込めばいいのかわからない。

それに自由時間ができても子供中心の生活であることに変わりなく、何処かに行くにも、計画を立てるにも、自分一人の都合で動くわけにゆかない。

結局、なんだか訳が分からないままに今日まで来てしまって、それはそれで良かったのだけれど、最近、ドカンと心のエアポケットにはまり込むことがあり、「これは一体、どうしたことだろう?」とよくよく考えてみれば、35歳の移住を境に大きく変わってしまった自分の生き方を根本から立て直す時期が来ているということに気付いた。

今までは、「とにかくオッパイのませなきゃ」「とにかくオムツを替えなくちゃ」この繰り返しで来ていたけども、今まで100パーセント子供に向いていた手が、かなり自分に向けられるようになったこの余裕が、「35歳で止まった人生時計」に活を入れようとしている感じだ。

そんな折、強く思わずにいなかったのが、私の大好きな池田理代子先生の『あきらめない人生―ゆめをかなえる四〇からの生きかた・考えかた<』。

この本は40歳の誕生日を前に日本から取り寄せた。

理代子先生なら、きっと素敵な生き方を示してくださっているだろう、そういう期待があったからだ。

ところが、そこに書いてあったのは、非常に生々しい現実だった。
『自分の為だけに生きたくない』という思い ~池田理代子さんの著書より~」「死ぬまで生き直せる ~NHK『知るを楽しむ(池田理代子)』から 」にも書いているけども、自分の将来を死ぬほど思い詰めて、毎日泣き暮らした話や、本当はお母さんになりたかったという切実な気持ちなど、あのマリー・アントワネットのように華やかな理代子像からは想像もつかないような告白が書いてあって、ガツンときたものだった。

結局、その心の乱れは、更年期によるものも大きかったわけだが、『40代』というのは、人生の折り返し地点として、非常に重要な時期であることに間違いない。

それは30代シングルの崖っぷちとは大きく異なる、自己の存在に根ざすような「見直しの時」である。

理代子先生の場合、このブラックアウトの時期を通して声楽家になることを決意し、44歳から受験勉強を始めて47歳で音大に合格、新たなキャリアを歩むことに成功された。

そうした「見直しの時」は、子育て一筋できた専業主婦や、仕事と家事に追われる兼業主婦、ずるずると40の境を超えてしまった独身女性や、独りに戻ってしまったシングルマザーなど、すべての女性に共通するだろう。

私が思うに、「40代」というのは、20代・30代の流れをそのまま持ち越して、なんだか訳の分からないままにやり過ごしてしまう可能性が高いと思う。

それはあまりに忙しく、次から次に押し寄せるイロハの事──子供の受験とか、夫の転勤とか、PTAとか、親族の病気とか、誰それの面倒とか──をこなすのに手一杯で、自分の立ち位置を客観的に考える余裕を失いがちだからだ。

もちろん、目の前のイロハを十分にこなすことは、この時期、非常に大切なことであるし、今さら20代30代の小娘のように「本当の自分探し」もあるまい、と思う。

しかし、人生は40代で終わりではなく、50代というちょっとした執行猶予の後は、否応がなしに「老い」が待っている。

自分が60歳になった時のことなど、それでもやっぱり想像つかないかもしれないが、こうなるといよいよ迷っているヒマはなくなる。

というか、もう取り返しのつかないところまで来てしまう。

となると、まだ気力も体力も残された40代、それなりに柔軟性もあるこの時期に、今一度、これまでの生活を見直し、いたらない部分は修正を加えて、自分が本当に望むクライマックスへと導いていく作業が大切なのではないだろうか。

そう思って、女性向けのコンテンツを見てみると、「40代になっても美しく」「いつまでもキレイでいたい」といったキャッチコピーが目に付く。

確かにいつまでも美しい女性であることは憧れだが、40代にもなれば、もっと別の形容詞が求められるのではないだろうか。

自分に足りないものを容姿や持ち物で補うのは20代・30代の考え方だし、「きれい」という言葉で満足できるほど40代は単純なものではない。

こういう見出しを見ていると、結局、今の40代も「嬢ちゃん婆ちゃん」から抜けきれないような気がして、情けなくなったりもする。

男の40代は、もっと深いところを模索しているのだけれど。

思うに、「40代」というのは、「自分がこうありたい」と願っていたプランと現実とのギャップを認識し、その中で、もう一度、軌道を修正する時期なのだと思う。

たとえば、40になる頃には、仕事も続けて、子供が二人いて、もう中学生ぐらいかな~と思い描いていた人生が、思わぬ拍子に離婚に至り、今は派遣の仕事にありつくのがやっと・・というシングルマザーもいるだろう。

あるいは、40になる頃には、この職能を生かして役付の年収1000万のつもりが、なぜか専業主婦やってます、という人もあると思う。

もちろん、自分で納得して、私はこのポジションで頑張ろう、と心の底から思えるのならそれでいいのだ。

でも、何か違う。

本当にこれで良かったのかな、と思う時。

「人生なるようにしかならない」「自分はこの程度」で開き直るのではなく、少し突っ込んで考える機会をもってもいいのではないか、と思うのだ。

おそらく、10代20代に思い描いた通りに生きている人など、少数派だろう。

私だってまさか海外に出るとは思わなかったし、特に女性は結婚・出産で大きく軌道が変わった人の方が多数だと思う。

逆に、そうしたかったけど、いまだにご縁がなくて、何ともいえない淋しさを味わっている人も少なくないはずだ。

そうして、ふと、自分の立ち位置をじっくり見つめ直してみると、「本当にこれでいいの?」という思いが津波のように押し寄せてくることが1度や2度はあるはずだ。

これが30代なら、「まだまだこれから。楽しいこともある」と若さでごまかせる部分が大きいけれど、40代にもなるとそうはいかない。

「美しさに年齢はない」と言ってはみても、現実的な話、恋愛・結婚・出産のハードルは一気に高くなるし、仕事に関する条件も30代の時とは雲泥の差だ。

20代30代と同じような直線的な考えではとうてい「年齢」という壁に太刀打ちできないだろう。

だからといって、一からやり直すにはあまりにチャンスが狭いし、10年後は50歳、20年後は還暦である。その重みを考えると、先のことを考えるのもイヤ、今の自分の「納得探し」になってくるのではないだろうか。

そう、自分探しではなく、納得ゆく理由探しの旅である。

ここに進退キワマレリ……とでも言うのだろうか、もう本当に何もかも終わってしまったような気分になることも、なきにしもあらずである。

しかし40代には一つだけ救いがあって、それは何かと言えば、『50代』というクッションがあることである。

言い換えれば、決して遅くない、まだ始めたり、修正したりするに十分な年齢という点だ。

確かにこの年になって大きな決断をくだしたり、何かを一から始めるというのは、非常に気力・体力を使うし、周りも決して好意的ではない。

「今さら、何言ってんの!」

まさにそれだ。

だからこそ、そういう声も跳ね返し、軌道修正するだけの知恵と力が必要なのである。

「軌道修正」といっても、「じゃあ、就活します」「離婚します」というのではなく、ちょっとした価値観の転換である。

今まで「美味しいものをお腹いっぱい食べて、毎日が楽しければそれでエエワ」と思っていた人は、ちょっと周りに目を向けてみるとか、仕事一筋で来た人は、もう少し他のことに意義を見出してみるとか、いわば心の革命。今まで「価値なし」と決めつけていたことにスポットライトを当てるような気持ちである。

あるいは、あきらめていたこと、心残りなこと、思いきって始めるという手もあるし、今まで疎遠にしていた友達と連絡を取ったり、「忙しい」の一点張りで断り続けた交際を復活するとか、そういうのも人生に新たな風を吹き込んでくれるだろう。

自己啓発本いわく、「40代は第二の青春」らしいが、何かを取り戻したり、見つめ直したりするには、確かにいい時期だ。

どのみち、この先、老いていくのは確かなのだもの。

「豊かな老後」と言うと、夫婦二人でゆっくり旅行して、お芝居を観たり、美味しいものを食べた歩いたり……という消費な生活を思い浮かべるけども、人生はカニ鍋や露天風呂を満喫するためにあるのではないし、自分の命を自分の楽しみの中で完結するというのも非常に淋しい気がする。

もうこの年になったら、「自分が生きる」ことと同じくらい「周りを生かす」ことも考えないといけない、それだけのものを培ってはじめて、本当の意味で周りの尊敬や「美しい」という形容詞を身につけることができるのだから。

「自分が思い描いた人生」と「現在の自分」のギャップを直視したり、日頃のモヤモヤ・イライラの原因(更年期もあるけれど)を突き詰めたり、「老い」を意識するのは、とてもつらい作業には違いないが、そこから目をそらさずに考え抜くことで、新たに掴める未来が40代にもきっとあるはずだ。

そんなことをいろいろ考えさせられた『女帝』の読後感である。

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